11. 魔法陣 燃ゆる炎と あたたかさ 「エリエノール嬢、可愛い」
「すみません。その……緊張して、笑えなくて。本当に、申し訳ございません」
「いや、別に良いんだよ。そんな謝って欲しいわけじゃないし、笑わないことが悪いってわけじゃないよ。でも、エリエノール嬢の笑顔、いつかは見てみたいって思う。――そうだよな、ユーゴ?」
ジャンがユーゴに話を振った。ユーゴはダークグレーの髪に深緑色の瞳をした青年だ。
「たしかに僕も見てみたいとは思うよ。そういえば、ジャンはエリエノール様相手でも馴れ馴れしいよね。言葉遣いを改めようって気はないの?」
「ないね。これが俺のやり方だ」
「エリエノール様、嫌だったら嫌と言って良いのですよ? 放っておくと、こいつどんどん調子乗りますし」
「いえ、嫌ではありません。お気遣いありがとうございます、ユーゴ様」
ジャンの馴れ馴れしい話し方はむしろ話しやすいし、ユーゴとも話すのは緊張はするが全然嫌ではないし、ふたりと話すときに怖いと思うこともあまりない。
何処かの誰かさんとは違って、勝手に触ってきたりいきなり距離を詰めてきたりしないからかもしれない。
ユーゴとジャンのふたりは中等部時代からずっと同じクラスで、仲が良いという。ジャンはバルドー伯爵家の次男で、ユーゴはグリーン伯爵家の長男だ。
エレーヌから何回か前の授業で聞いたことだが、ジャンは〝気さくな馬鹿〟で、ユーゴは〝優しい癒やし系男子〟。
ジャンはそのフレンドリーさで、ユーゴは優しい包容力のある微笑みで、一部の女子生徒から人気を得ているらしい。たしかにふたりはきっと人気だろうなとエリエノールも思う。
「Aクラスと言えば、やはり王太子殿下が女子生徒たちの憧れの的でしょうね。エリエノール様は、どなたか気になる殿方はいらっしゃいますか?」
瞳をキラリと光らせ、エリエノールにそう聞いたのはエレーヌだ。灰色の瞳を持ち、黄土色の髪をふたつに分けて三つ編みにしている。
数回授業を一緒に受けて分かったことだが、彼女は恋のお話が好きらしい。
しかし残念ながらエリエノールは恋愛に対する恐怖はあれど興味はないので、彼女の期待に沿えるような話はできる気がしなかった。
(ごめんなさい、エレーヌ様)
王太子殿下ことサイードにも、今のところ全く心惹かれていない。
傷痕を治してくれたことには感謝しているし少しは慣れたつもりだが、やたらと触ってくるところやだいたい不機嫌そうなところ、何がしたいのか分からないところは怖い。
(殿下といると、未知の魔物を相手してるみたいな気分)
と言っても、実際に魔物を見たことはない。だって引きこもりだったから。
「特におりません。恋愛に興味はありませんし、王太子殿下にも全く惹かれません」
「そうなのですね。ルイズ様はどうですか?」
エレーヌが今度はルイズに話を振った。
ルイズは緑色の瞳と、肩のあたりまでの長さの軽くウェーブした煉瓦色の髪を持っていて、カチューシャと眼鏡を身に着けているのが特徴的な令嬢だ。
「わたくしも、学園には特に気になる殿方はおりませんわ。領地の方に婚約者がおりますし」
「ああ、そういえばそうでしたね。年上の幼馴染でしたっけ?」
「ええ」
領地にいる婚約者のことを思ってか、ルイズは頬を染めて微笑んだ。恋する乙女とは、きっとこういうことを言うのだと思う。
(恋してる表情って、可愛いな)
「ルイズ様が羨ましいです。はぁ……わたくしも早く婚約者が欲しいですわ」
ため息をついているエレーヌは、婚約者はまだいないが結婚願望はあるらしい。最近の結婚は親が決めた婚約者と――というのばかりだけでなく、恋愛結婚も一般的になりつつある。
恋愛感情も結婚願望も理解できないエリエノールは、ただただルイズとエレーヌがすごい人のように見えた。自分より先を歩いているような、そんな気がした。
(恋愛とか結婚とか、わたくしはできなそうだなぁ……)
「皆さん、魔法陣は描き終わりましたね。今回の発動条件は『紙を破ってから十秒後』に設定したはずです。紙を破いて、耐熱皿の上に落としてください」
先生の指示に従い、それぞれが魔法陣を描いた紙を耐熱皿に落としていく。エリエノールは心の中で十秒数えた。
(……七、八、九、十)
数え終わると、ぼっ、という音と共に皿の上の紙片が燃え始めた。うまくいって良かったと、ほっと胸を撫でおろす。
皿の中で、小さなオレンジ色の炎がゆらゆらと揺れる。エリエノールはその炎を見つめた。
(綺麗なオレンジ色……あったかい)
自分の魔力を使った魔法ではないが、これも魔法のひとつではある。自らの手で描いた魔法陣が魔法に変わる瞬間が、エリエノールは好きだった。
魔術で発動できる魔法の種類は限られているし、陣を描くのには時間がかかる。
それでも魔法を発動できるということは、病で魔法を使えないと言われてから自分には何もできないと思っていたエリエノールの心を慰めた。
たとえ魔力が解放されずとも、これをきちんと学んでうまく使えばこんな自分でも人並み程度の生活は送れるかもしれない。そう思えるのだ。
と言っても、エリエノールの前向きな気持ちなど大抵一時的なもので長続きはしないのだが。
「……」
「魔法発動させた後のエリエノール嬢って可愛いよな。普段から可愛いけど、もっと可愛い」
(え、何て?!)
予想だにしていなかったその言葉に、ひどく動揺した。炎を見るのをやめてばっと顔を上げると、勢いをつけすぎたせいか首がぴきりと痛んだ。
(冗談ですよね……?)
痛む首を手で押さえつつ、爆弾発言をしてきたジャンを凝視してみたが、その表情はふざけているのではなさそうだった。
ジャンが赤茶色の瞳で、エリエノールを真っ直ぐに見つめて言う。
「可愛いよ、エリエノール嬢」
「何をおっしゃるのですか」
(そんな台詞を、よく恥じらいもなく……!)
「可愛い」なんて言葉は、ミクくらいしかエリエノールに言うものではないと思っていた。顔の傷痕は消えたといえ、人には見せないが体には数多の傷痕がまだあるし、体型も痩せぎすで醜い。
ジャンの言った「可愛い」はエリエノールの様子を指しているのであって容姿を指しているのではないと分かってはいるが、そうだとしても自分は無愛想で、可愛いとは程遠いのではないかと思う。
「ジャンは平然とそういうこと言えるんだからすごいよね。まあ、ジャンのその意見には同意だけど」
「たしかに可愛いですよね。魔法に夢中って感じで……。幼い子どもみたいです」
「分かります。純粋だなぁって思いますね。可愛いですよ」
(何ということでしょう)
ジャン以外の三人まで、エリエノールが可愛いということに同意するではないか。碧色の目がまん丸になる。
「そ、そうなのですか……?」
「エリエノール嬢、顔赤くない?」
「え、嘘……!」
自分の頬を慌てて両手で覆った。それを見て、みんなが微笑ましそうに笑う。どうやらからかわれているみたいだったが、それが嫌ではないことに驚いた。
「エリエノール嬢、可愛い」
「恥ずかしいので、そんなにからかわないでくださいませ……」
「本当に可愛いですよ」
空気があたたかい気がするのは、きっと燃えている紙片のせいだけではないだろう。
(なんか、なんか恥ずかしいけど……嬉しい)
自分の存在が人に許されていて、周りがあたたかく接してくれる。人とのこういう関係性にはまだ慣れていない。
(みんなに受け入れられているのが、嬉しい)
本当にほんの少しだけ、口元が緩んだ。あまりにも僅かな変化だから、きっと誰も気づいてはいない。
四人とはクラスが違うから古代魔術の授業以外では一緒にいられない。けれどエリエノールはこの場所に居心地の良さを感じ始めていた。
(これからも、仲良くしたいな)
人との関わりも面倒なだけではないなと、こういうときは思える。