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男は黙々と食べ、すべてを黙って聞いていた。シャジーチの今まで、商売の成り行き、スーウェンのこれから、ミハージィの思い出。そこにある火は温かく揺らいでいる。
やがて食事が終わり、シャジーチとミハージィが皮の寝袋に収まるまで思い出話は続いた。男は両膝を立て、洞の壁に背を預けて目を閉じている。ミハージィが脚の間に入ってきて寝ることにも文句一つ言わず、他の二人も表情を緩めてそれを許した。
男はそれぞれの話を聞いている間、それぞれの境遇に思いを馳せ、それぞれの人生を創り出した神を思った。人々の語るような神が世界を創ったなら、神はなにを思いながら創り、それを見てなにを思うのだろう。
「いや、そこの旦那がまた話のわかる人でね」
商売とはなにか?
交わることだ。善かれ悪しかれ。神は人がどのように関わるのかを楽しんでいるのだろうか。商人は逞しい。商人は人を信じなければならない。それは神を信じることよりも難しいことだ。姿形なく、及ぼす力なく、際限なく広がる世界の一時に微かに感じるそれを信じることよりも。あるいは、商人は人の中に神を見いだしているのだろうか。巡り合わせを信じているのかもしれない。それは起こるべくして起こり、結ばれるべくして結ばれていると信じているのかもしれない。行商は巡礼に似ている。
「少しずつ慣れていこうと思うの」
悲しみとはなにか?
神が悲しみを創った。神が人と同じように悲しむのなら、スーウェンはなぜ悲しまねばならなかったのか。神はスーウェンが悲しみ、涙することを望んでいたのだろうか。堪え忍び、孤独に暮らすことを望んでいたのだろうか。スーウェンはその力ゆえに疎まれた。神が与えたとしか思えない力ゆえに。しかし、その力が誰かを傷つけただろうか。
スーウェンは傷ついた。人々の手によって。
悲しみを産んだのは怒り。悲しみとは怒りの対。
神は怒りを創った。そこには悲しみがなければならなかった。だから与えたのかもしれない。怒りの持ち得ない力を。独りでも生きていける力を。それに耐えうるだけの心を。怒りも悲しみも神の業であり、右手と左手のようなものなのかもしれない。分かち難く地続きでありながら同じものでは有り得ない神の両手。拙くこなす者の怒り。
「カラスって賢いのよ」
ミハージィの出会った動物たちは話を聞く限りとても賢い。穏やかで触れ合うことに躊躇いがない。それはミハージィが傷ついていないことで証明されている。話した内容に嘘がなければ。しかし、嘘はないだろう。ミハージィの語るカラスや犬、猫や馬は鮮明で、生きている姿を思い出すように話している。時折目を輝かせて少し上を見る。思い出がそこに見えているのだろう。彼らはなぜミハージィと仲良くできたのだろうか。
彼らと人の違いとはなにか?
飼われることだろうか。あるいはそうなのかもしれない。しかし、飼われるばかりではそうもいかない。馬に蹴り殺されるなどさして珍しくもないのだから。彼らにも怒りがあり、悲しみがあるのだろう。ミハージィにぶつける怒りがなかったからだろうか。あるいは、受け取る悲しみが。
多くの悲しみは痛みだ。スーウェンのそれだけではない。
彼らにも痛みがあり、ミハージィには痛みがない。彼らはミハージィを気遣っていたのかもしれない。傷つく痛みを知っているからこそ、傷みを恐れる者を穏やかに迎えたのかもしれない。持たざる者への優しさは『彼ら』に通じるものがある。
なにもかもが神によって創られた。同じ手のもとに。それは右手かもしれず、左手かもしれない。しかし、それは神によって成されたのだろうと思わずにはいられない。
考えながら男は自分の内側へ意識を向けた。疼くような痛みが響いている。痛みが悲しみだというのなら、自分は今、悲しいのだろうか。そう思ったとき、涙が滲んだ。零れるほどにはない、目が乾いたのだと言い張っても構わない。しかし、それを見ている誰かはいない。それが零れてしまわぬように上を向く。
少し高いところで小さな火が燃えている。
男は目を閉じて涙を拭った。髪を掻き上げ、息を吹く。
微睡みに沈みながら自分のものとは思えない言葉が溢れる。
星の輝きから我ら醜き肉塊まで
総て分かち難き神の末広
それ即ち神であり
祖を信じるのならば信仰も教義も無用
祖を疑うのならば謳うがよい
総ては波 風のごとし




