32. お買い物に行こう (虫は、食料)
そして翌日。エリエノールはミクと町に遊びに行っていた。ようやくエリエノールも試験から解放されたから、買い物でも楽しもうというわけである。
「エリエノールったら、何浮かない顔してるのさ? 何も買わないし、何?」
雑貨屋から出ると、ミクは不満げにそう言った。浮かない顔しているつもりはなかったエリエノールだが、指摘されてしまったので曖昧に微笑んでみることにした。楽しいことのアピールである。
友人との初めての個人的なお出かけとなれば、もちろん楽しくないはずはない。実際、楽しいとは思っている。
「いえ、ミクさんとのお買い物は楽しいのですよ?」
「いや、何も買ってないじゃん」
ミクの言う通り、買い物に来たというのにエリエノールはまだ何も買っていなかった。お金は持ってきているが、どうにも買う気になれなかったのだ。
ミクが不機嫌らしいのはエリエノールが何も買わないからだろうが、物を買う決意がなかなかできない。
「なんで買わないの?」
「……わたくしなんかが、お金を使ってもいいのでしょうか? わたくしは何の役にも立てていないのですから、そんな贅沢はいけないような気がして……」
エリエノールとミクの生活費は王室が出している。王室の金は国民の税金から成っているから、つまりふたりは国民の金で生きているのだ。
ミクは神と会話して国の役に立っているから良いが、エリエノールなんて魔力が封印されているせいで研究までしてもらっている上に特に才能のない役立たずだ。
こんな役立たずの自分が金なんて使っていいのだろうか。それは浪費ではないか。
そういうことを心配して、今のところ現金に一切手を付けていない。
学園の食堂での食事は注文すると学生証と連携している口座――エリエノールたちの場合は国庫から――支払われる仕組みで、普段の食事はこれは必要なものだからと自分に言い聞かせることで、なんとか注文できている。
「良いじゃん。神の祝福を受けた者なんだし、それで国の役に立つ分お金貰ってるだけだって。今はまだ魔力解放されてないけど、先行投資だと思えば? 使っていいお金を渡されてるんだよ?」
「でも、やっぱり罪悪感が……」
きちんと国の予算で決められた額を渡されているわけだが、それでもなんか罪悪感を覚えて使えない。エリエノールのためにお金を使うなんてもったいない。
(そもそも生きているだけで申し訳ない)
そんなふうにうじうじしているエリエノールを見て、ミクは何か思いついたようだ。
「あ、そんなに言うなら臨時就労でもすれば?」
「臨時就労?」
「そう。お金が欲しいなら働けばいいじゃん。ま、別に今じゃなくてもいいと思うけどね。そんなに罪悪感云々言うなら、出世払いでもいいんじゃない? さ、お金使おう!」
なるほど、その手があったか。エリエノールも働けば良いのだ。そうすれば町での買い物も罪悪感なく行うことができる。
「そうですね。では、今日は買い物しながら臨時就労先を探すことにします」
「了解ー。まったく、エリエノールは貴族のお嬢様らしくないよね。何か欲しいものないの?」
「欲しいもの……。あ、ミクさん。調味料を買うのはありだと思いますか?」
いま欲しいものと言えば調味料だったが、ミクはその答えに多少驚いたようだった。装飾品とかお菓子とか、もっと可愛らしい回答を期待されていたのかもしれない。
(期待に沿えなくてごめんなさいね)
「何、料理でもするの?」
「はい、む――」
(あっ、ストップ)
言おうとした言葉を途中で止めた。これはミクに言っていいものではないかもしれないと思い直したのだ。小説の中の〝エリエノール〟が、現実のエリエノールと詳細な食生活まで一緒とは限らない。
「む?」
「む……向こうから! サージュスルス王国から、食材が送られてきたみたいで」
「ああ、ランシアン家から?」
「そうです。差出人不明なんですけど、送られてきているものからして義姉かなぁ、と……あははっ」
誤魔化したのはもちろん、虫のことである。
入学式の日には、虫入り瓶がヘレナとネルから送られてきた。あれは屋敷で普段食べていた調理済みのものだったのだが、どういうわけか最近未調理の虫が誰かから送られてきているのだ。
それゆえ現在エリエノールの部屋の箪笥には、箱や瓶に入った生きた虫がたくさんいる。調理済みの虫の方の残りがそろそろ少なくなってきたので、未調理の虫を料理して食べてやろうという話だ。
(虫は、食料)
以前から、いつかは料理にも挑戦してみたいと思っていた。やってみたいことはいっぱいあるが、なかなか実践に移せない怠惰な駄目人間だ。
「調味料が欲しいとは前から思っていたのですが、ひとりで買う決意ができなくて。調味料は必要最低限に含まれると思いますか?」
「食事だから良いんじゃない? 自炊しようなんて、また令嬢らしくないけど」
「では、今日は調味料を買いますね」
エリエノールはミクの意見を聞いてようやく金を使う決意をした。使った額はきちんと記録しておこう。
これでエリエノールの初めての買い物は、調味料に決定だ。
「塩とー、薬草とー、油! これで完璧ですね」
「うん、良かったね。全然令嬢の買い物っぽくないけど」
エリエノールは無事に買い物を終えて満足していた。買うときに店員さんと話すのにはとても緊張したが、これで初めての買い物は完了だ。
(これで料理ができる! やったー)
未だ臨時就労先は見つかっていないが、もし見つからなくても将来稼げばそれでいいのかもしれない。
エリエノールはたいへん珍しく、将来というものに期待できるような前向きな気分になっていた。はじめてのお買い物を達成したことによる効果かもしれない。
「塩と言えば、この世界は〝海〟っていう大きな塩水の水たまりのようなものの上に浮いているのですよね。わたくしは絵しか見たことがないのですが、ミクさんは実際に海を見たことはありますか?」
サージュスルス王国は内陸国で、リュウールシエル王国もごく一部しか海に面していないので海にはあまり馴染みがない。
海は青くて広くて綺麗だと本に書いてあったから、一度は見てみたいとエリエノールが思っているものだ。
「うん、あるよ。海水浴もしたことあるし」
「海水浴……と言うと、海に入るのですか? 塩水の中に?」
もし塩水の中に入ったらべたべたになりそうだが、そんなことをする人間がいるのだろうか。ちょっと信じられなかった。
「うん、そう。――あ、エリエノール見てこれ」
ミクが指差す方を見ると、そこには店の看板があった。最近何処かで見たようなデザインだ。
(何処で見たんだったけなー……あっ)
「あら、これは……ジャン様に頂いたバレッタの紙袋にあった社章と同じですね」
「手芸用品店だったんだね。入ってみる?」
「はい」
ふたりはその手芸用品店に入ってみた。
「いらっしゃいませー!」
店にいたのは、綺麗なお姉さんという感じの店員さんだった。黒い髪に青い瞳をしている。
「あら? そちらのお嬢さんは東の方の顔立ちね。珍しいわ」
「はい、私の住んでた国は東の方にありましたよ! もしかしてお姉さんもですか?」
「そうよ、わたしは祖父が東の――」
ミクと店員さんがたちまち東の国話で盛り上がり始めた中、エリエノールはそそくさと店の中を眺めてみた。
西大陸生まれ西大陸育ちのエリエノールは、東の国に関してはちょっと本で読んだことがある程度のにわかなので、あの会話に入れる気はしない。
さすが手芸用品店とあって、店内にはいろいろな種類の生地や糸、リボンやレースやボタンなどがあった。種類ごとにグラデーションになるように並べられていて綺麗だ。
エリエノールも手芸が趣味なので、こういうものを見ると心躍る。
(あら――?)
ふと、店の一角に目が留まった。外からも見えるガラス張りのショーウィンドウの部分と、その横にある棚の方だ。
そこには手芸の材料ではなく、装飾品が並べられていた。ジャンもここからあのバレッタを選んだのかもしれない。
(見てみよ)
とたたたと、装飾品の置かれているところに近づいた。
(東の国の……細工物かしら?)
特に興味を引かれたのは、布で作られた小さな花たちだった。生地の質感からして、東っぽい気がする。
細かくて作るのが大変そうだが、いったいどうやって作っているのだろうと、まじまじとそれを眺めた。
「あら、それが気になるの?」
食い入るように眺めていたからか、店員さんに声を掛けられてしまった。途端に緊張して、鼓動が速くなる。
(わあぁ、話しかけられちゃった)
「あっ、その。えっと。このお花の……細工物は、どうやって作るのですか?」
「製作の方に興味があるのかしら? これはサクラノ国の〝つまみ細工〟ね。ユカリさんって人の作品。来るのはいつも旦那様だけど」
サクラノ国は、東の方にある小さな島国だ。国土面積は小さいが豊かな国で、巷では〝黄金の国〟なんて呼ばれていたりもする国である。
「作品……? 商品ではないのですか?」
「ああ、一応売り物よ。ここで売っている装飾品はね、お客様が手作りしたものなの。お客様が作ったものをうちに持ってきて、わたしが気に入ったらこの棚やショーウィンドウに並べてる。売れたら一割は場所代としてうちがもらうけど、九割は製作者様の儲けね。お金は次にいらっしゃったときにお渡ししたり、送金したりもしてる。この装飾品目当てでこの店来る人もいるの。お嬢さんも、良いものできたらうちで売ってみる?」
「この子、手芸得意ですよ! すごく良いもの作るんです!!」
「えっ、何故ミクさんが」
面白いシステムだと感心していたら、急にミクが後ろからエリエノールの肩を掴んで宣伝しだした。何故ミクが自信満々なのだろう。
「だってエリエノール、サージュスルスでも手芸で作ってたの売ってたんでしょ?」
「そうですけど……あれ、ミクさんにその話しましたっけ?」
エリエノールは引きこもっているとき、よく手芸をしていた。養母に勧められて暇潰しに始めたのだが、作るのは大抵商品だった。
詳しくは知らないが、家の事業か何かの店に売るものの一部を作っていたようだ。書類の指示に従って、スカートやシュミーズなどの服を作ったり、ハンカチやリボンに刺繍をしたりしていた。
――が、これをミクに話した記憶はない。何故知っているのだろう。
「そりゃあ小説からだよ。成人祭でもその――いや、ネタバレはやめとく。とにかく、この子は手芸得意です。あ、ほら、今エリエノールが結んでるリボンも自分で刺繍したのでしょ? ついでに今お金に困ってて働き口を探しています」
成人祭の後の言葉が何だったのか気になったが、店員さんがエリエノールのブラウスの胸元に結んでいたリボンタイに食いついたので尋ねることができなくなった。なんだかミクの思い通りに進まされている気がする。
「見たところ、サージュスルスの伝統刺繍ね。あれ、細かくて大変よねぇ。……貴女、結構やるじゃない。その腕なら今度何か持ってきたらうちで売ってあげるよ。働きたいなら売り子もやる?」
「えっ、本当ですか?」
「うんー、いいよ。可愛子ちゃんだから客引きになるし? 予定話そっか――」
その後いろいろと話をして、とんとん拍子にエリエノールは無事に臨時就労先を獲得した。
月に数回、登城などの予定のない休日に売り子として働き、手芸で作ったものも良ければ店で売ってもらう。初仕事は来週の土曜日の予定だ。
(なんか、うまく行きすぎてびっくり)
何も買わないで帰るのも申し訳ないので、店員さん――ナミに勧めてもらった数枚の色鮮やかなはぎれを購入した。ナミも多少はサクラノ国のつまみ細工の知識があるらしく、基本的なやり方を教えてもらった。
こうして思わぬ収穫まであったエリエノールは、はぎれと塩と薬草と油を抱えてたいへん珍しくるんるん気分で学園へと戻った。
最初はうじうじしていたが、終わり良ければすべて良し。とても楽しい一日だった。




