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凱旋跡
通りに散った花びらや紙吹雪の上に立つ人々、ある人は急ぎ歩き、ある人は踊り、ある人は歌う。戦場で散った兵士達の上に立つ者達。男はなんとなしにそんなことを思った。凱旋の余韻もなく人々は広場へ散っていく。各々が露店を巡り、食事をし、歌に聴き入る。
行き交う人々の横を通り過ぎる。肩を当てずに歩くというのは案外難しいものだと男は思った。前を見ず右へ左へ揺れ歩く者、なにか見つければ真っ直ぐ走り出す者。不意に立ち止まり鞄の中を見る者。通りを眺めているかと思えば立ち上がり肩を当てに行く者。また一人くたびれた男が立ち上がり周りを見ていない者へ向かって歩いて行く。
三人で手を繋ぎ歩く、大きな町ほど路地裏は広い。シャジーチの警告は正しい。大きな町だからこそ、信じられる誰かは少なく見えるのかもしれない。それとも、祭りだからだろうか、上から下まで様々な人がそこに居てもいい、そんな催しだからか、水を挿そうと眼を光らせている者も少なくない。
ミハージィの手を引き、抱き寄せ、身を寄せては躱す。肩をぶつけたらどうなるだろうか、相手は苦しむのか、苦しまないのか。この痛みが本当に存在するのか。一欠片の好奇心を振り払う。ミハージィとのやりとりを続けるほどに心が消えていく。疼き、刺すような痛みも忘れていく。不意に滲む涙を瞼に収めてスーウェンを見る。
男は次第に踊るような自分を感じ始める。どれだけ柔らかな動きでそれを為せるのか、どれだけ無駄のない動きでそれを躱せるのか。閉じた世界の流れ。浜辺を漂うような押し引き。繰り返し、繰り返し、次第にミハージィもそれを感じ始める。
男にあわせ、スーウェンを引き、軽く押す。滑らかに柔らかに。自然な流れを感じる。男の腕の中に包まれ、ふ、と離れる瞬間の物足りなさ、掌だけで感じる心許なさ。
大通りを何事もなく一瞥した。突き当たりには城への坂道。門番が身じろぎもせず立っている。祭りの日和にそうしている彼らを一目眺めて帰るのは些か冷やかしが過ぎる気がして頭を下げる。男は祭りを楽しいとも詰まらないとも思っていない。しかし、他の誰もが楽しんでいるし、楽しみにしているのだろう。目の前で求めるものを揺らされるのはあまり良い気分はしない。
踵を返して二人が口を開く。
「こんなお祭りの日に門番なんて大変ね」
「だよね。でも、交代するのかも」
「そっか、そうよね。お昼からのほうが楽しめるかもしれないし」
「でもあのパレードも見たいよね」
「そうね。鎧もぴかぴかだったし、あんな馬を近くで見たの初めて」
「おっきかったよね。旗とか花吹雪も綺麗だったし、あのいい匂い憶えてる?」
「ええ、あの不思議な、お酒なんだかお花なんだかわからないあの匂いよね」
「あれね、たぶん香油ってやつだよ。いろんな匂いのやつがあるの」
「へぇ、どこで知ったの?」
「一回だけ父さんが卸しに見に行ったことがあって、でもそのときはよくわからなかったな。いろんな匂いが混じってて臭いって思ってた。瓶あけるたんびにおえってなって」
「でも今日のはいい匂いだったんでしょう?」
「原液が目の前にあったのがいけなかったのかも。卸の人もつけてたみたいだし、その人の奥さんのと混じってて鼻を摘むの我慢してた」
ミハージィがそう言って二人で笑った。
「大変だったのね」
「でも上手につければあんないい匂いなんだね」
「欲しくなってきた?」
「うーん」
ミハージィは困ったような拗ねたような顔で唸ってから続けた。
「でも父さんがだめって言うんだよね。きっと」
「どうして?」
「自分が気に入ったとしてもそれを相手が気に入るとは限らないから、だって」
「あんなにいい匂いなのに」
「でもほら、私もわかる。臭かったもん、あの二人」
「なるほどねえ、お得意さんに嫌われちゃ商売あがったりだものね」
「相手がつけてる分には少しばっかり我慢すればいいけどあっちが気に入らないのはわからないし、それでだめになっちゃうのは損だって。相手がだれでもいいような商売じゃないからって。それに燻製とか扱ってるから」
「匂いが移ると駄目なのね」
「そう。あの匂いがついたお肉を噛み続けるなんて吐いちゃうよ」
「なかなか難しいわね」
そんな話を聞きながらしばらく歩いて中頃まで戻って来た。特段二人の興味を惹く店はなかったようだ。広場の演壇では音楽隊が賑やかな曲を奏でている。心なしかスーウェンの歩みが遅くなったように感じる。
「少し聴いていかないか」
音楽に興味はない。どちらかと言えば心地よい音色ではあったが二人の足を止めてまで聴き入りたいと思うほどではなかった。我に返ると痛みも戻ってくる。旋律を追うこともある意味では踊っているということなのかもしれない。追いかけている間は忘れることができる。それを掻き消すほどの痛みでなければ。
「ええ、どのあたりに座る?」
演壇の近くには席が用意されているもののやはり埋まっている。肩を当てて騒ぎになるのも避けたかった。
「そうだな、あの角の店の二階なんかどうだ?」
少し離れた場所に酒場とも飯屋ともとれるような店が居を構えている。店先の席はすこしばかり騒がしいが店内はそれほど混み合ってはいない。二階の窓に客と思しき二人組、もう片方の窓が開いている。
「入れるかしらね」
「聞いてみないとな」
「さんせーい」
どれくらい演奏が続くのかわからないにしても、動くのは早いほうがいい。
二人が先を歩き、男は遅れないように歩を早めた。




