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スーウェンの話を信じるなら、彼女の生きた今までは碌なものではない。
生まれは小さな村で農家の一人娘。両親と三人で良くも悪くも普通の生活を営んでいた。麦を碾き、豆を摘み、鶏たちと育った。そう語る彼女には笑顔が見えたが、それもすぐに消えた。彼女にとって不幸だったのは、両親が敬虔な信者でなかったこと。どんな宗教なのかは知らないが、とにかく教会で祈りを捧げる類のものだったらしい。彼女の両親はそれなりに祈り、それなりに教会へ通った。特に告げる罪もなく、ただ良き人であれと日々を過ごしていた。裕福とはいえず、必然、布施の額は少なかった。それだけであったなら教会の寵愛を受けられなかっただけで済んだだろう。
語りながらスーウェンは俯いた。
「お金持ちだったら、あんなこともなかったかもね」
寂しげに呟いた彼女の目には微かに炎が見えた。復讐の火。烙印や、それに至るまでのあれやこれや、想像に難くない不幸な出来事。理不尽な人生とでも言えばいいのか。
浮いていた火の玉が蛇のように伸び、空中を泳ぐ。同時に、小さな水の玉、土くれ、赤い果物が宙を舞った。魔女たる所以ということだろうか。男はそれが驚くべきことなのか否か、判断できるほど世界を憶えてはいない。
「どうやってるんだ?」
男は問う。その方法論に興味はない。仮に自分が扱える立場であったとしても必要のないものだ。ただ、それゆえに焼かれたというのなら語らずにはいられまいという気遣いでしかない。重苦しい同情など望んではいないだろう。
「さあ? 精霊の加護、神の恩寵。あるいは」
スーウェンは軽い口調で言った。自分としてはそんなことはどうでもいいという対外的な意思表示。どう足掻いてもそれから逃れられないのだという暗い諦めが見て取れる。彼女自身、それが呪いのようなものだと理解しているのだろう。人生の枷。自分自身よりも大きな力に抗うことはできず、大きな力であるがゆえに自らを形作る忌々しい現実。
「「悪魔の力」か」
彼女も分かってはいるのだろう。もしかしたら本当に分からないのかもしれない。それがなんであれ、どうでもいいのかもしれない。考えながら男は何にともなく頷いた。
疼くような痛み。似たようなものだ。痛みが何かの役に立つとは到底思えないにしても、この痛みが今を形作っているのだ。たといこれが今消えたとして何が変わろうか、痛みに形作られた人生から痛みがなくなるというだけの話。何もかもが昔話、苦笑いしながら傷を舐め合うことしかできない。どれだけ忌々しく思えても逃れることはできない。
「確かに便利でね。火は言わずもがな、水に不自由せず。土は捏ねずとも形を変え、風は色々なものを運ぶ。どれも日々を豊かにするに十分」
スーウェンは遠くを見ながら言い、顔を上げたまま目を伏せた。
それがなければと思わずにいられないのだろう。その力の恩恵を受けながら生きている、その力のせいで今を生きている。もしも、力がなければ。
だからこそスーウェンはここにいるのだろう。場所さえ選べば成功することもできたはずだ。話の分かる誰かがいさえすれば。それでもそれを善しとせず隠居生活を決め込んでいるのは怒りが燃えているから。自分の憎むものを最大限利用してやろうという気にすらならないのは良き人であれという両親の教えからか。必要最小限の関係、自分自身の力にすら甘えたくないという強がり。誰に証明するでもない、怒りの証。
憎んだ力での成功は力を肯定することになる、そう考えているに違いない。
高潔な精神か、強くなりきれない甘さゆえか。そんなものは言葉遊びに過ぎないというのに。男は思いながら自分の無力さを眺めていた。
内側から蝕む毒。
持たざる者には毒でしかない。強さと、ある種の美しさを併せ持った人間が時折放つ瘴気のような毒。眩しさから滲む影のような感覚。宗教家達には耐えられなかったのだろう。神の存在を右から左へと語ることしかできず生きている者達には。
彼女は魔女だ。何をせずとも悪魔を呼び出してしまう。せめて遠くにいてくれたなら、悪魔達もそう思わずにはいられなかっただろう。彼女の非凡さが自分達を照らし、変えていくことに耐えられなかった。ただそれだけのこと。不幸な出来事だったのだ。
「思うのは……何がいけなかったんだろうってこと」
スーウェンは目を潤ませ、言葉を詰まらせた。弱々しく食いしばり息を吐いている。
弱音を吐くつもりはなかった。
同情も誘いたくなかった。
この男になら、平気な顔で語れると思っていた。
彼女は私欲に力を使わなかったに違いない。私利私欲に使えたならどれだけ幸せだっただろうか。きっと、人に影を落とすこともなく生きていけただろう。
悲劇を望むのは人の性か、あるいは神の望んだ人の形なのか。
善き人であろうと努め、何が悪かったのかと悩み続けている。彼女が愚かであるというのなら、それは善き人であるが故に。
彼女は救いを必要としている。しかし、強く、力を持っているからこそ救われないのだ。その力を超えて助けられる者はいない。自らを助けられるはずの力を忌み嫌っている彼女は永遠に救われることはないだろう。差し伸べられる手はなにもかもが弱すぎる。救いの手は彼女に触れることすらできないのだ。
そこまで考えて男は気がついた。
彼女は知っているのかもしれない。弱すぎる救いの手が穢れてしまうことを。だからこそ、そんなものとは無縁な自分に関わる気になったのだろうと。
二人はお互いを確かに感じながら俯いていた。
沈黙だけが語り合える全てだった。
そうしている間だけは全て分かり合っていると思えた。
二人には、理由が必要だった。