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幌の付いた荷車は樽や箱が敷き詰められている。シャジーチを寝かせるだけの場所は空いていない。男は仕方なくコートを脱いでシャジーチにかけた。こんなもので寒さが凌げるとは思っていない。ないよりはマシだろう。
肩に纏わり付くミハージィをよけて傍の木に背を預ける。あぐらをかいて座り、シャジーチを眺める。どれくらいで目を覚ますだろうか、目を覚まさなかったら、どうすればいいだろうか。
男はミハージィのほうを見る。この子になんと言えばいいのか、今、どんな言葉をかければいいのかがわからない。今日昨日の仲ですらない。経って一時といった間柄、握手で父親を昏倒させた男。父親を引き摺って逃げるわけにもいかない小さく幼い娘。
「寒くないの?」
ミハージィは男の前に屈み込んで言った。
「寒いさ」
ただ、寒いという感覚やそれに伴う行動がこれで正しいのかはわからない。体の芯まで冷え切っていくのがわかる。それとわからないような小さな震えが背筋から手足へ広がっている。吐く息が白むこともなく穏やかな諦めに涙が流れそうになる。
「座ってもいい?」
ミハージィは少しだけ首を傾げて言った。言葉のわからない子犬にでも聞くように。
男は首を傾げてから頷いた。それがどういうことかわからないにしても、座るくらいどこにでも座るがいいという心持ちだった。
ミハージィは男のあぐらに腰を落として座った。男の組んだ手を自分の前で握らせてその手を包む。男の手は冷たく、ミハージィの手はそれよりも少しだけ温かかった。
「どうやったの?」
なんと答えればいいだろう。どうやったらあんなことができるのか、そして、それは私にもできるのか、そんな質問だ。
「なにもしてないよ。何が起こったのかもわからない。それより――」
男は自分の手を撫でているミハージィを不思議に思いながら手を優しく握った。冷たさと温かさが混ざり合っていく。
「冷たくない?」
男の質問にミハージィは首を横に小さく振って答える。
「じゃあ。痛くない?」
答えは同じだった。
この娘は痛みがわからない。熱さも冷たさも、もしかしたら全てがそこにあることすらわからないのではないか。父親が目の前で昏倒したというのにこの無関心、それを為したであろう男に対する無警戒。無垢。
「おじさんは?」
「うん?」
「痛くない? 冷たくないの?」
「痛いし、冷たい」
「触ると痛いの?」
「いいや」
「冷たいのは?」
「冬はそういうものなんだよ」
「不思議ね」
ミハージィはわざとらしく白い息を吐いた。
なにもかもがわからないなら不思議だろう。雪がなぜ降るのか、草木がなぜ枯れるのか。空の明るさも暗さも、なにもかもが不思議でたまらないだろう。目を閉じてすら感じる変化を感じられない。孤独だ。ミハージィは少しだけ浮いた世界にいる。男はそう思った。
「おじさんはそこにいるの」
男は首を傾げて続く言葉を待った。ミハージィの中で言葉が混ざり合っている。足りない言葉を探し、わからない言葉をわかろうとしている。
「おじさんの手はここにあるの」
「手だけ?」
「ううん。顔もあった。体もあると思う」
「体はよくわからない?」
「手とか顔よりはわからないけど、あるのはわかる」
「そうか」
男は握った手を解こうと緩める。
「もう少し」
ミハージィが握り返す。
男は抗うこともなく握られるに任せた。
「どんな感じがするんだ?」
「わからないの。ここにあるのがわかる。なんて言えばいいのかわからないの」
「熱いのも冷たいのもわからない?」
ミハージィは頷く。
「痛いのも?」
頷く。父親ですら、母親がいたとしてもわかるまい。
ミハージィの寂しさが男の胸の中を埋めていく。熱さや冷たさ、痛みや苦しみを遠ざけようとする優しさがそこにはないことを思う。たといあったとしても伝わらない気持ちを苦々しく思う。それを感じられない孤独を感じる。この体に宿った呪いのような強い痛みだけがミハージィの感じる世界なのだ。
唯一の世界がこんなものであるという申し訳なさが神を呪う。痛みしか与えられない自分を必要とする巡り合わせを呪う。やがてミハージィが痛みを知ったとき、自分をどんな目で見るのだろう、そんな不安が、寂しさが自分を呪う。
「どうしたの?」
男は無言で応える。ミハージィは優しく手を撫でている。




