(6) 聞こえなかった言葉
卒業式を数日後に控えたある日。
私は美術室に置いた私物を片付けに、学校に来ていました。
進路が決まっていればもう少し清々しい気分で来れたのでしょうが、美大は、3年生から急に目指して簡単に受かるところではなく、残念ながらこの年の合格発表に私の番号はありませんでした。
決して手を抜いたわけではなく、専門の予備校にも通ったりしましたが、結果としては浪人という道を選ぶことになったのです。
私が学校に片付けに行く事を理恵に伝えると、理恵も美術室に現れました。
「なんか、自分達が卒業するって実感、あまりないなぁ。」
キョロキョロと周りを見ながら、理恵がつぶやきました。
忘れ物をしないようにとあちこちを見て回っていた私は、いつもの椅子にのんびり座っている理恵のところに近づきました。
「そうだよねぇ。これからもここで絵を描くんじゃないか、とか思っちゃう。でも、こうして片づけをしたら、嫌でも卒業を意識するよね。」
「典子は浪人中またここに来て絵を描いちゃうんじゃないの?」
「今年は予備校だね。そこでも描くことあるだろうけど、きっと部活とは全然違う感覚なんだろうな。」
私もいつもと同じ椅子に座り、理恵といつものように並んで座りました。
「ねぇ、理恵はいつから名古屋行くの?」
「卒業式終わったら、引越しするよ。早めに行って準備とかしないとね。」
理恵はこちらを見ないで、机の上を見つめていました。
「私、都内の大学に行くものだと思っていたよ。名古屋って地味に遠いよね。」
「ちょうどね、興味ある授業とか、進路とか考えたら、あ、ここいいなって所だったのよね。それに、受かっちゃったし?」
微笑みながら私の顔を見てきましたが、なんとなく理恵の顔が寂しそうでした。
そして、その顔を見た瞬間、私の胸に痛みが走りました。
「ねぇ、落ち着いた頃、名古屋に遊びに行っていい?」
彼女が一人で名古屋に行く寂しさを感じているのかと思った私は、精一杯明るく、そう伝えました。
ところが、理恵は喜ぶ事もなく、表情を変えずに立ち上がりました。
「あのさ、来年典子が学校受かるまで、お互い連絡しないことにしよ?」
「え?どういうこと?」
「典子には受験勉強に集中してもらいたいなって。私がメールしたり電話したりしたら、邪魔になるでしょ?」
「邪魔だなんて思わないよ!」
私の座っている椅子の近くで、少し距離をおいたまま、理恵は寂しそうな顔で続けました。
「ダメだよ。典子が邪魔って思わなくても、勉強の邪魔になるでしょ?だいいち、私が電話したら、典子は勉強してる手を止めてでも電話に出てくれるじゃない?」
「それは…そう、だけど…。」
「そんなことして、来年受からなかったら、典子だけじゃなくて、私も後悔することになるじゃない? だから、連絡しないの。」
私は、理恵の決意を聞いて衝撃を受けました。
いつもいるのが当たり前だと思っていた理恵が、連絡をしないなんて言い出す…。想像もしていないことでした。
「じゃあさ、休みの時とかにこっちに帰ってきてても、会えないの?」
「会わない。こっちの都合に合わせさせるのも嫌だから。それに、あんまし帰ってこないと思う。」
それを聞いて、私も立ち上がってしまいました。理恵に駆け寄ろうとも思いましたが、足が動きません。
「理恵はそれでも平気なの?」
「平気なわけないじゃん! けど…、私は典子の邪魔したくないんだもん。」
その場から動けない私の代わりに、理恵が近づいてきて、後ろから抱きついてきました。
「ごめんね、私が浪人したから…。」
「夢のためでしょ?仕方ないよ。」
しばらく、理恵は私の背中に抱きついたままでしたが、途中、何かの言葉を言ったような空気の振動を感じました。
「理恵、今何か言った?」
「ううん、何も言ってないよ。」
理恵はまだ離れようとしませんでしたし、私も理恵のぬくもりを感じていたいと思いました。