一話 音読
授業だ。
現代文と書かれた教科書が机の上で開かれている。
色々言っていた教師が唸る。
「それじゃあ今日の授業はここまで。……なんだけど、少し時間余ったなぁ」
授業進行の裁量をミスったのか、たしかに後八分ほど時間が残っていた。
あと八分すれば昼休み、とハヤトはご飯を終えた後何をするかぼーっと考えていたのだが、教師の声で我にかえる。
「うーん……、時間ないし、隣と今の物語音読する時間にします」
空いた時間の適当な穴埋め。今日は音読だった。
ハヤトは無駄に漢字の読み書きを練習させられるよりはマシだと思った。
クラス中が、隣の席の人と向き合い音読を開始する中、ハヤトも例に習う。
机に正対した椅子を横向きに座って、相手方の顔を見る。
相手もこっちを向いていた。
透き通る水色の髪に、まん丸な瞳が愛らしい。
とても女の子っぽくて可愛い子である。……男だけど。
名前は一之江ミズキ。見た目と相まって女の子のようだ。……男だけど。
そんなことを思っていると、ミズキが照れるように視線を逸らす。
「そんなに見ちゃ、ヤだよ」
仕草や声は本当に可愛い。……男だけど。
ハヤトはため息を漏らす。
「ミズキってそんなキャラでもないでしょ?」
ハヤトの呆れた言葉に、ミズキは「あーあ」とつまらなそうな声を出す。
「せっかく照れてあげたのに、そんなに釣れないとオレ落ちてやらねーからな?」
まるで男のような口調で、容姿は可愛い男である。
「悪いけど僕は女の子にしか興味がないんだ」
「そんなこと言って、こないだ授業中の寝言で『ミズキ可愛いよぉ〜ミズキ〜』って言ってたけどな」
「え⁉︎ 嘘だよね⁉︎」
「嘘だ、けどその反応はやっぱオレのこと可愛いって思ってんだな?な?」
「そ、そそそそんなことはないケドゥ?」
「何そのベタな焦り方……。愛してるの一言でいいんだけどな?」
「どんな力が働いたって男にそんなことは言わないよ!」
「男の娘、だゾ☆」
「はい! そこのカップル授業中!」と教師。
「カップルじゃないよ!」
現代文の教師に小言を言われてなんとかハヤトたちの会話が途切れる。
流石に注意されてまで話を続けようとは二人とも思わない。
どちらとなく、二人して教科書を手に持ち音読を始めた。
最初はミズキが読み始める。
男の要素が見当たらないアニメ声を聴きながら、ハヤトは思う。
これが本当に女の子であればなぁ、と。
しかし学校指定の制服は男子用のズボンであり、ミズキはそれをはいている。間違っても男なのだ。
そんな再認識をしていると、いつのまにかミズキの声が途絶えていた。
数行ごとの音読なので、一工程にそんなに時間はかからない。
「おーい、聞こえてますかあ?」
ハヤトの目の前で手のひらをブンブンしているミズキに「ごめん」と短く謝る。
授業も終わりが近く気が抜けていた。
もう数分だと、音読を開始する。
それから二人で掛け合い、残り時間も1分ほどとなる。
何だかんだほんの八分間だけなのだ。
もうすぐ飯だー、と思っていると、ミズキが読み終え、現代文の教科書に口元を隠し、ニヤッと笑う。
今の音読もどこか声が弾んでいるようだったが……。
「何急にニヤついてるの?」
「いやー、べっつにー?」
完全に別になんでもない態度ではないが、意味が分からずハヤトはとりあえずスルーすることに決めた。
そして教科書の続きを音読し始めたのだが……。
読み終わる前にハヤトは言葉に詰まってしまった。
もちろん漢字がわからないとか、はたまたお腹が痛くなったとかではない。
ただその次の文章がどうにも読み難いものであった。
そしてそこで気づく。
先ほどのミズキの含み笑いはこれに気づいていたからだと。
読み進めないハヤトに、ミズキが煽る。
「あっれ〜? どうしちゃったのぉ? もしかして漢字がわからないのぉ? そんなわけないよなぁ? だってハヤトはぁオレよりもぉア・タ・マいいもんな!」
「ぐっ」
ハヤトは苦虫を噛みしめるような渋い顔になる。
しかしミズキ構わず続ける。
「ああ! もしかしてぇ……」
苦い顔のハヤトの耳元に、スッと唇を近づけるミズキ。
果たしてミズキは囁く。
「『愛してる』ーーの言葉は言えないんだっけ?」
意識するようなことではない。そう、ただ教科書を読んでいるだけなのだ。
「ねぇ? 愛してる?」とミズキ。
意識しないとか無理ゲーだよ! と叫びたい気持ちが爆発寸前だ。
さっきからの流れで意識しない方が無理だし、何よりなんでこんな時に限ってより女の子らしく首を傾げ、潤んだ瞳でそんなことを聞いてくるのか、と。
言うしかないのかと考えていたその時、ハヤトは思い出す。
もう少しで授業終了のチャイムが鳴ることを。
それがわかれば、後の数十秒無言で通せばいいだけだ。
そう思い口を固く閉ざそうとしたハヤトの横で、影が揺れる。
そして背面から迫った何者かがボソッとつぶやく。
「君の現代文の単位を愛していないのかね?」
教師の声で発せられた言葉の意味くらいだいたいわかった。
だが一つ言いたいと、ハヤトは声には出さず内心叫ぶ。
アンタは何させようとしてしとんじゃぁぁぁあああああっ!
しかし背後からのプレッシャーは消えない。
教師が愛を叫べといっていた。職権乱用である。
もちろん正面のミズキはウキウキな表情で待っていた。
しかしハヤトは諦めない。
瞬刻、時は来た。
キーンコーンカーンコーンーー、
もう言わないかと思われたその時、ハヤトは早口で声出す。
が、その瞬間には、ミズキはハヤトの唇に耳をあてがう。ほんのコンマ数秒の話だった。
目では見えていても、すでに伝達された命令は唇を動かす。
その状況はまるで、可愛い女の子の耳元に彼氏が愛を囁くようで。
「……愛してる」
「きゃー! オレも愛してるぅ!」
そう言って、ハヤトの言葉に照れて頬を染めたご機嫌なミズキはハヤトに抱きつくのだった。
……はぁ、可愛いなぁ……、男だけど。