4話 兄さん
翌日。
ハヤトいつも通り歩いて登校する。歩いて五分ほどの道なので、自転車はいらなかった。
クラスメイトや知り合いが横をサーッと、自転車で通り過ぎていく中、ゆっくり歩いていくハヤト。
近所の人へ軽い挨拶をしながらの登校だった。
五分程度の時間が、ずいぶん緩やかに感じるのはいつものことだ。
しかし、今日は終始いつも通りというわけではないようだ。
といのも、ハヤトの目指す校門付近に小さな人だかりができていたからだ。
ハヤトも足早にそこに駆けつけてみると。
「おねぇさん綺麗ですね!」
「つ、つつつ付き合ってください!」
「おい待て! 抜け駆けしてんじゃねぇ!」
そんな声が校門前で響いており、その後ろ姿には友人のテツジのものも混じっていた。
聞こえる内容的に、大方女子が校門前にいるのだろうと検討をつけながら、ハヤトは人垣の隙間から様子を伺った。
「みんな可愛いわね〜。でも大学生になってからね?」
果たして、大学生がいた。
ひらひらと揺れるスカート姿で、腰まで届く紫紺のロングヘアは毛先がリボンで結ばれている。
四肢は華奢で白く、テツジや他の男子が放っておかないも頷ける。
確かに、その人は可愛かった。
しかしハヤトは他の男子のように求愛する気にはならない。
なぜならーー。
大学生がハヤトを見つけ、にんまりと笑った。
「みーつけた! お姉ちゃん探したんだぞぉ! ハヤト」
「「お姉ちゃんだと⁉︎」」
「羨望の眼差しを向けるな!」
ハヤトは男子たちの視線に乱暴な言葉でかえし、お姉ちゃんといったその人に向き直る。
視線の先でハヤトに抱きつこうと手を伸ばしているのは、夏目イチカである。
そしてハヤトにとっての、
「いやいや兄さん何やってるの?」
「「お兄さんだと⁉︎」」
「困惑の眼差しを向けるな!」
そう。夏目イチカはハヤトの兄なのだ。
先程と打って変わり、男子たちはうろたえている。
「こんなに綺麗なんだぞ!」
「う、ううう嘘ですよね⁉︎」
「好きなだけ抜け駆けしてくれ」
若干一名、見た目に惑わされず人垣を抜けていくものがいた。テツジである。
その男にはいっさい興味がない態度のブレなさに感嘆しながらも、ハヤトは目の前の事態の収束に急ぐ。
「ところで兄さんなんの用?」
「こぉらっ、お姉ちゃんだぞ?」
ぽこっとイチカがハヤトの頭を叩く。もちろん痛くはない。
むしろ愛撫するかのような優しさだ。
そんな光景に周りの男子たちは、そこを変われと言わんばかりである。
ハヤトはため息をついて、続ける。
「兄さん用がないなら、僕もういくからね?」
「お姉ちゃんって呼ばないなら用件つたえませーん」
「あ、じゃあ興味ないんで」
「ウソウソ! 用件言うから待って!」
校門をくぐろうとするハヤトを必死で止めるイチカ。
腕を掴まれては振り返らないわけにもいかず、ハヤトはイチカに向き直る。
「次どうでもいいこと言ったら、ホントにおいていくから」
そう念を押して、イチカに話すよう促す。
「はいはい。分かってますよー。……それで用ってのはこれ」
そう言ってイチカは持っていたトートバッグの中からあるものを取り出した。
「お弁当箱忘れるなんて、ハヤトは本当におっちょこちょいなんだから」
イチカが手に持つのはハヤトの弁当箱だった。
ハヤトは学生カバンを確認するが、確かに弁当を忘れていたようだ。
ハヤトは自分のミスを理解して、素直にイチカに頭を下げた。
「ありがと、兄さん」
そう言って弁当箱に手を伸ばした時。
とうの弁当箱がひょいと引っ込められる。
手で宙をかかかとになったハヤトは、訝しげにイチカに視線を向ける。
するとイチカはどこか勝ち誇ったようにふふんと鼻を鳴らす。
「お姉ちゃん、でしょう?」
「ッ!」
弁当を受け取りたくば、自分の兄を「お姉ちゃん」と呼ぶしかないらしい。どんな羞恥プレイだ。
忘れてはいけないが、ここは私立間西高校の校門である。今なお人だかりは大きくなっていた。
ハヤトは周囲に視線を巡らせながら、冷や汗を垂らす。
とりあえずダメもとで弁当に手を伸ばす。
「兄さんったら、冗談きついよ」
「お・ね・ぇ・ちゃ・ん!」
魔法の呪文か何かのようにイチカは連呼する。
まあ、本来家まで帰らないと手に出来なかった弁当がそれを言うだけで手に入るのだから、あながち間違ってないかもしれない。
人前でそんなことを言うのはちょっと嫌だ、と躊躇っていると、人だかりの中から知らない男子がおどり出る。
「ならば俺にその弁当をくれないか? ーーお姉ちゃん」
「誰か知らないけど何言ってんの⁉︎ 」
「お姉ちゃん!」
「君のお姉ーー兄さんじゃないけどね⁉︎」
男子生徒は止まらない。
律儀にお姉ちゃんと連呼し、あの弁当を奪取しようとする。
しかし流石のイチカも、赤の他人にお姉ちゃんと呼ばれたからといって弁当を渡すほどバカではないだろうと、ハヤトは視線を向ける。
「あなたなかなかいいわ。お弁当あげちゃおうかしら?」
バカだった。
「いやいや、いいから早く弁当ちょうだいよ!」
「どーしよーかなぁ?」
ふふっと、笑うイチカはハヤトをおちょくるのが楽しいのだろう。
ハヤトが何度言っても、イチカはそれを渡してくれない。
そして時間が経つにつれ、先ほどの男子生徒に続く者が出てきた。
「お姉ちゃん! オレに弁当くれ!」
「いいやぼくだね。そうでしょ、お姉ちゃん?」
「あらぁ、ワタシはパスね」と登校してきた若様。
校門前だからか、人の集まりが早い。
中にはテツジや若様のように興味なさげにスルーしていく生徒もいるが、大半の生徒が足を止めその弁当を狙っていた。
というのも、いつしかその弁当が眼前にいるイチカの手料理であるという話になっていたからだ。もちろん毎朝弁当を作っているのはハヤトの母であるが……。
しかしイチカぎ弁当箱を持っている事実が勝手に男子生徒たちにそう思わせていた。
とうの本人も否定しないことで事態に拍車をかけている。
もうその場は、さながら弁当争奪戦であった。
「ああっ! もうっ! わけわかんないよ!」
そんな悪態をついた時だった。
校門の奥から、拡張器で大きくなった声が響いてきた。
『コラァァァアアアアア! 何をしとるカッッッ!』
校門前の騒動をかき消すくらいの怒声に、生徒が一様におし黙る。
そしてその隙にと、怒声がさらに響く。
『お前ら、そこを動くなッッッ!』
動こうにも怒声に萎縮し、動けない男子生徒たち。しかし次の瞬間。
『全員ッ! 生徒指導室送りだァァァアアアアアッ! 』
「「生徒指導室は嫌だっ!」」
その言葉に、我先にと男子生徒には散り散りに逃げていく。
先ほどから怒声を上げているのは我が二年な学年主任である四十代の男性教師だ。
その体は筋肉で覆われ、頭は角刈りである。
過去、彼の生徒指導を受けた者はどんな不良も次の日には超がつく真面目人間になってしまったらしく、今では獄卒と呼ばれている。
そんな教師に捕まって仕舞えばどうなるか、考えただけで嫌になるので、ハヤトも早く逃げ出すべく、イチカにいう。
「兄さん! ヤバいから早くそれちょうだい!」
「もう、仕方なぁ」
イチカは獄卒の邪魔が入ったことで白けたのか、案外素直を渡してくれた。
それを受け取ったハヤトはすぐさまカバンにしまい、駆け出そうとする。
しかしハヤトは足を止めることになった。
「みんな言ってたけど、それホントにお姉ちゃんの手作りだから」
そんな言葉が背中に投げかけられたからだ。
すぐに振り返るが、イチカはすでに踵を返しており、こちらの反応を見る気がないようだ。
一方的な言葉のつもりだだのだろう。
しかしそれがその言葉の信憑性を増していた。
からかいや冗談ではなく、ただの事実としてスッとハヤトに入ってきた。
弁当を作るということは、わざわざ早起きして作ってくれたのだろう。ハヤトのために。
昨日、昼飯がピーマンと白飯だったことを愚痴っていたから、その慰めに作ってくれたのだろうか。
ハヤトにイチカの真意はわからないが、普段そんなことしないイチカが弁当を作ってくれたことと忘れた弁当を持ってきてくれたことに対して、ハヤトは素直に嬉しく、感謝したくなった。
だからハヤトは、その去りゆく背中に言葉を返した。
「ありがと、姉さん」
その言葉はイチカに届いたようで、首だけで振り返る。
「……バーカ、お姉ちゃんだぞ……」
素直に喜ばないイチカの態度はどこか照れくさそうに見えた。
◇◇◇◇◇
獄卒と呼ばれる教師ーー黒沢は見ていた。
とある生徒と仲睦まじげな大学生然とした者を。
無論、その容姿に見とれていたのではなく、見覚えがあったからだ。
「……夏目、相変わらずのようだな……」
昔の生徒であるイチカのことを覚えていた。
感慨に耽ること数秒。
これではいかん、と黒沢は本来の目的を思い出し、イチカの背を追うのをやめる。
そしてイチカを見送る者の背中に、静かに言う。
「夏目、貴様は放課後生徒指導だ」
その言葉はちゃんと耳に届いたようで、ハヤトは首だけで振り返る。
「……えーっと、冗談では……」
ニカッと笑う黒沢に、ハヤトはどこか震えているように見えた。




