ガーベラ
ガーベラは、フィーレギオン家に仕える使用人である。
洗濯掃除料理から屋根の修理までなんでもそつなくこなし、長年家の者たちから頼りにされている有能で万能な使用人だ。
彼女は8年ほど前にこの家にやってきた。
この頃ちょうど前務めていた家から暇を出され、次の仕事を探していた時に、長女クリスカの出産に際してレンリが出した募集を見つけたのだ。
ちょうど人手を欲していたレンリとイリシアは軽い面接を行った後、即彼女を採用した。
12の時にはもう奉公に出ていたガーベラは既に何度か出産に立ち会っており、その手際の良さと堅実な性格を気に入ったイリシアの提案もあって、以来彼女はずっとこのフィーレギオン家の使用人として仕え続けている。
・・・・・・
家仕えの朝は早い。
ガーベラはまだ日が昇りきる前から目を覚まし、手早く身なりを整えて丘の上にあるフィーレギオン家の屋敷へと通う。仕え始めた8年前から一度も遅れたことがないというのが彼女のひそかな自慢だ。
緩やかな坂を登り、鍵を開けて飾り気の少ない門をくぐる。
使用人としての正装、つまりメイド服に着替えたガーベラの仕事が今日も始まった。
まず初めに彼女が行うのは朝食の下ごしらえだ。
主人たちが起きだす時間に合わせて朝食が出来上がるように、こうして早くから準備を始めるのだ。
食料の在庫を確認し、今日一日の献立を考える。
「ジャガイモが余っていますね。あとはブロッコリーと乾燥トマトもありましたか。小麦粉の在庫も良し。
そうですね・・・では今朝はキッシュにしましょうか。付け合わせに蒸し芋とサワークリームも加えましょう。
お昼はサンドウィッチにするとして・・・おっと、卵の在庫が残り少なくなってきました。午前中買い出しをしたほうがよさそうですね。奥様に許可を頂かないと。
晩御飯は・・・買い出しの時に決めましょう」
こうして一人献立を考えているときなどのガーベラは、普段人前には出さないとても楽しそうなウキウキした表情を見せることがある。
生来仕事好きな彼女ではあるが、真面目な性格であるが故にだらしのない姿を見せることを嫌うのだ。
イリシアはもっとフランクに接していいと言っているが、態度が緩んだ試しは一度もなかった。
まぁこの真摯さは見方によっては美点だといえるだろう。別の言い方をすれば堅物だともいうが。
見ほれるような手際の良さで下ごしらえを終えたガーベラが次に向かう先は洗面所だ。
新しいタオルや歯ブラシなどを並べ鏡を磨く。
彼女が拭いたあとの鏡は曇り一つなく綺麗になっている。ついでに洗面台や水回りなども綺麗にすれば完了だ。
ここまでにかかった時間は約一時間ほど。時刻は7時を回ったころだ。
朝日はもうとっくに昇りきっており、窓の外からは早朝から仕事に励む村人たちの姿が見える。
洗面所のセッティングを終え、今度は二階へ向かうガーベラ。
まずはグレンの部屋の前に立ち、軽くノックする。
「グレン様、おはようございます。
ドア、開けますよ」
子どもたちを起こすのはガーベラの役目だ。
ベッドで毛布を抱きしめているグレンに近づき、そっと揺り起こす。
「ん、ぅあ・・・」
「グレン様、朝ですよ。そろそろ起きましょう」
寝ぼけ眼のグレンがのそりと身を起こす。寝ぐせであちこち髪が跳ねている。
まだ眠そうに目をこする姿は年相応でなんとも可愛らしい。
「・・・んぅ・・あ、ガーベラ。おはよぅ」
「はい、おはようございます」
ぼんやりとしているグレンの寝間着をスルスルっと脱がせ、代わりに普段着を手渡す。
「私はクリスカお嬢様を起こしてまいりますから、着替えたら下に降りていてくださいね」
「わかった・・・ふぁぁ」
まだ着替えを掴んだままボーっとしているが、じきに目が覚めるだろう。
グレンの部屋を出て、となりのクリスカの部屋へと移動する。
「お嬢様、おはようございます」
「あ、ガーベラ。おふぁよ・・」
わりと寝坊助なグレンとは逆に、クリスカは早起きだ。
ガーベラが起こしに行っても大抵起きていることが多い。
今日もあくび交じりに着替えている途中だった。
「では、用意が済みましたら下でお待ちくださいね」
「ふぁーい」
子どもたちを起こし終えたら、ガーベラは下に戻る。
レンリとイリシアは、自分たちで起きるため彼女が行く必要はない。
以前は起こしに行っていたのだが、一度素っ裸の二人と遭遇してしまい、それ以来控えるようになってしまった。
お互い朝から気まずくなってしまうからである。
下に降りたら、朝食作り再開だ。
フィーレギオン家の面々の支度が終わるのに合わせて出来上がるように、キッシュの生地をオーブンへ入れる。ライ麦パンをスライスしてバケットに盛り、ジャムを取り出してテーブルに並べる。
そうしている間に上にいた人々が降りてきて、途端家の中が活気づいてきた。
真っ先に顔を洗って完全に目が覚めたクリスカがガーベラのもとにやってくる。
「ねーねー、きょうのごはんなーに?」
「キッシュですよ、あとお芋もありますよ」
「おいも!おいもすき!」
「ええ、ですからテーブルでいい子で待っていてくださいね。いい子には特別に大きなお芋あげますから」
「わーい!いいこにするー!」
満面の笑顔で椅子へと駆け出すクリスカ。今日も元気いっぱいのようだ。
そんな姿を小さく微笑みながら見つめ、また料理を再開する。
サラダ用の野菜を切っていると、また二階から誰かが降りてきた。
次に降りてきたのは、セロを抱いたイリシアとレンリ。
一旦サラダを作る手を止め、挨拶に向かう。
「おはようございます、旦那様、奥様。それにセロお坊ちゃまも」
「うむ」
「おはようガーベラ」
「・・・・・んむぅ」
三人が洗面所へと消えたのを見届けてから再びサラダ作りに戻る。
一口大に切った色とりどりの野菜や豆を大皿に盛りつける。
途中でようやくグレンも降りてきて、そのころにはあらかたの用意は終わっていた。
最後に焼きたてのキッシュを人数分に切り分け、蒸したジャガイモにバターを垂らし、滑らかできめ細かなサワークリームを添える。
朝食の完成だ。
テーブルに朝食を並べ、全員で席に着く。
最初は当然ガーベラは遠慮していたのだが、イリシアに雇い主命令で一緒に食卓を囲みなさいと言われ、それからはずっとこうして全員で食事をとっている。
上座に座るレンリが周りを見渡し、彼の一言で朝食が始まる。
「さて、それではいただこうか」
「「「「いただきます」」」」
「だう!」
・・・・・
朝食を終え、イリシアと共に食器を片した後。
エプロンの裾で触れた手を拭き、暗殺者が隠し装備を纏うがごとく掃除用具を装着する。
午前中の仕事は掃除と洗濯がメインだ。
まずはそれぞれの寝室のシーツを交換していく。
一晩経てばシーツは寝汗や埃を吸い取り、純白の洗いたてであろうが十分に汚れる。
清潔さを保つために毎日取り替える必要があった。
シーツを剥ぎ取ったあとは、マットレスやクッションをバルコニーに運び出して天日干し。
ついでにホテルマンのように当たり障りなく部屋の様子を整えて終了。
万が一にでもダニでも出ることなど、家の人々からの信頼以前にガーベラのプライドが許さない。
「次は・・・」
一旦腰を反らして凝った筋肉をほぐしたガーベラが次に向かう先は浴場だ。
全体的に内装は質素なフィーレギオン家であるが、一つだけの例外がここ浴場である。
一階部分の約4分の1ほどを占める広さに加え、くつろげるようにシックで落ち着いたデザインの内装。
この家にやってきた客人たちが皆思わず唸ってしまう、フィーレギオン家自慢の風呂だ。
ただ豪華というだけでなく、三つある浴槽のうち一つは子供でも浸かれるよう浅めとなっていたり、手すりやスロープなど、使用者にも配慮しているあたり流石といえよう。
掃除用具がしまってある戸棚からデッキブラシなどを取り出して掃除を始める。
ガーベラが最も気を遣う作業のうちの一つがこれだ。
ちょっとでも装飾が欠けたりなどすればクビは免れない。
細心の注意を払いながら、一つ一つ丁寧に磨いていく。床にデッキブラシをかけ、鏡を磨き、ボディーソープなどがすくなっていれば詰め替える。浴槽周りは柔らかめのスポンジを使い、傷がつかないよう優しく磨く。
そうして一通り掃除を終えると、浴場内は明らかに綺麗になっていた。
「よし」
自分の仕事に満足そうに頷くガーベラ。
今日の掃除はとりあえずここまでだ。
リビングや各部屋は昨日終わらせ、トイレや廊下などは明日の仕事になる。
流石にガーベラといえど、一人で家中を掃除することはできない。それぞれ区画に分けて日ごとにローテーションで掃除するのだ。
浴場から脱衣所に出て、ガーベラはおもむろに服を脱ぎだした。あらかじめ置いておいた服に着替える。クラシックなデザインの質素なシャツとズボン、その上からカーディガンを羽織る。
脱衣所から出て、リビングにいるイリシアのもとへ向かうガーベラ。
「奥様、よろしいでしょうか」
「ん?ああ、市へ行くのね。お願いするわ」
「かしこまりました。なにかご要望はありますか?」
「そうねぇ・・・じゃあモーガンさんのところによってきてちょうだい」
「モーガンさん・・・では、いつものでよろしいですか?」
「ええ」
「わかりました。それでは行ってまいります」
「いってらっしゃい」
イリシアから小銭の入った袋を受け取り、一礼して玄関へと向かう。
と、その背中をイリシアが呼び止めた。
「あ、待ってガーベラ!」
「いかがなさいました?」
「やっぱり私も行くわ」
「奥様もですか?」
「ええ、ついでにクリスカとセロもね」
「お嬢様とお坊ちゃまもですか・・・」
ガーベラは怪訝そうな表情を受かべる。
イリシアは若干上目遣いに、
「ダメ・・?」
「いえそんな!滅相もありません!
ですが・・・」
「どうしたの?」
「その、お仕事は大丈夫なのですか・・・?」
「・・・・」
イリシアがそっと目を反らしたのをガーベラは見逃さない。
「奥様・・・」
「いいじゃない、ちょっとした散歩よ!」
「昨日あれほど苦労されていましたのに・・・」
「あれはあんな報告書をあげてくる部下が悪いのよ。おかげでこっちは徹夜だわ。お肌荒れちゃう」
珍しく声を荒げるイリシア。仕事の疲れがたまっているのだろう。少し肌色も悪い。
これは息抜きも必要だろうとガーベラは考える。
「・・・わかりました。ではお嬢様を呼んでまいります」
「やった、大好きよガーベラ!」
「それは旦那様の前では言わないでくださいね・・・」
わざわざ二つにする必要なくない?
と思い至り、二つの話を繋げてました