14. 明日から合宿が始まります ( ……はっ! もしや天使なのでは!?)
合宿編スタート!
学園の生活に少しは慣れてきたと思う今日この頃。入学から一ヶ月が経ち、今は五月だ。
高等部一年生には五月初旬にとある行事がある。
「明日から三日間、合宿が行われます。例年通り初日の明日は朝から山登りです。かなり歩くことになりますので、今日は早く寝て明日に備えましょう」
――そう。明日から合宿が始まるのだ。
帰りのホームルームが終わるとエリエノールはミクと共に教室を出た。合宿前日なので今日は放課後の追加授業はない。
ミクは明日からの合宿が楽しみなのかるんるんと浮き立っていたが、エリエノールはやや気が重かった。
「あの、ミクさん。お聞きしても良いですか?」
「ん、何?」
「ミクさんは、山に登ったことってあります?」
「うん。学校では、小学校のときの林間学校とー、中一のときの遠足。家族でも何回か行ったことあるよ」
「……そういえば、ミクさんのいた世界ではみんな小学校と中学校に通うのでしたね。すっかり忘れていました」
ミクの答えを聞き、さらに気が重くなった。初めての学校行事に一緒に緊張してくれる同士がいない。
ひと月まえに八年ぶりに外に出たエリエノールは、高等部から初めて学校に通い始めた。初めての学校、初めての授業――そして合宿は初めての学校行事だ。
共に特待生として入学したミクも〝初めての学校行事仲間〟だとつい先程まで思っていたのだが、エリエノールが失念していただけでミクはこの世界に来る前にすでに学校に通っていたのだった。
ひとりだけ初めてで緊張するし、山登りへの不安にも共感してもらえない。
他のみんなは中等部からこの学園に通っているのだから学校行事なんて慣れたものだろう。初めての学校行事に緊張してドッキドキなのはエリエノールだけだ。
どうしようもない孤独感にため息をつき、先日の古代魔術の授業のときにルイズとエレーヌから聞いたことを思い出した。
「聞いたところによれば、初日はだいたい三時間から五時間くらい歩くそうです」
「意外と大変そうだよね。貴族のお坊っちゃんとお嬢様が通う学校だってのに、そんなハードなことやらせるんだねぇ」
「ええ、飛行魔法の便利さを実感できるようにするためですのよ」
「そうなんだーって……え、誰――うげっ」
ふたりの会話にいつの間にか第三者が入ってきていた。その正体を見てミクがたいへん失礼な声を上げる。
(『うげっ』なんて言わないの!)
そんなミクを軽く睨みつけた後、エリエノールは会話に入ってきた令嬢に挨拶をした。普段は話したくてもなかなか話せる機会がない彼女がこちらに話しかけてきてくれたことが嬉しい。
「ごきげんよう、レティシア様」
「ごきげんよう、エリエノールさん。ミク嬢も、ごきげんよう」
やってきたのはレティシアだった。今日もとても美しい。
(神々しいです。綺麗です。目の保養になります)
美しい彼女のことが、エリエノールの学園生活での心の癒しのひとつになっている。ミクも、ふてぶてしくレティシアに挨拶した。
「……ごきげんよう。今日は取り巻――いえ、ご友人は?」
「合宿の支度が終わっていないから先に部屋に戻りたいと伝えました。おふたりも寮に戻るところでしたら、ご一緒しても良いですか?」
「はい、喜んで。ミクさんも良いですよね?」
「……うん」
ミクがあからさまに不機嫌そうな声で答えた。なんで来たんだと言わんばかりにレティシアを睨みつけているが、エリエノールの方がひやひやするから、やめて欲しい。
レティシアはミクのそんな様子に気づいていないのか、あるいは気づいていても気にしていないのか、優雅に微笑んだままだ。
「おふたりのお話を邪魔してしまったならごめんなさい。悪気はありませんの。そうだわ、おふたりはこの学園についてまだあまり知らないでしょう? 何かありましたら、わたくしにお聞きください。寮のお部屋も同じ廊下に並んでいる仲です」
(ほら見ろ!)
大声でそうミクに言ってやりたくなった。レティシアには、微塵も悪役令嬢らしさはない。
(レティシア様お優しい。……はっ! もしや天使なのでは!?)
彼女の何処が悪だというのか全く理解できない。学園生活に不慣れなエリエノールやミクのことを何やかんや気にかけてくれるレティシアは、きっと心優しい令嬢だ。
「ありがとうございます、レティシア様。さっそくですが、合宿の山登りについて伺ってもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。何かお困りですか?」
「……わたくし、この学園に来るまでの数年間は外に出たことがなかったんです。だから体力に自信がなくて、山登りもしたことがないので不安で……」
リュウールシエル王国に来て約一ヶ月。引きこもっていたときと比べたら体力はついたと思うが、まだまだ人並み以下だ。何時間も歩ける気はしない。
「あら、そうでしたの。でも、山登りなんてほとんどみんな未経験ですわ。貴族のお坊っちゃんやお嬢様は、普段は何時間も自分の足で歩いたりはしませんから」
「そうなのですね。少し安心しました」
「この合宿の山登りは、不安に思う人は他にもいると思います。何と言ってもこれは、わたくしたちに苦労をさせるためのものです。飛行魔法の便利さを実感させるために、あえて先に苦労させるのです。面白いですよね」
「なるほど」
この合宿は二泊三日開催。一日目は朝から山登りをして、宿泊する〝訓練館〟という学校の施設のひとつに向かう。館に昼頃に着いたら、午後は飛行魔法訓練だ。
飛行魔法は、魔導師になるには使えなくてはならない魔法のひとつ。平民でも使える者が多く、魔法道具を用いるのなら比較的簡単な魔法で、一番主流なのは魔法道具の箒に乗って飛ぶものだ。
「飛行魔法訓練とは言っても、だいたいみんなすぐにできるようになるか、もう習得しているかですけれどね。エリエノールさんは見学でしたっけ?」
「はい。わたくしは魔力を封印されているらしいですから」
エリエノールは魔王に魔力を封印されているらしいので、魔法は全く使えない。つまり飛行魔法もできないので見学の予定である。
(早く魔力が解放されたら良いのに)
「ミク嬢は、訓練に参加なさるのでしょう? 何かお手伝いできることがあればお手伝いしますわ。わたくしはもう飛べますから」
「……どうも」
(さすがレティシア様、もう飛べるのですね。それに、こんなふてぶてしいミクさんにもお気遣いを……!)
優しい彼女は、やはり天使様か女神様なのかもしれない。
「エリエノールさんも、魔力が封印されていると大変ですわね。早く解放されると良いのですけれど。……あら、お喋りしていたらいつの間にかお部屋の前でした。ではこれで。また明日お会いしましょう」
「はい。また明日」
(『早く解放されると良い』って、わたくしもさっき同じこと考えてた!)
ただちょっと同じことを考えていたというだけなのに、なんか嬉しい。
手を振ってレティシアと別れ、自分も部屋に入ろうとすると後ろからミクに腕を掴まれた。ミクは不機嫌そうな顔だ。
(レティシア様がいらっしゃると、ミクさんって存在感薄くなりますよね)
いつもと違って口数が少なくなるので、つい存在を忘れそうになる。
「エリエノール」
「はい、何ですか?」
「エリエノールって、いま虐められてるよね?」
「……いいえ?」
何のことだかさっぱりだ。自分が虐められてる自覚など微塵もない。
たしかにサイードとペアだからか嫉妬されているような気はするが、特にこれといって何かされるでもなく、それなりに毎日楽しく過ごしているつもりだった。
「いや、ちゃんと思い出してよ」
(思い出すも何も、記憶にございません)
「虐められてませんって。何故そんなことを突然?」
「明日の合宿。小説だと、エリエノールが突き飛ばされて怪我するから」
またミクのいた世界にあった小説の話だ。〝エリエノール〟が〝サイード様〟に恋をする小説だが、現状エリエノールはサイードに恋をしていない。
しかしミクは、小説の展開が現実になると――むしろこの世界が小説の中の世界だと――完全に信じているのだろう。
(たしかに小説のことは気になってるけど……)
だからと言って、全部が全部小説通りの展開になるとは思えない。ここは現実のはずだから。
「わたくしを心配してくださっているのですか?」
(ミクさんが心配してるのは〝サイード様〟と結ばれる小説の〝エリエノール〟のことでしょ? それはわたくしじゃない)
「そりゃあ、そうだよ。だってエリエノールはサイード様の運命の相手だから大事だし、わたしの友だちじゃん」
「友だち……?」
運命の相手云々はどうでもいいが、そんなことより「友だち」という言葉の方が今のエリエノールの心には引っかかった。頭の中でその言葉を反芻する。
(友だち……友だち……友だち……)
固まったエリエノールを見て、ミクが不安そうな顔をした。
「え、友だちだよね?」
「ああ、はい。わたくしとミクさんは友だちです。ええ。……言葉にすると、なんか照れますね」
思わず微笑が漏れる。心の中ではミクは友人だと前から思っていたが、こうして改めて言葉にすると照れくさい。口元が緩んでしまう。
(友だちかぁ……)
こんな自分にも友だちと言える存在ができたのだと改めて思うと、顔がにやついてしまった。
(ミクさんが心配してくれたのは、『ミクさんの友だち』のわたくしだった)
「エリエノールが笑ってるの珍しいよね。もっと笑いなさい。可愛いんだから」
「はい、善処します。ご心配ありがとうございました。気をつけておきますね」
「うん、また明日ね」
「はい。また明日」
そうしてふたりは別れ、それぞれの部屋に入った。明日の支度や確認その他諸々を終え、エリエノールは比較的早めにベッドに入る。
明日は合宿で、初めての学校行事だ。早く寝ようとしたのにも関わらず、緊張であまりよく眠れなかった。