15. お喋りしながら山登り 「殿下がご執心なのも頷ける」
今日は、合宿一日目。
高等部一年生は朝から山へと向かい、山の上にある訓練館を目指して歩いていた。
山の麓まではクラスごとにまとまって列になって向かい、一旦集合した後にペアごとにそれぞれのペースで訓練館を目指して歩き始めるということになっていた。
もちろんエリエノールはサイードと一緒に歩いていた。――先程までは、の話だが。
「殿下、一緒に行きましょう!」
「ねぇ、殿下。館に着いたら飛行魔法練習を一緒にしません?」
「殿下、明日の舞踏会では――」
ペアごとの山登りを開始するや否やサイードは、きゃあきゃあと姦しくしている女子生徒に囲まれた。
(うるさいなぁ……)
開始数秒でペアはかなり崩壊し、現在エリエノールは弾き出されて、ひとりぽつんと女子生徒の塊の少し後ろを歩いているところ。ちなみにミクも先程あの塊の中に入ったはずだ。
(やはりミクさんも、殿下のことがお好きなの?)
サイードと話すときのミク、〝サイード様〟の話をするときのミク。どちらのミクも頬を朱色に染め、たいそう嬉しそうにしているのだ。そこから予測できるのは当然、彼への恋心だ。
「災難ですね、エリエノール様」
「アベル様……」
後ろからエリエノールに声を掛けてきたのは、ミクのペアのアベルだった。話しかけながら隣を歩いてくる彼とは、あまり仲良くはないのでやや気まずい。
けれどひとりで歩くよりはましだろうと考え、頑張って話してみることにした。いろんな人と仲良くなるためには、気まずさも乗り越えなくては。
「ミク嬢が猛ダッシュで去っていったので追いかけてみれば、殿下のせいだったのですね。あそこにいる他の女子生徒のペアの男子たちは、後ろの方で何グループかに分かれて歩いていました」
「そうなのですね」
少し後ろを振り向いて見れば、男子だけで歩いている数名が目に入る。ペア制度なんて、もしかしたらほとんどみんな守っていないのかもしれない。
現にエリエノールだって、ペアでもないアベルとふたりきりで歩いている。
「この合宿での山登りって、毎年ペアなんてあってないようなものなんですよ。最終的に館に着いたときに揃っていればお咎めなしですし、だいたい館の直前に相手を見つけて合流する感じです」
「そうですか。では、わたくしは安心して殿下から離れていることができます」
(殿下とは離れたかったし、みんなも規則守ってないならそれでいいや――って、アベル様また笑ってるのね)
何が面白かったのか、アベルはけらけらと笑い声を上げていた。関わりはそう多くないのに、彼の笑い声はよく聞く気がする。
(笑い上戸なのかな?)
「はははっ、エリエノール様は素っ気ないですね。殿下がご執心なのも頷ける」
「何のことです?」
「いや、殿下って普段エリエノール様にちょっかい出してるでしょう? あれ、構ってもらいたくてやってるんですよ。殿下は女性に冷たくあしらわれるのには、慣れていらっしゃらないですから」
「へぇ、そうだったんですね」
たしかに前方を歩いているサイードは女子生徒に囲まれてちやほやされているし、きっと幼い頃から周りの女性はみんなああだったのだろう。
(あんなにたくさんの女の子を虜にさせちゃって、罪なひと)
きらきらしい笑顔を見せる麗しい王太子殿下を見ても無愛想な女性など、エリエノールくらいしかいなかったらしい。
アベルのおかげで、サイードがやたらと絡んでくる理由が少し分かった。つまりエリエノールは珍獣扱いで絡まれているのだ。
(女のくせに、僕をちやほやしないなんて生意気な――みたいな?)
「あ、殿下に睨まれています。どうやら殿下はわたしがエリエノール様の隣にいるのがお気に召さないようです。心狭いですね」
アベルに言われて見てみると、たしかにサイードが不機嫌そうにこちらを睨みつけている気がした。次いで、隣にいるアベルを見る。
(なるほど、納得)
「アベル様が隣にいらっしゃらないから、殿下は寂しいのですね。アベル様、殿下のおそばに行かなくていいのですか? わたくしはひとりで構いませんよ」
「ちょっと解釈違いみたいですが、一応少し殿下の様子を見てきますね。ミク嬢の方も。エリエノール様、どうか足元等お気をつけください。では」
「はい。アベル様もお気をつけて」
アベルは早足でサイードの方へと向かっていった。これでサイードの機嫌も少しは良くなるはずだ。めでたしめでたし。
ひとりのんびりと歩いているとサイードたちとの距離はどんどん離れていき、後ろの人たちにもどんどん追い越されていった。
「エリエノールさん、おひとりですの?」
「はい、そうです。ごきげんよう、レティシア様」
少しすると、後ろからレティシアが話しかけてきた。彼女はペアのロジェと共に歩いていて、そのふたりの後ろにはいつも彼女と一緒にいる女子生徒四人組とそのペアが歩いていた。
ここは真面目にペア制度を守っていて、十人でまとまって歩いていたようだ。
(さすがレティシア様、模範生ですね)
「それなら、わたくしたちと一緒に歩きましょう。ここにいる令嬢はわたくしの友人ですから、きっとエリエノールさんとも仲良くなれますわ」
「……では、お言葉に甘えて、ご一緒させていただきます」
レティシアとは多少会話したことがあるものの他の人たちとの会話の経験は皆無だ。クラスメイトだが、顔と名前を把握している程度の関係。
なんか不思議な組み合わせだなと思いつつ、彼女らと歩いていくことにした。
(仲良くなれるかな?)
「――ロジェ様には、ご友人が、いらっしゃらないのですね」
「ええ、そうなの。勉強ばっかりで、人との関わりなんてどうでもいいって言うのよ。ねえ、ロジェ」
「ああ。人付き合いなんて仕事にはたいして必要ないだろう。レティシアこそ、友人関係はあまり得意じゃなさそうだがな」
「貴方に言われるなんて心外よ」
エリエノールは、主にレティシアと会話していた。ときどきあまり接点がない他の令嬢やロジェも会話に入ってきたが、それなりの対応はできたと思う。エリエノールにしては頑張った。
山登りを始めて、もう一時間半くらいは経っただろうか。口を動かす元気はまだかろうじてあるものの、みんな顔に疲労の色が見えはじめていた。エリエノールは、息が少し苦しくなって足が痛くなってきた頃。
(ちょっときついかも……)
そんなとき、ひとりの令嬢が声を上げて立ち止まった。
「あぁっ!!」
「どうしたの? カリン」
突然大声を上げたカリンは、レティシアの友人のひとりだ。スカートのポケットをまさぐりあたふたとしている。そして、いかにも深刻そうな顔をした。
「ああ、どうしましょう」
「何かあったの?」
「お父様から頂いた懐中時計を、何処かに落としてしまったみたいなのです。さっき物音がしたので、そのときかも……ああ、なんてこと……」
(なんか、大袈裟だなぁ)
そのわざとらしい慌てふためきぶりにやや白けてしまったのだが、それはエリエノールが薄情なだけだろうか。カリンのことは、よく知らない。
おそらく懐中時計とやらが大事なものだろうことは分かったが、だからと言ってエリエノールがどうにかできるものでもない。
(カリン様はどうなさるのかしら?)
――なんて呑気に考えていたら、いきなりカリンに手を掴まれた。
「……え?」
「エリエノール様、探すのを手伝っていただけませんか? 他の方々に先生に知らせてもらって、わたくしとエリエノール様で時計を探してはいけませんか?」
「あの……何故わたくしが?」
別に、時計を探すのが嫌だとか面倒くさいだとかいうわけではない。
(仲良くないですけど、わたくしで良いんですか?)
エリエノールなら、まだ親しくない人に自分から進んで関わろうなんて夢にも思わない。まあ、だから友人が増えないのだが。
「エリエノール様は、飛行魔法訓練は見学なのでしょう? だから多少遅れても差し支えないかと思ってエリエノール様に頼みたかったのですが……駄目ですか?」
カリンが瞳を潤わせて見つめてくる。こう来られると断りにくい。結局エリエノールも女の涙には弱いのだ。
(どうしよっかなー)
たしかに後の行程を考えれば、カリンの言う通りエリエノールは暇だから失せ物探しをするのに適任だろう。
しかし気になるのは、この山登りでの規則だ。頭の中にふと銀髪の青年の姿がよぎる。