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虫食い姫は隣国の王太子殿下から逃れたい。  作者: 幽八花あかね
隣国の王太子殿下から逃れたい。1章

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02. エスコートと夢 (近い近い近い……)

 


「あの……わざわざ殿下に送っていただく必要は、ないと思います」


 真紅のカーペットが敷かれた王城の長い廊下を、ふたりの男女が歩いている。

 女の方がエリエノールで、男の方はサイードだ。

 

 今すぐにでも、この手を振り(ほど)いて逃げ出したい。


(緊張する……無理……!)


 眉目秀麗王太子サイードにエスコートされる元引きこもり侯爵令嬢エリエノールの心は、緊張のせいで荒れ狂っていた。

 

 なんてったって、引きこもり歴は八年だから。


 七歳の頃から部屋に引きこもり始め、使用人とも滅多に関わらず、身近な男性である養父とだって今日屋敷を出るときに初めてまともに話したくらいのエリエノール。


 男性への免疫なんて全くない。男性という生き物に触れたのは、今日のサイードが初めてだった。


(背高いし声低いし、きっと力も強いから、怖い)


 男の人は、得体が知れない。

 エリエノールにとってはほとんど未知の生物だ。

 だから怖くて、めちゃくちゃ緊張する。

 

 先程神殿に行くときに人生で初めてエスコートされたが、緊張しすぎてずっと手が震えていた。

 ちなみに今も(かす)かに指先が震えている。


「何を言う。そんなに僕のことが嫌なのか?」

「決して、嫌ではありせんが……。その、ご迷惑かと思いまして」

「迷惑などではない。女性をエスコートするのは、男として当然だ」

「……そう、ですか」


 紳士は淑女をエスコートするもの。

 そういう知識だけは本を読んで頭に入っていたが、いざ自分がレディのように扱われると違和感しかなかった。


 しかも、相手が出会って数十秒で剣を向けてきた人となればなおさらだ。


 この恐ろしい生き物が隣にいるせいで、ゆっくり慎重に食事をとったというのにキリキリと胃が痛い。

 胃痛のことは杞憂にはならなかった。


「ところで、食事はどうだった?」

「……とても美味しかったです」


 感動して泣きそうになるくらい、美味しかった。


「それなら良いが。ふむ、よく分からないな」


 彼が何をよく分からないと言っているのかが分からなかったので、きっと独り言だろうと聞かなかったことにする。


(わたくしも、貴方のことがよく分かりません)


 彼が剣を向けてきた理由も、悪口を言われた理由も、そのときのエリエノールには知る由もなかった。


 会話はそこで途切れ、自分の対応が大丈夫だったのか自信がなくてなんだか気まずさを感じる。慣れない会話は本当に大変だ。


 しばし無言で、廊下を歩いていく。




「あ、すまない。間違えて通りすぎた」


 そんな声とともにサイードは足を止め、すぐさまぐるりと進行方向を変えた。


(え、いきなり? ――あっ)


 慌てて付いていこうとしたものの、足がもつれてドレスの裾を踏んづける。

 突然の方向転換に対応できるだけの臨機応変さは、残念ながら備わっていない。

 歩くことも少なかった元引きこもりは、足の筋肉が弱いのだ。


 ぐらりとバランスを崩して、床の赤いカーペットとの距離が近づいていく。

 ドレスの艶やかな青色とのコントラストがやけに鮮やかだった。


(本当に、華やかすぎるドレス)


 エリエノールはこの国に、王の妃嬪(ひひん)候補という()()で連れてこられていた。

 サージュスルス王国に神の祝福のことを気づかれることなく囲うため、リュウールシエル王国は()をついたのだ。


 特別な力のある者ではなく、ただの女に見えるように。

 王に嫁ぐ女に見せかけるために着せられた、華やかな青色の花嫁衣裳のようなドレス。


(やっぱり似合わないな――)




「――わっ」

「っと……大丈夫か?」


 サイードがすんでのところで正面に回り、エリエノールは転倒を免れた。

 体勢を立て直すこともできずぼんやり考え事をしていた鈍くさいエリエノールと違い、サイードの動きは俊敏だ。


(柑橘っぽい香り……?)


 空気とともに吸い込んだその香水のような匂いで、はっと彼との距離の近さに気づいた。

 エリエノールは今、彼の胸に軽くもたれかかるような体勢だ。しかも彼の手は、支えるためではあるがエリエノールの腰に触れている。


(近い近い近い……)


 ドレスの布越しに彼の体温を感じ、その温もりを意識するとより密接になっていると感じた。

 エスコートで手を重ねるのすら緊張してしまうエリエノールには近すぎる距離感に、転びそうになったせいもあって心臓がばくばくと言っている。


 ふと上を見上げると、オレンジ色の瞳とぱちりと目が合った。

 不思議な綺麗な色――だなんて、そんなことを考えている場合ではない。


(近い、無理、無理ぃ……!)


 その瞬間、反射的に思いっきり身を引いた。

 これ以上くっついていたら心臓がどうにかなってしまいそうだったのだ。

 人と間近で目を合わせるのも、なかなかに怖い。


 後ろ歩きで一気に五歩くらいは離れたと思う。

 そのせいでまた転びそうになったが、今度はどうにかぎりぎりのところで持ちこたえた。


 みっともない姿を晒してしまったのは少し恥ずかしかったが、その前の密着の恥ずかしさと言ったら比べ物にならない。


「あ……はい、大丈夫です。わたくしの不注意で、すみませんでした。殿下」

「僕の方こそ、すまなかった。もう少し気にかけるべきだったな」


 さほど今のことを気にしてなさそうにサイードは言い、エリエノールの方に歩み寄ってきた。

 まだ部屋に着いていないからエスコートを再開する気なのだろう。


(手重ねるだけで緊張するのに、人の気も知らないで)


 そりゃあ、知るはずもないことだが。

 エスコートなんてされずにひとりで歩きたい――なんて、たった今転びそうになった人が言えることではないだろうか。


 ゆっくりと、再びその手を取った。

 温かくて、大きな手だ。




「こっちだ」と言うサイードに付いて歩いていくこと、十数歩。

 ひとつのドアの前で立ち止まった。


「ここが君の部屋だ。疲れたであろうし、ゆっくりと休むと良い。では、おやすみ」

「今日はありがとうございました。……おやすみなさいませ、王太子殿下」


 部屋の前で別れ、エリエノールは後ろで控えていた女性宮廷魔導士と共に部屋に入り、サイードは従者と共に歩いていった。


 護衛兼侍女の宮廷魔導士が着替えの手伝いを申し出たが、エリエノールはそれを断った。

 侍女がいなくても身の回りのことは自分でできるように七歳の頃に養母である侯爵夫人から教育されたので、ある程度のことは自分でできる。


 それに義姉の暴力によって体には醜い数多(あまた)の傷痕があるので、女性相手でもおいそれと人に体を見せることはできない。

 新しい地で生活を始めるからには、虐待されていた過去はできることなら隠したいことだった。


 二言三言(ふたことみこと)会話した後彼女が部屋から去っていくと、ほっとため息をつく。

 今日はいろいろなことがあったからかなり疲れた。


 重いドレスを脱ぐのには少し苦戦したが、無事に体から離れると心地良い開放感を得られた。

 ひとりでいるときのシュミーズ姿は、とにかく楽だ。


 浴室にある洗面台で歯を磨き、寝室のベッドに入る。ふかふかの布団はとても快適だった。ここ数日寝ていた地下室の床とは大違いだ。


「今日は、いろんなことがあったなぁ……」


 天井を眺めながら、ひとり呟く。


 今朝はサージュスルス王国のランシアン邸の薄暗いじめじめした地下室で目覚めたのに、今ではリュウールシエル王国の王城の豪華な一室で眠りにつこうとしている。

 これがいわゆる雲泥の差というものだろうか。


 新たな地に、新しく出会った人々。

 これからはじまる、新しい生活。


 思うことはいろいろあるし不安だが、ここでどうにかやっていくしかない。


(うん、頑張ろう)


 エリエノールは目を閉じ、ゆっくりと微睡(まどろ)んでいった。


 そして、夢を見た。


 今まで屋敷で言われた言葉とその時の景色が代わる代わる頭の中にちらついて響いてくる、そんな懐かしい夢。





『おいで! エリエノール』


『ネル姉さま、まってください』


『わたくしが手をつないであげるわ、エリエノール』


『ヘレナ姉さま、ありがとうっ』



 まだ幼い頃のこと。


 屋敷の室内に引きこもりになる前、庭園で義姉のヘレナとネルと遊んだ。


 花壇の花を見て、お茶会をして……。楽しかった日々の記憶、だ。




『エリエノール。貴女はね、()()()()()()()()使()()()()の』


『お母さま……』


『魔法のことは、口に出してはいけません。決して外に出てはいけません。貴女の身が危険に晒されるやもしれないのですよ』


『……はい』


『わたくしと一緒に、頑張りましょう。人と関わらなくて済むように、ひとりでも生活できるようにしないといけないわ。ね、エリエノール』


『はい、お母さま。頑張ります』



 奇病にかかっていると分かり、いろいろなものが変わった日のこと。

 

 幼いエリエノールは、養母の言葉が嘘だなんて知らなかった。


 長い引きこもり生活の幕開けだ。

 

 まだ、この頃は良かった。




『姉様っ、痛いです。やめてください』


『あんたがお母様に迷惑をかけるから、お母様は倒れてしまったのよ!』


『報いを受けなさい! 全部あんたのせいよ!』


『い、痛いっ! や、姉様……』



 養母が倒れて、ヘレナとネルがエリエノールを虐め始めた頃のこと。


 かつての優しい義姉(あね)の面影はなく、ふたりはエリエノールを傷つける者になった。


 痛くて悲しくて辛くて、何度も泣いた。




『――末のお嬢様は、侯爵様の実の娘ではないのよね?』


『侯爵様はお嬢様がお嫌いなのに、何故屋敷に住まわせているのかしら。早く追い出せば良いのにね』


『正直、お嬢様のお部屋に本や食事を運んだりするのも面倒。あの部屋遠いのよ』


『奥様も物好きよね。何故お嬢様を可愛がっていらしたのかしら』


『不治の病だっていうなら、さっさと死んでしまえば良いのにね。あ、お嬢様の方のことよ』


『病といえば、奥様は――』



 ある日ヘレナとネルに命じられて、ふたりの荒らした部屋の片付けをさせられていた日のこと。


 廊下でメイドたちが話す声が聞こえてきてしまった。


 メイドにすら疎まれているという事実は、(すさ)んでいた心をさらに抉った。




 ……そして。



『なんで……? お母様に、お別れ……してないのに』



 メイドが部屋の前に置いた紙片に短く綴られていた、養母の死の報告。


 エリエノールの知らない間に亡くなり、葬儀も済まされたとのことだった。


 何年も会えなかったこと、お別れができなかったこと、病状すら教えてもらえなかったこと、亡くなったことも葬儀後に伝えられたこと。


 それらが悔しくて、やるせなくて、ひどく悲しかった。




『あんなのを、養女にしたくはなかったんだ』


 初めて聞いたのがいつだったかも思い出せないような、何度も侯爵が言っていた言葉。


 直接面と向かって言われたことはなかったが、幼い頃はしばしば廊下などで聞いてしまうことがあった。


 自分は侯爵にとっていらない子なのだと、この言葉を聞くとそう思った。




『死ねばいいのに』


 そして、ヘレナとネルと一部のメイドが言っていた言葉。


 何よりも、聞きたくない、自分がこの世界にいらない人間なのだと感じさせる言葉――……






「……変な夢」


 まだまだ夜中だというのに、目が覚めて起き上がった。懐かしくて、なんだか少し後味が悪い夢。


 ぼーっとしていると、ベッドがギシリと軋むのが聞こえた。


(あれ……?)


 暗闇を眺めて、はっと目を見開く。

 ぼんやりと人影がいるのが見えたのだ。


 人影はこちらに近づいてきて、とんっとエリエノールを押し倒した。



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