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屍のような女の横で目覚める。
肌は冷たく、しかし生きている。
温もりを思い出す。温かな肌を、溶けあおうと望む心を。少女の中の生を。
横たわる女を眺めながら。
男は立ち上がり、悲しげに見下ろして目を閉じ、大きく息を吸って吐いた。
彼女はなにを求めているのだろう。毎夜昏倒しては朝を迎える。彼女はそれを求めてはいないはずだ。ただ唯一知る安らぎの残り香に縋っている、そんな風に感じる。思えばあの出会いこそ彼女の不幸だったのかもしれない。世界の果てからやってきたような男と出会ってしまったことが。もっと普通の、誰かが出会っていたなら……。
そんなことを考えている間も男は胸の中で大きくなり続ける空白を感じている。なにもかもが虚しく、与えることも、与えられることも、なにもかもがそこに流れている空気のようなものに感じられる。これまでも、これからも。すべてを憶えているような気がするし、すべてを忘れてしまったようにも思える。
自分は以前からこんな風だっただろうか。
世界は昔からこんな風だっただろうか。
自分はなにを求められている?
自分はなにを差し出すことができる?
今に未練もない。彼女の為に離れろと言われればそうするだろう。しかし、彼女の為を思うほど強い気持ちもない。彼女は選ぶべきだ。この終わらないだけの日々の有り様を。
彼女が選ぶべきだ。
なにもできない自分ではなく。なにも持たない自分などでなく。
「スーウェン……」
男の呟きは暗い朝に消えた。スーウェンに背を向けてベッドに腰掛ける。彼女はいつもこうだ。それが痛みによるのか睡魔のせいなのかは本人ですらわからない。
目覚めない。
他の男なら、それは獣の前に肉を置くようなものだと言われてもしようがない。それは信頼か、それとも、この男は獣ではないという埒外の話なのか。あるいは、獣の前の肉。
男は自分自身、そのどれもが正しいのではないかと思わずにはいられなかった。それをこなすことはできても、そうすることに意味を感じなかった。今までやこれから、考えれば考えるほどに無駄なことのように思える。ただ渦巻く痛みだけが確かで、しかし、死を目指すほど苦悩してはいない。目を逸らし、死を恐れているだけなのかもしれない。
これから先の幸福はその時にやってくる。そうなってみなければどうなるかなどわかりはしない。考えることに意味はない。なにより、結ばれたところで与えられる物などない。自分にあるのは渦巻く痛みの器。そこに彼女の幸福があるとは到底思えない。
欲するものはなにもない。
どうしても恋い焦がれるなら、先ず焼くしかない。情熱でもいい。狂気でもいい。愛や、炎でも構わない。今までとこれからの一繋ぎを土に還すことでしか得られない。
魂の再誕。
自分であり自分でない。彼女を欲する魂だけが彼女を愛することができる。そして、それこそが彼女の求めるものだろうと思う。
男はゆっくりと首を横に振る。馬鹿馬鹿しく、おかしな考えだと思った。
彼女の求める男は違う男でも構わないはずだ。彼女はどちらかといえば選べる立場にあるはずで、こんな男を焼いてまでどうにかしようなどと、馬鹿げているとしか思えない。彼女の旅はそういう旅なのだと思っていた。誰かの隣を探して旅をしているのだと思っていた。あるいは、途中まではそうだったのかもしれない。この旅が、この旅すらも不幸だというのだろうか。自分でなければ、彼女は幸福を得ることができたのかもしれない。考え、ふと思い至る。
スーウェンがもしも、痛みに焼かれているとしたら?
男は振り返り、先ほどと変わらぬスーウェンに向かって呟く。
「もしかして、君は自分を焼いているのか?」
返事はない。寝返ることも、呻くことすら。
彼女が毎夜こうやって昏倒しているのは彼女自身を焼くためではないのか。想像すらできない痛みによって変わろうとしているのではないか。愛や本能のような何かでなく、生きたまま死ぬための儀式なのだとしたら?
スーウェンは特別な感情によって自分に縋っているわけではない。そんな考えが男の胸を軽くした。誰かのそういった気持ちを向けられているのではないかと思うのは酷く不安なものだ。それをどうあっても受け入れられないと理解しているなら尚のこと。
男は別の重荷が胸の中に生まれたことを感じた。それが思い込みに過ぎない考えだとしても、この長い旅はスーウェンにとって終わらない死への旅になってしまっているのではないか。自分という魂の炉が、あるいは釜が、それが事足りない故に彼女は苦しんでいるのかも知れない。そう考えるとスーウェンが気の毒でならなかった。どんなにかそう思ったところで自分は変われないのだ。自分自身、何かに焼かれなければ。
人は皆、燃え盛るなにかを求めているのかもしれない。




