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いくつ山を越えても、いくつ町を訪れても、私達の関係は変わらなかった。どんなに長い時間を過ごしても変わらないものはある。それは心だとか愛だとかそういうものじゃなくて、世界そのもの。どうしようもなくそうなっているすべて。そうなるしかなかったものたち。もしかしたら心なんてものはなくて……あるいは心なんてものも。
変わったことと言えば、各々が歳をとったということだけ。ミハージィだけが年を重ね、私達は変わらず歳をとった。どれくらい旅をしたのか、それすらも曖昧だ。日々は移り変わり、それがいつだったのかわからなくなる。あることとあることの前後がわからなかったり、あるいはそれがあったことなのかすらわからない。色々なことを感じ、忘れていく。ミハージィの成長だけが記憶の中で標のように際立っている。彼女は少しずつ大人に、今では若いながら一人前だと言えるようになってきたかもしれない。シャジーチは相変わらず娘を愛し、いつまでも商いを教えている。ミハージィも変わらず男に触れ、それは遠慮がちに、それでも受け入れて貰えることを喜んでいるように見える。そう見えるのはそうできない者の僻みなのだと思うこともある。それが実際にはどうであれ、私達は変わらないはずなのに。なぜか無性に叫びたいと思うような衝動を感じる。すべてが受け入れられない。私は腕に抱かれることすら叶わないのだという苛立ち。痛みに慣れることのない自分への、いつまでも消えない痛みを持つ男への、痛みを感じない彼女への。
すべてが、運命が予め筋書かれたものだというのなら、今ここで私を忘れてしまっても逃れられない一幕でしかない。その結果が不幸であろうと、幸せであるのなら。
スーウェンは運命に免罪を思いながら顔を顰め、大きく溜息をついて首を振った。
自分が、自分ですら有り得ない。何かを感じている、考えていると思っている自分自身が絨毯の模様のようなものに過ぎないという確信のような感覚。気付きたくはなかった真理を発見してしまったかのような息苦しさ。禁忌に触れるというのはこういうことなのか。意識を手放してしまうような感覚。こんな感覚を感じたことはなかった。無意識が頭の半分を埋めてしまう。焦りと吐き気。右手で額を押さえながら意識する言葉。
魔女
すべてを焼いてしまいたいと思える。灰を洗い、土ですべてを覆い隠す。
炎だけが意識を照らしている。
スーウェンは胸を押さえ、肩をゆっくりと上下させながら浅い呼吸を繰り返した。見開いた目は遠く心の内側を見ている。
興奮?
恐怖?
解放?
そのどれもが当てはまる。だからこそ感じる不安。自分自身が望んでいるかもしれないことがどれほど恐ろしいか。魔女と呼ばれた自分を実現してしまうことがどれほど恐ろしいことなのか。魔女と呼んだ者達への反骨だけが今の自分を保っているのだと感じる心細さ。反骨のみならず、意識の半分が欠落していくことへの焦燥。
涙と、叫び
意識の中で叫ぶ自分にスーウェンは目を覚ました。暗闇の中、ベッドの中で。息を荒げ、上体を起こして辺りを見回す。暗闇でなにも見えない。炎を呼ぶことを躊躇い、息を整える。大きく長い息を吐き、小さな、小さな火を呼んだ。三人はいつもと変わりなく寝ている。毛布にくるまり、シャジーチは一人で、ミハージィと男は寄り添いながら。
目を閉じ、火を消す。暗闇の中に火の影が焼き付いている。スーウェンは夢を思い出しながらそれを見つめる。
もう一度枕に倒れ込んで目を開く。天井は見えず、変わらぬ暗闇がそこにある。安堵の息を漏らす。まだ、自分は魔女ではない。なにも焼いてはいない。
夢の中の恐ろしさだけが胸に残っている。自分がそこでなにを見たのか、何を感じたのか思い出せない。魔女という言葉と辺り一面の炎だけが不安を煽る。
「悪い夢だった」
目を閉じ、口に出した言葉を胸の中で繰り返す。悪い夢がいつまでも夢のままであることを祈りながら。今の自分が自分であるのだと信じながら。
いっそそうなってしまったらどんなに楽だろう。今の自分が嘘のように消え去ってすべてを焼き尽くす。そこに私はいない。苦しいこともない。人が変わった、なんて言葉もあながち間違いでないのかもしれない。ある日突然、その人が消えてしまって、そんなことがあるだろうか。
もしもあるのなら……。
スーウェンは頭の片隅の空白にのめり込んでいく。眠りに落ちる瞬間の脱力と浮遊の中で霧散していく。次に目覚める自分がどうなっているのかなんてことも考えることなく。
次の眠りに夢はなかった。自分すらも。ただ、眠りに溶けていく自分が心地よかった。煩わしい考えも不安も、眠りを乱す夢もない。望むような夢も。
スーウェンは夢を望むことができなかった。悲しみや怒りに満ちた夢を見ることはあっても、楽しい夢を考えることができなかった。単に眠りの中で見る夢に留まらず、将来的な、遠くない明日をより良く思うというだけの夢であっても。どうすることが幸せで、どうなることが幸福なのか。なにが楽しく、なにが好きなのかを描くことができなかった。ただ森の中の平穏だけを反芻し、檻の中の怨恨だけを排斥するしかなかった。
幸福を知らぬ者に幸福を望むことは難しく、得難い。




