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 抑揚のない日々が過ぎていく。傍に座り森を眺め、傍に立ち森を歩く。日を浴び、雨を眺め、火に当たる。繰り返すように過ぎるそれは何度目だろうか。夢の中で触れ、触れられない現実を知る。焼かれながら交わることなどできはしない。互いの火が触れぬように肌を温め、時折夢のように触れては跳ねる。

 深々と雪の降るころ、それを眺めながらスーウェンは溜息をついた。シャジーチはこの冬も来るだろうか。もちろん、来るに越したことはない。家財や食材、服。なければないで済ませるのだろうという気持ちと、ないことなど考えられないという気持ちが渦巻いている。シャジーチに、男に、どう説明したらいいのだろう。何を説明するというのだろう。シャジーチは商人で毎年来てくれる取引相手だ、男はふらりとやってきた不思議な男で痛みを纏っている。だからなんだというのだ。それを説明したところでなにも変わりはしない。説明しなくても。実際、男はなにも気にしないだろう。シャジーチにはなんと言えばいいのか。シャジーチは商人だ。特別な関係でもない、それだけで特別な関係ではあるのだけれど。考えながらスーウェンは首を振った。シャジーチは変わらずにいてくれるだろうか、今までと変わらない関係でいてくれるだろうか。不安が胸に溜まっていくのを感じながら唇の裏を噛む。自分がシャジーチを信じていないようにも感じられる。不誠実なのは自分なのではないかという不安が大きくなる。今までの関係にやましいことなどないと言い切れるにしても、それは本当にそうだろうか。自分の思い込みがシャジーチを傷つけはしないだろうか。傷つけたとしたら、どうなるだろうか。

 全てを忘れるようにミハージィを思う。年はいくつだっただろう。八歳かそこらの幼い少女。深い藍色の瞳が思い浮かんだ。ミハージィの瞳はこんな色だっただろうか。思い出せない。それでも、それがミハージィらしいと思えた。シャジーチの瞳の色は何色だっただろう。やはり似通った藍色だっただろうか。深い黒だったような気もする。目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込む。冷たい空気が滲む温かさを感じさせ目が潤む。瞬きを繰り返し、人差し指で目の縁を拭う。

「どうした」


 男の声に意識が帰ってくる。ぼんやりとした冬の森から炎揺らめく洞の内。土の器を形作る中での散漫。虚ろな過去がそこにはあったのだ。土は水と混ざり合い、炎に包まれては形を変える。内側から燃える器。輝きの漏れるほど激しい炎。こんなにも力を力として感じたことがあっただろうか。シャジーチやミハージィが傍にいてもこんな感情は湧かなかった。認められていると感じる。自分の能力を確かに感じられる。男は私を見ていてくれる。満たされた今だからこそ虚ろな過去を感じ、思い返してしまうのだろう。

「話したことがあったかなと思って」

 男はそれと分からぬほど首を傾げて答える。

「何も聞いてはいないさ」

 スーウェンは口を尖らせて鼻を鳴らした。

「まあ、そうよね」

 土塊は砂に還り、炎は揺らめく火になった。まるで気に入らない。それは酷く散漫で美しさが感じられない。心の中に美しさを描くことができない。無作為の中の作為を探すにも限界がある。スーウェンは男の傍に座り直して続ける。

「毎年、毎年だと思う。商人が来るの。子供連れの」

 男は頷く。それ自体はどうでもよく、スーウェンがどうして欲しいのかがわからない。

「ああ」

「私が独りで困ってた時。今までも独りだったけど、困ってた時に助けてくれた人なのよね。その、逃げてたときに」

 それは聞かなくてもわかることだった。境遇は違えど追われる者の辿り着く場所など知れている。平穏に行き着いたとなれば善意の、或いは利己的な助けがあったのは明らかだ。

「ミハージィって女の子がいてね、可愛らしい、まだ小さい子だと思うんだけど」

 スーウェンは話しながら自分が何を言いたいのかわからなくなっていた。ミハージィが可愛らしいというのは正直なところではある。しかし、男にそれを語りたいとは思っていない。なんの脈絡もなく、行き着く先もない。

「ああ、なに言ってるんだろ。とにかく、その人達のことを思い出してた。それだけ」

 男は目を伏せて虚空を見た。スーウェンの言葉や仕草から読み取れるものを読み取ろうとしていた。散漫な作業、商人との思い出、小さな娘、錯乱。

「顔を合わせないほうがいいならそうしよう。森の外を歩いてもいい」

 スーウェンは聞くなり悲しげな表情を浮かべた。それを考えまいとしてた。

「戻ってきてくれるの?」

「わからない。君が迎えに来るなら」

 男は答えながら自分の中を眺めていた。果たしてスーウェンのもとに戻るだろうか。望まれれば戻るだろう。断る理由もない。しかし、断らない理由もない。彷徨う間に森から離れてしまうかもしれない。森から離れることを惜しむ理由もなく、帰る道もわからない。なにより、生きている保証もない。

「そうよね」

 スーウェンは指を絡ませながら考える。思い返して思うのは驚くほどシャジーチを見ていなかった自分の不甲斐なさだった。商人の男。小太り髭の男。いつも笑顔だった。どんな笑顔だった? 思い出せない。使い古した巻き布は今年もそのままだろうか。シャジーチを語る言葉が見当たらない。ミハージィ、どんな風に育っているだろう。なにもかもがどうなるのかわからない。

「森の中を歩いてるのはどう?」

 苦し紛れの言葉だった。森の中なら探すのにそれほど苦労はない。それでも男が歩くには広大だろう。狼がいないとは言い切れない。男の痛みが永遠に続くかもわからない。もしも男が死んでしまったら? スーウェンは考えながら男の死がある種の終末のように感じられた。この男が自分にとって最良の伴侶であり救い主であると確信していた。それがどれほど荒唐無稽で馬鹿らしい話であると理解していても、それを信じる内心を変えることはできそうにない。シャジーチとの諍いなどあるはずがない。それを信じてはいても、変わらない今を捨て去るにはスーウェンの心は弱くなりすぎた。何か一つ欠けるのを考えるだけでも体が、心が動けなくなる。何一つ欠けてはならない。奪われ続けた果ての果て、手の届く場所だけでも守らなければならない。些細な行き違いもないに越したことはない。

「構わない」

 男はそう言って外を見た。雪がうっすらと森を包み始めていた。スーウェンの火から離れることができるだろうか。この温かさから離れることができるだろうか。冷たさは痛みを掻き消してくれるだろうか。それとも、鋭い痛みが残るだろうか。火の傍に慣れすぎている自分を感じながら目を伏せる。胸の内にあるのは不安か、期待か。どうなるともしれない自分に何を思うのか。歩き続け、倒れた先の空を思い返す。

「ごめんなさい」

 スーウェンは軽い頭痛を感じながら言った。いろいろな考えが頭の中を渦巻いているのが感じられた。全てが自分の意思とは無関係に混ざり合っているような気持ちの悪さで吐きそうだった。考えたくもない。

「少し歩こう」

 男は言いながら外に出た。

 スーウェンは何も言わずに続いた。

 誰のものともしれない足音が聞こえる気がした。

 先を行くものか、後に続くものか、或いは、重なる谺か。



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