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メッツカーガーク
大きな町だ。今まで立ち寄った中で一番大きい町。丘の上の城、大きな教会。遠目にもどれだけの建物が並んでいるのかわからないほど広い町。町に流れ込む大きな川と外側に敷き詰められた大きな畑。転々とする農家の建物。私も小さい頃に一度来たことがあるらしい。そんな記憶はどこを探しても見当たらないけれど。
検問所を通り、麦間の道を抜け、川の傍で馬を休ませる。大きな門を潜り、町の中心を目指す。石造りの、それでいて不思議な潤いのある町。湿気がすごいとか乾燥してるしてないとかそういうのじゃない。なんとなく、こういうのが活気があるっていうのかな。
道行く人の表情は様々で、柔らかな人もいれば固い人もいる。道端で寝てる酔っ払いや追い立てられる猫や餌を貰う猫。鳥の巣があると分かる音。石畳を叩く沢山の靴。
ゆっくりと通り過ぎていく音の中で父さんは言った。
「でかい町だ。表向きは賑やかだが気は抜くなよ。人が集まれば自然と表と裏ができる。良い奴も悪い奴も集まってくる。明るいところと暗いところの広さってのはだいたい同じだ。路地裏には近づくなよ。背も向けるな。明るいうちに人にぶつかることはまずない。それでもぶつかるヤツ……ぶつかりに来てるヤツには近寄るな。ちんけなスリならまだいいが喧嘩のついでに全部盗っていくヤツは最悪だ。一人で彷徨くのはここでは御法度だ。スーウェン、多少目立ったとしても力を出し惜しみするなよ。死んだら元も子もない。相手の口が開かなくなるまで焼いても俺はなんにも言わない」
父さんは冗談めかした笑顔もなく、気を張って周りを見ながらそう言った。それが実体験かどうかはわからないけれど、少なくともそれを信じるだけのなにかがあったに違いなかった。実際に見たのか、聞いたのか。
宿はいつもの町とは比べものにならないほど大きかった。借りた部屋はそんなに広くはなかったけど厩舎もあるし荷車置き場には見張りがいる。目録に荷物を一通り記録したら燻製の樽を一つ渡して、どうも父さんは宿の主人と知り合いのようだった。その人は嬉しそうな顔で樽を押していった。父さんが押していくかと思ったのに。二人がしばらく話している間、私達は町向きの服に着替えて横になっていた。私はこの人にもたれかかったり抱きついてみたり、スーウェンはそれを羨ましそうに見ている。意地悪な気分。なんだか自分が特別いいことしてるみたいな。ついつい、いいでしょって言いたくなるような。
でも、私は最近スーウェンのほうを見ないようにしている。なんだかスーウェンが辛そうに見えるから。スーウェンは最近俯きがちになった。普段はそうでもないけど、座っているとき、静かにしてるときはそうだ。胸の中に明るさが吸い込まれていくような浅い息をしてる。目は開けてるけど別のものを見てるような感じ。しばらくそうやってから右腕で目を隠して仰向けに眠る。そう、今もそう。涙を見たことはないけど、泣いてるの?
この人は変わらない。なにも感じないみたいに見える。お腹が空いたとかそういうのもないような。私よりもなんにもない、そんな風に感じる。でも、この人しか触れない。他のなにも感じない。どうして?
私はこの人と一緒にいるしかない。私が感じられるものは他にないから。もしかしたらあるのかもしれないけれど。そう簡単に見つかるものじゃない。きっと。
この人にはなにもない。必要なものがなにひとつない。いきなり倒れて死んでしまっても、きっとそれまでのこと。死んだ後があるのかなんてわからないけど、きっともう、そういうことを考えるのを止めてるんだと思う。ただ、誰からも疎まれないように、騒がしくならないように、もしかしてなにも感じないように振る舞ってるのかな。この人だけが見つけた静かな生き方。それとも、静かな死に方?
そんなことを考えながら自分自身が必要とし、必要とされるかもしれないことについて言い訳を探している。この人は私を求めてくれるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。静かさを望んでいるとしても、私を突き放したりはしていない。少なくとも今のところは。それとも、私がそう思っているだけなんだろうか。この人にはなにもなく、こうやって抱き合っていても一人だけで……。
ミハージィは男の胸に右耳を当てるようにして重なっている。目を閉じ、静かな鼓動を聞く。目を開けばスーウェンがいる。苦しみか悲しみか、嘆くように天を仰ぎながら横たわっている。
父さんも心配している。面と向かって聞くことはないけれど、やっぱりスーウェンは元気がない。森から離れたから疲れが溜まってるのかな。それとも、やっぱり旅をする気質じゃなかったのかも。冬まではまだ遠い。燻製のおじさんのところに戻るにしても早くは戻れない。旅をするために商売をしているし、商売をするために旅をしている。それは同じことなのだけれど、どうにも自由にならないことだ。燻製ができてないのに立ち寄れるほど私達に余裕はない。だからこそ、その時々を大事にするんだと父さんも言っていた。
「待たせたな」
シャジーチは扉を開けるなりそう言って首を傾げた。
「なんだ、揃って疲れてるのか」
それぞれが起き上がって首を横に振った。いつもと同じだ。疲れているのもいつも通り。旅をしてきた相応の疲れはもちろんある。
「そうだな。祭りまではまだ日がある。急ぐ用事もないし風呂は今度にしよう。スーウェンのお陰だ。宿の主人もご機嫌だったよ。今回は小綺麗にしてるってな」
スーウェンはなにも言わずに小さく頷いた。
「お祭りがあるの?」
「ああ。しばらく来てなかったがお前も大きくなったしな。祭りってのは方々から人が集まる。そういう時に皿やら色々並べておくと縁が広がるのさ。その場しのぎじゃない縁がな。まあ、碌でもないヤツもいるからそういうヤツを見るコツも教えてやろうと思ってる」
「ふーん」
「なんだ、まあ、でもそんなもんだよな」
シャジーチは昔の自分を思い出すようにして右手で頭を掻いた。
「スーウェンは大丈夫か? 最近元気がないが、しばらく宿で休むか?」
「大丈夫。私のすることってあんまりないし」
「じゃあ休みだな。そういう時は休んどくもんだ。出歩きたいのは我慢してくれよ。女の一人歩きは危ないからな。お前もだぞ」
ミハージィは肩を竦めて応えた。




