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眠りから覚めるときというのは唐突な瞬間だ。文字通り、文字すらなく、なにもない状態から唐突に始まる。それが誕生でないと誰にわかる? 自分自身で世界を感じる者にはわからない。他の誰かがいて、それを憶えているとしても、自分の中にあるものが記憶でしかないことを感じずにはいられない。
微睡みに軋む体の音を感じながら瞼を開く僅かな、ともすれば永遠の瞬間。息の調子を変え、吸い、吐き、大きな欠伸をする。
男は左から右へ瞳の上を強くなぞる。埃や目やに、目に入るかもしれないなにかを払う。痛みが以前の痛みであるのかを思い出しながら瞼を開く。右腕の重さを感じながら掌を眺める。土の上、頭の裏の砂粒。
右手の輪郭を確かに握りしめ、力なく開く。なにも変わりはしない。
右手を下ろし、白い息を吹き上げる。
「スーウェン……」
男は目の前のスーウェンに思わず呟く。
ミハージィがスーウェンを見る。なんとごまかしたものだろうかと目を逸らす。
「初めましてのほうがよかったかな」
スーウェンは呆れたように肩を落とした。
「そうね」
男はゆっくりと立ち上がり土を払った。
ミハージィが男に背を預け、両手で抱くように促す。男はミハージィの思うようにさせながら辺りを見回した。
「シャジーチはいないのか」
「先に行って荷下ろししてる。どこか痛いところは?」
男は痛みを思い返す。目覚める前の痛みと違うとは思えない。
「特に変わりない」
「そう」
「この子のことは知ってるのか?」
男の質問にどう答えるべきか。スーウェンは視線を落として考える。ミハージィの痛みについて? それとも、言葉通りの意味だろうか。あるいは、シャジーチに話したのかという確認だろうか。男は時折難しい話し方をする。主観のはっきりしない、誰がどう見ているのかわからない話し方。私の中から引き出すような話し方を。
「どういう意味で?」
「内面的な意味で」
「あなたに触っても大丈夫ってことは知ってる。でも、この子にもわからないの」
「シャジーチには?」
「いいえ。あなたも黙ってるつもりなんでしょう?」
男は頷きながらミハージィの頭を撫でている。
「君も?」
「私はあなたが黙ってそうだったから何も言わなかっただけ」
「まあ、なんだっていいさ」
男はミハージィの頬を優しく引っ張ったり放したりした。
「この子は奇跡なんだ」
スーウェンはミハージィを見ながら首を傾げた。ミハージィもそれに倣って首を傾げる。
「痛みを感じない奇跡?」
スーウェンは言いながら男の顔を見た。確かに、痛みを感じないなら、残るのは苦しみだけ。幸福に少しだけ近いのかもしれない。
「いいや。生きていることの奇跡だよ」
「なによそれ」
「痛みのない生はないのさ」
男は寂しそうな顔をして続けた。
「例えば、舌を噛んだことはある?」
「ええ」
「舌を噛んだことを教えてくれたのはなに?」
「ああ、痛み、ね」
「そう。じゃあ、痛くなかったら?」
「舌を噛んで?」
男は頷き、スーウェンは口に手を当てて考える。
スーウェンは軽く下を噛み、感覚に集中する。全てが痛みのような気もするし、舌を圧迫するような、何かを圧迫している歯のような感覚もあるような気がする。しかし、どんなにそれを捉えようとしても形を与えることはできそうにない。
「わからない。これが痛みなのか、触っているという感覚なのかも」
「口の中の食べ物と舌の区別がつくと思う?」
「痛みなしでってことよね」
男は頷き、ミハージィの肩を叩いて木に背を預けて座った。ミハージィは男のまたの間に座って背を預ける。スーウェンも考えながら横に座った。
「もし今、君が舌を噛み切ったら痛くなくても不味いことになったと思うだろう。でも、この子はそうじゃない。最初から痛みがない。舌を噛み切ろうが腕が千切れようが関係ない。それは死に繋がるだろうし、もちろん苦しみもあるだろう。でも、それはもう避けようがない。今までそうなってないのが奇跡ってこと」
「……確かに」
スーウェンは釈然としないまでも納得しないわけにはいかなかった。痛みを知らないということがどういうことなのか。今まで考えたこともない。
「でも、あなたは痛いんでしょう?」
男は肩を竦めて寂しそうに答える。
「この痛みがなかったら、そんなことを考えることもあるのさ。時々ね」
「いらないならわたしにちょーだい」
ミハージィが遠慮がちに言った。
「分けてあげられるなら良かったのにね」
男は穏やかに言ってミハージィの頭を撫でた。
「さ、シャジーチの手伝いをしないとな。できるだけゆっくり歩いていこう」
「怪我をしないように、でしょう」
三人は洞へと向かう。




