2話 昼ごはん
飯だ。
教室の中が弁当やパンの匂いで包まれる。
隣の席のミズキが当たり前のように席をくっつけてくるが、毎日のことなので気にしない。
そして二人で話していると、ハヤトたちに近づく影があった。
「ボクも混ぜてね」
そう言って弁当箱をハヤトの机に下ろすのは、友人の棚町リンである。
鳶色の髪は肩口で遊んでおり、目つきが少し鋭い。
しかし怖いのではなくあくまでクールな顔つきなのだ。
全体的にクールで、まるで美少年のような美少女……美少年である。
毎日昼を共にするわけではないが、どうやら今日はハヤトたちと一緒にご飯を囲むようだった。
断る理由もないので、ハヤトは軽い挨拶をして受け入れる。
しかし先客のリンは違ったらしい。
「あれ? 何か用があるのかな? あるならあとにしてもらいたいなぁ?」
なぜか攻撃的なミズキである。
しかしそんなミズキの態度も意に介さず、リンは近場の空いた席から椅子を借りてきて座る。
「いつ一ノ江に用があるって言った? ボクはハヤトに会いに来たんだ」
「あっそ、それじゃオレのハヤトに何の用?」
「ミズキのになった覚えはないから!」
たまらずハヤトが叫び、リンが追うように諌める。
「そうだね。ハヤトはボクのだから、ね?」
「それも違うよ!」
二人してハヤトを自分のものと言い張るあたり気が合いそうな気がするが、二人はお互いそっぽを向いて断固拒絶の構えだ。
そんな二人に挟まれるハヤトは、割と日常なので気にせず弁当に手をかけた。
今日は母からピーマンの肉詰めだと今朝聞いていた。
だからかかっているのはケチャップ? ソース? それとも特製の甘辛煮か? などと考えていたのだが……。
果たしてよく火が通りしなったピーマンがあった。そこには何も詰められていない。
「……おっぱいが食べられてしまった……」
「ハヤトアタマおかしくなった?」
「流石のボクも意味わかんないよ」
突拍子も無い発言に二人は頭の中「?」状態だ。
「どうもこうもないよ! 僕の弁当が白飯にピーマンだけなんだ!」
「海苔の代わりにピーマンか。ハヤトんちのおにぎり変わってんな」
「今のフレーズでその想像は斬新だね⁉︎」
「贅沢言ってはいけないよ。ボクらの祖先は昔日の丸弁当という白飯に梅干しだけの弁当を食べていたんだから」
「日の丸弁当の方がまだ味に調和があるよ!」
何をそんなに騒いでいるのやら、と二人がハヤトの弁当箱を覗き込む。
そこには詰め物を取られたピーマンがあった。
たしかにおっぱいのないブラジャーのようだ。
ミズキとリンがハモる。
「おっぱい食べられてるな(ね)」
それがわかったところで、ハヤトの昼ごはんは白飯にピーマンである。
昼ごはんのラインナップに肩を落しながらも、時間も有限であると二人に食べ始めるよう促す。
二人は何か分けようかと言ってくれたのだが、二人とも見た目はどうであれ男である。分けてもらっては二人とも午後お腹が持つまい。
そういう考えで提案を断り、三人は昼食を取り、30分後。
「オレちょっと席外すわ」
ごはんを食べ終えたミズキがそう言って席を立つ。
こういう時は大抵お手洗いだ。
適当に送り出したハヤトは、ため息を吐く。
「あーあ、口の中で苦い味が残ってるような気がする」
独り言のつもりだったがリンが拾う。
「まあ、おかずピーマンだしね」
「単体のピーマンさんマジでエグいよ……」
ぐうぅぅぅ……、とお腹が鳴った。
本来はピーマンの肉詰めがメインディッシュだった弁当も、そのメインディッシュのメインたる肉詰め部分がなくなっていれば、腹が満たされないのは当然だった。
「お金あんまり使いたくないけど、購買にでも行こうか……」
「購買はもう売り切れてると思うけど」
「え⁉︎ そんなに早く無くなるのか?」
「前行った時は昼休みに開始直後で残り数個だったよ」
弁当派のハヤトは購買の常識に衝撃を受ける。
おそらく昼休み前から戦争は始まっているのだろう。
今から足を向けも遅いと知ったハヤトはさらにため息をついた。
お昼過ぎはお腹が鳴りっぱなしたなぁ、と諦め気味に、机に突っ伏しているとふわっと弁当の匂いが鼻腔をくすぐる。
昼ごはんも終了して、みんなが弁当をしまう中の出来事だった。
お腹減っていたハヤトは思わず上体を起こして反応する。
するとそこにはさっきまでフタを閉められていたはずのリンの弁当のフタが開いていた。
中に覗くのは空底ではなく、幾ばくかのおかずだった。
何を急に、と思うハヤトをよそに、リンがそれを差し出すようにハヤトへ向ける。
「もう仕方がないんだから、ハヤトは。ボクのをあげるよ」
もうハヤトにはリンが天使にしか見えない。
一度は断ったが今の状況でその申し出を断るほどまだ大人ではない。
ハヤトはリンの弁当箱に手を伸ばす。
これで腹が満たせるかも、と期待したその時。
「だぁぁぁめっ」
そう言ってリンが弁当を引っ込める。
もうハヤトにはリンが悪魔にしか見えない。
一度誘っておいてその非道はいかにと、絶望の目をリンに向けるも、リンはチ・チ・チと人差し指を振る。
「ボクはただであげるとは言ってないよ?」
「もうなんでもいいから頂戴よぅ! お腹ペコペコだよ!」
「うん。すぐあげる。別に難しいことじゃないしーー」
お願いも大したことではないとリンがいうので、安心して食べれると思ったその矢先。
「ボクがハヤトに食べさせるだけだからね」
「……え? えっーとそれはつまり……」
リンがハヤトの考えていることを見透かしたように言う。
「あーん、させて」
「あ、あーん……ね」
「構わないよね?」
リンがおかずを箸でもってハヤトの口の前に近づけて聞いてくる。
しかし周りにはクラスメイトが沢山いて、そんなことしていれば付き合っていると勘違いされてかねない。
断るが、あくまでハヤトはノーマルである。
だからハヤトはプライドか空腹かーー。
ぐうぅぅぅうううううっっっ!
お腹がブライトを捨てろと叫ぶ。
そしてリンが追い打ちをかける。
「ミズキが帰って来ちゃうよ?」
時間が経てばいつも隣にいるミズキにまでそんな姿を晒すことになってしまう。そうなればミズキは絶対に自分にもやらせろと言うだろう。
お腹も鳴り止まず、ハヤトは腹をくくった。
「……あ、あーん」
リンはハヤトが口を開いたことが嬉しかったのか、いつものクールな表情が可愛らしくてとろけていた。
まるで「うへへへへ〜」とだらしない笑いが聞こえてくるようだ。
「よくできました」
そう言ってミートボールがハヤトの口に入ってきた。
ハヤトはお肉の塊に頬が緩む。
そこからしばらく、ハヤトはリンに食べさせてもらっていた。お腹が満たされていく感覚の前には、クラスメイトの視線など些事であると自分に言い聞かせながら。
そしてリンはとても楽しそうだ。
そんな時間も有限である。
リンが持つ弁当箱の中にはおかずはあと一つだった。
まずがそろそろ帰って来てもおかしくないと思い、ハヤトはリンを急かす。
「リン、早くそれを食べさせてよ」
リンは「ふふっ」と笑う。
「ハヤトったら、そんなに探さなくてもあげるよ。ほら、これが欲しかったんだよね? ボクの細長いやつが」
「リンの弁当の細長いエビフライね! まったく」
意味深な言い方をするリンの言葉を補う。
クラスメイトに勘違いされたらどうするのか。
落とさないように手が添えられたそれを、ハヤトは食べる。
「あっ!」
「あいあえいえんおあ!(何喘いでんのさ!)」
「初めてだからびっくりしちゃって」
ナニの話をしているのか。
ハヤトはミズキが帰って来ても困ると、さっさと残りのエビフライを食べてしまった。
結果ミズキが帰ってくる前に食べ終えることができた。
俺はお茶で口の中を流して、リンに向き直る。
「ありがと。美味しかったよ」
「どういたしまして。ところでさっきのはどんな味だった?」
さっきのと言うのはエビフライのことだろう。しかし美味しかったと言ったのに、わざわざ味を聞いてくるとはもしかしてリンの手作りだったのだろうか?
もしそうならちゃんと味について言うべきだ、とハヤトは評価する。
「本当に美味しかった。淡白な味で、僕好みだったよ」
「そう。中の白いやつが淡白で美味しかったんだね!」
「その言い方には悪意があるでしょ! リン!」
リンが意味深なことを連呼するから、周りの席の人が訝しげにこちらを見ている。
「ふふっ、また食べさせてあげるよ。ボクのを、ね?」
可愛らしくウィンクして言うリンだが、周りのクラスメイトはこっちをチラチラ見ながら何か話している。
ミズキの耳に入るのも時間の問題だろう。
ハヤトはその事実に深いため息をつくも、少ししてリンに向き直る。
「……ご馳走さまっ!」
「どういたしまして」
今後のことを考えて八つ当たり気味にではあるが、食べさせてもらったお礼を言ってハヤトの昼ごはんは幕を閉じた。