04. 憂い事と共に学園へ (みんなが、眩しい)
エリエノールがリュウールシエル王国に来て知った、衝撃的な事実はいくつかある。
ひとつは、自分が〝神の血をひくお姫様〟だったことだ。正直まだ半信半疑なところもあるが、とりあえず神殿でのある出来事で、自分が普通ではないことは分かった。
(あれ、何だったんだろう)
現在はみんな魔力を持っていて魔法を使えて当たり前――なんて世界だが、昔々はそうではなかった。人間が魔力を持つようになったのは、今から少なくとも千年は前のこと。
伝説によれば、ある日神はポットから紅茶を注ぐように、光る液体のような魔力をこの地に注いでみたという。魔力はまっすぐ地に落ち世界各地に広がって、人間に吸収された。
ちょうど魔力が落ちた地点には、虹色に輝く光の柱が残った。その柱を囲むように建てられたのがリュウールシエル城にある神殿で、魔力をこの地に齎した始祖神を崇めている。現在の魔法社会のはじまりの地だ。
エリエノールが神殿へと連れていかれて命ぜられたのが、光の柱に触れること。
元から魔力を持っていたわけではない人間という生き物は受け入れられる魔力量に限界があり、それを超えるものに触れると体が朽ちてしまうという。
つまり普通の人間が「光の柱に触れろ」と言われたら、それは「死ね」と同義だ。
しかし神の血をひいた神の子ならば触れられるだろうと、エリエノールは柱に触れさせられた。〝神の血をひくお姫様〟であることの証明だ。
本当に、死ぬかもしれないと思った。覚悟を決めて触れた、光の柱。虹色に輝くそれはひどく眩しかった。
周りに張られた結界に半身を突っ込まなければ届かないほどに意外と遠く、柱は外見からの印象よりも細かった。
触れると不思議な感覚が走り、指先が熱いような、でも冷たいような感じがした。
しっかりと手のひらで触れると、血の巡りがひどく速くなるように感じた。
触れているところからじわじわと、体の外側から内側にかけて、広がっていった不思議なあたたかさ。
そのあたたかさが、心臓まで達しそうになる、その刹那。
(あれは、びっくりしたな)
ガシャンッと、何かが割れる大きな音が辺りに響いた。
全身に巡ったあたたかさが一瞬で引いてなくなり、柱に触れていた左手に痛みを感じて手を離した。
何故かエリエノールは柱に触れても生き残ったが、神殿のガラスがすべて粉々になってしまったのである。
まさかそんなことになるとは思わずエリエノールは顔を青ざめさせたが、〝神の血をひくお姫様〟の証明が無事に成されて国王はたいそう機嫌が良さそうだった。
(あと、魔力のこともまだあんまり信じられない)
サージュスルス王国ではエリエノールは、「体が弱って魔法が使えなくなる病気」だと言われていた。
けれどミクが神と会話したことによれば、それはみんながついた嘘だった。サージュスルス王国の検査では、本当はエリエノールには「魔力がない」ことになっていた。
(なんで、嘘つかれたんだろう)
「病で魔法が使えない」のと「魔力がない」のは結局どちらも魔法が使えないということだから、そう気にすることではないのかもしれない。
ミクは『可哀想にね。家族にも嘘つかれて家に閉じ込められて、自分のことなのになんにも知らなかったなんて!』と言って笑っていた。
ただ、小さな嘘をつかれただけ。嘘の理由は分からない。
けれど唯一信頼していた養母さえもエリエノールに嘘をついていたという事実が胸の中で燻り、じわじわと心を侵食している。
信頼していた人に嘘をつかれたという経験が初めてで、辛かった。養母のことを心から信じられなくなってしまった自分が、とても嫌だった。
それでエリエノールの魔力は実際どうなのかと言うと、なんと〝魔王〟に封印されているらしい。
神の血をひいているゆえに魔力が強大すぎて、それを恐れた魔王が赤子の頃のエリエノールに魔法をかけて魔力を封じ込めたとかなんとか。
(よく、わかんない)
自分の存在が何なのか曖昧で、ふわふわゆらゆらとしている。自分が何者なのか分からないまま、今日も生きている。
さて、リュウールシエル王国に来てから三日目の本日。昨日は制服の採寸をしてもらった後、エリエノールの魔力の解放する研究をする人たちが挨拶に来て、一日が終わった。
現在は学園に向かう馬車に乗っているところだ。
(はじめての、学校だ)
乗っているのは〝神の血をひくお姫様〟のエリエノール、〝神の慈悲を頂く乙女〟のミク、王太子のサイード、第二王子のテディ、ミクの神学教育係で見習い神官のダルセル、そしてサイードの従者のアベル。
計六人を乗せた馬車の目的地は、リュウールシエル王立第一学園だ。
リュウールシエル王立第一学園は王都にある学園で、中等部と高等部があり、生徒は貴族の家の子女が過半数を占める。魔力量が多く優秀な人ばかりのいわゆるエリート学校というものだ。
今春、エリエノールとミクとサイードとアベルは高等部一年生、ダルセルは高等部二年生、テディは中等部一年生になる。
エリエノールとミク以外の高等部一年生は二月の一般入学試験に合格して入学という形だが、みんな中等部からの持ち上がりだ。つまりみんな顔馴染みで、仲良しこよし。
一方エリエノールとミクは、このたび国王推薦の特待生として高等部に入学することになった。
それぞれ神の祝福を受けたからには国を豊かにし得る才を持っているため、教育を受けさせることでより国の利益になるということらしい。
三年間の高等教育を受けさせた上で、能力に相応しい地位を見繕われるようだ。
(正直、すっごく不安)
歴史は、神の祝福を受けた者がこの国を豊かにしたと語っている。
ミクについては、この世界に転移するときに神から魔力を貰ってきたらしく、そのうえ神と会話する特別な才能もある。彼女は役に立つだろうから、彼女が特待生なのには納得だ。
しかし、エリエノールはどうだろう。魔力が魔王に封印されているらしいので今は魔法が使えない。ミクと違って何か特別な才能があるわけでもない。
光の柱には触れたが、自分は本当に〝神の血をひくお姫様〟なんかなのだろうか。
本当に神がエリエノールの父だというなら、何故赤子のときにランシアン邸の門の前に捨てられていたのだろう。
(神にまで見捨てられたとか?)
もしそれならお先真っ暗だ。神に見捨てられたなら、もうエリエノールのことなんて誰も助けてくれなくて当然だ。
もしかして、何か悪いことをしてその罰として捨てられたのだろうか。
(赤ちゃんの頃のことなんて、覚えてないから分かんないけど)
「――ミク嬢は、異世界では学校に通っていたのか?」
「はい。小学校と中学校には通ってました」
「なら、多少は学校生活にも慣れているのか」
考え事をしていると、サイードとミクが会話しているのが耳に入った。ミクは馬車に乗っている間、サイードに話しかけてばかりだった。
彼女はいま見る限りコミュニケーション能力が高いし、学校に通った経験もある。
エリエノールはミクとは違ってできないことばかりで、学校も初めてで、不安でいっぱいなのに……この差は何だろう。比べても仕方ないが、孤独感を覚えた。
「ねえ兄様。エリエノール嬢は中等部の教育を受けていないのですよね? 高等部に入学してやっていけるのですか?」
テディは当たり前のことを言っただけなのに、その言葉を聞いて、学園に入学するのに相応しくないと言われているように感じてしまった。これだからネガティブ思考は困る。
(みんなが、眩しい)
きらきらしていて眩しい。何ひとつまともにできない、出来損ないの自分が同じ空間にいるのが申し訳なくなるくらい、みんなの輝きが羨ましい。
「まあ、どうにかなるだろう。〝神の血をひくお姫様〟なのだから、きっと優秀に違いない」
(嫌味に聞こえちゃったのは、心が荒んでいるせいなのかな?)
サイードの瞳を、ちらりと見る。
敵意を向けられているような気がする。
嫌われているような、気がする。
彼のことはよく分からない。
まあどうでもいいかと、すぐに視線を逸らした。
「……アベル、あとどのくらいで着く?」
「もうすぐ着きますよ」
アベルがそう答えてから数十秒後、馬車は止まった。王城から学園まで、おおよそ馬車で一時間くらいだっただろうか。意外と近い。
エリエノールをサイードが、ミクをダルセルがエスコートして、みんな馬車を降りた。
「でっか……」
校舎を見て、そんな声を上げたのはミクだ。
(たしかに、おっきい)
王城ほど豪華ではないが、ところどころに銅や大理石の像が置かれていたり外壁に洒落た装飾がついていたりする、趣ある立派な煉瓦色の校舎だった。
中等部のテディとは途中で別れ、五人で高等部の寮に入る。中等部と高等部の寮は大まかな造りは同じらしく、軽い説明を聞いて男性陣はそれぞれの部屋へと向かっていった。
初めてここに来て全然何も知らないエリエノールとミクは、寮母さんに寮内を案内してもらった。
一階が食堂。
二階が大談話室と自習室、そして浴室。
三階から五階までが生徒の個室。
浴室と個室は、東が男子で西が女子。
(うん、だいたい覚えられた)
寮内を見て回るのはまあまあ楽しかったが、一番驚いたのは浴室だ。あのような大きいお風呂を、エリエノールは今日初めて見た。
みんなで入る大きな浴槽は、ここらではリュウールシエル王国にしかない珍しいものである。学生寮にもそのような浴槽があるのは、ある意味リュウールシエル王国らしいと言えた。
リュウールシエル王国の十数代前の王は、東の異国好きだった。そこから東の異国との交流が生まれていろいろな文化を取り入れ始め、それが今も続いている。
このような風呂に加え、王城の後宮も東の国の影響を受けてできたものだという。
(東の国、いつか行ってみたいなぁ)
漠然とした願望で、実際に行動に移す気はない。だって面倒くさそうだから。
エリエノールは今、学生寮の自分の部屋にいた。
エリエノールとミクの部屋は五階にあって隣同士で、階数が上なほど広い部屋で、身分の高い生徒のものらしい。ふたりは国王推薦の特待生だから最上階なのだろう。
部屋は使い心地が良さそうで、装飾は華美ではないが、箪笥やクローゼット、学習机やベッドなどの生活に必要な家具は質の良いものが揃えられていた。
部屋には制服や教科書などの学用品、ランシアン邸かららしい荷物が届けられていたので、それを荷解きしているところである。
(あ、お裁縫セットだ)
ランシアン邸からの方には、エリエノールが屋敷で着ていた普段着のドレスや、使っていた裁縫道具や糸や布、その他日用品などが入っていた。きっと屋敷のメイドか誰かが渋々用意してくれたのだろう。
(わざわざ送ってくれて、ありがとう)
心の中で手を合わせ、感謝の念を送る。
教科書はたまに気になったものをパラパラと見てみながら本棚にしまい、その他の学用品たちも箪笥や棚にしまっていった。なんとなく「古代魔術」が楽しそうだった。
それを終えると、今度は真新しい制服を確認してみる。
(お針子さん、お仕事早いなぁ)
制服を体に当てて、鏡を見てみたりする。ほんのちょっとだけ、心が踊る。
制服はいつも着なければいけないわけではなく、式典などのときのみ着用義務がある。
女子はグレーのスカートとベストと学年別の色のリボンで、この学年のは藍色だ。ブラウスや靴下や靴はいつでも自由にしていい。
制服を着るときのブラウス等一式に、その他のスカートや普段着のドレス、夜着なども針子が見繕ってくれていた。
(本当に、ありがとうございます)
王城にいるであろう針子にも、感謝の念を送っておいた。
そしてもうひとつ、学園の生徒が身に着けるものとして大事な物がある。ゆっくりと手を伸ばし、それに触れた。