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「てをつないでもいい?」   

 男は黙って右手を差し出す。ミハージィは左手で握り、右の掌を見た。両方の手を繋いで歩くことはできない。


「スーウェン……」

 ミハージィは申し訳なさそうに手を伸ばす。スーウェンの口元が寂しげに歪み、左手で受け取る。子供の手はこれほど冷たいのだろうか、そんな風に感じて考えを巡らせる。誰かの手を握ることも数えられるほどしかない。わかった風な自分を心の中で嗤う。

 冷たく、小さく、柔らかい。少しずつ温もりを取り戻していく。その温もりはどちらから生まれたのか、あるいは寄り添うことからか。


 男はミハージィを見ている。歩き始めるのを待っている。


 ミハージィは男の目を見た。


 ミハージィが最初の一歩を踏み出す。二人の大人の手を引き、歩き始める。

 男は注意深く傍を保っている。

 スーウェンは男に倣って歩く。男がそうしていることに意味があるのだと直感が告げている。小さな手から伝わる力はあまりにも弱く、一方的に握っているように感じられる。男は違うのだろうか、ミハージィの手を持っているようには見えない。

「前を見て、歩いているのは君だ」

 男はミハージィに向かってそういった。小さな声ではあった。

 ミハージィは少し前の足下を見たまま小さく頷いて応えた。

「スーウェン、君が嫌われてるとか、まあ、そんな風には考えないか」

 男が唐突に言った。誰が誰に嫌われているというのか。そんな考えが一瞬頭を過ぎり、力なく握られた小さな手のことなのだと悟った。

「俺にはわからないが、多分ミハージィにはわからないんだ」

 スーウェンは首を小さく傾げて男を見た。

「わからないがわからない?」

「世界とか、掌とかがさ」

「ああ」

「この子は賢い。シャジーチが目が良いと褒めるのも納得できる」


「そうね」


「それでも、目で見てるだけじゃわからないことがある。感じないとわからない。でも、なんでも試せるわけじゃない」

「私はミハージィに気を遣われてるってわけね」


「ん、まあ、平たく言えばそんな感じだろう、な?」

 男は大袈裟にミハージィへ話を振った。

「だってお姉ちゃんが痛いかもしれないし」

 自分の痛みもわからないのに。スーウェンはそう言いかけて止めた。ミハージィは痛みがわからないのに他人を気にかけることができる子だ。あるいは、わからないからこそ。誰もが共通の痛みをもっていると思い込んで生きてきた。そう感じさせられる。


 痛み  痛み  痛み


 誰の痛みも等しくないからこそ、彼らは私を痛めつけることができたのだろう。彼らは私の痛みを知らない。昔を思い出して俯く。

 彼らが知らなかったことが罪でないのなら、私も彼らに痛みを与えればよかったのだろうか。私の受けた痛みを、受けた以上の痛みを。彼らは悔いるだろうか、今となっては知る術もなく、知りたくもない。


   『痛みが私のものでないなら好きなだけ与えよ』


 彼らが与えられる唯一のもの。神はただ生きる苦しみと痛みを与えた。そしてそれらから逃れる術を残した。彼らは教えを守り、与えられた唯一のものを分け与えている。


「お姉ちゃん?」

 ミハージィはいつの間にか立ち止まっていた。スーウェンは気付かず一歩先に立って振り返った。男は真横に立ち、気遣うような目で見ていた。

「ああ、ごめんなさい。ぼーっとしてた」

 明晰な思考にのめり込んでいた。囁きがそうさせたのかもしれない。

 誰のものでもない声が自分の中心で響いたような気分だった。他の全てが空白で、空白が震えているのを感じているのに自分がいない。戻ってこようとする意思すら希薄。月夜の霧になったような気分だった。こういうのを白昼夢と呼ぶのだろうか。

「ねぇ、お姉ちゃんのこと嫌い?」


「嫌いじゃないけど。なんで?」


「なんでもないけど、聞いてみたかっただけ」

「ふーん」

 ミハージィは今ひとつ納得のいかない表情で相槌を打ち、再び歩き始めた。

 スーウェンは歩きながら自分の空想を眺めていた。自分が彼らを痛めつける様を。彼らの苦悶や死を直視できず、それでも彼らを許せないという感情に嫌気が差していた。自分も彼らと変わらない。そうしなければ先に進めない蟠り。そうしたところで許せないのだからなんの意味もないはずなのに、そうしなければ納得できない。理性と感情の不和。互いに憎み合う自己嫌悪。独りで二人分の憎しみを背負っているような気分になる。


 思わず尋ねてしまうのは慰め。変わらないために、変えないために必要な慰め。


 先行きに伸びる轍を眺めながら歩みを思う。私は憎しみ合いながら歩いて行くしかないのだろう。丁度車輪がそうであるように。


 決して交わらず、先に進むしかない。




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