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男は洞の縁に背中を預けて輝きの向こう側について考えていた。晴れていく霧を眺めながら意識を泳がせる。ぼんやりとした視界の内側を漂いながら言葉を拾っていく。
運命
神
痛み
美しさ
霧
輝き
朝
風
冷たさ
震え
微かに震える左の掌を見る。皺まみれの乾いた手。肺の中から全ての息が抜けていくような感覚。脱力感に抗うことができない。膝を折ってへたり込み、浅い呼吸を繰り返す。体の縁が焼けるように熱をもつ。全身が縮むような痛みに体が震える。痛みの波が大きくなっている。常に意識の底にある痛みが全身を包んでしまう。両手で自分を抱えるように脇腹を押さえる。そうしたところで痛みがどうなるわけでもない。触れれば触れるほど痛みを感じる。それでも、動いているよりは幾分かマシだと言える。じっとしていればそれ以上の痛みがくることはあまりない。嵐が過ぎ去るのを待っているのと変わらない。違うのは吹き荒れる場所が自分の中であることくらいだ。そう考えると自分の中に一枚の膜ができたように感じる。嵐を見ている自分、痛みを見ている自分。嵐や痛みの間に肉体を割り込ませて意識がそれを見ている。痛みを見ている間は、少なくとも、痛みを見ていると感じている間だけは意識が苛まれることはない。他のことを考えるなら、それは酷く邪魔で耐え難い苦痛のように感じてしまうというのに。それと向き合っている間だけはある種の穏やかな感覚すら覚える。
痛みの靄の中で男は神について考える。この痛みこそ神が与える試練だというのならばなんと理不尽なことだろうか。この試練を乗り越えるために必要なものはなんだというのか。痛みに耐えることだけが道ならば道などないのと変わらない。それは永遠にそこに留まっているだけだ。神が与える試練とはなんなのか。際限なく続く痛みや悪夢のような過去、穏やかな生との隔絶が試練だとでもいうのだろうか。それを乗り越えたとして、その先には何があるのか。
スーウェンのように過去との隔絶を余儀なくされた者達の苦しみは癒されることなどないだろう。いままでを奪われたとして、自分とはいったいなんなのか。全て失った者は赤子となんら変わりない。赤子と違うのは残された苦しみと傷跡、痛みや諦めだけが残り、父も母もない。孤児として生まれた者はどうすればよいというのか。人が自分を自分だと思えるのは生きてきた過去があるからだ。昨日の思い出が、昔の思い出が。下らなくも儚い、美しくもなんともない毎日の積み重ねだけが自分だと言えるのだ。それすら奪われることのなにが試練だというのか。
男は自分の中に怒りに似たやりきれなさが渦巻いているのを感じた。体の疼きが痛みなのか怒りなのかわからず戸惑い、拳を握る。息をする力が湧くのを感じる。ゆっくりと長い呼吸。痛みを押さえつけている自分を感じながら吐き出す。考える力が帰ってくる。
そも、神がいるというのなら、なぜ試練など与えようと考えるのか?
否。これは神の言葉ではない。
神の代弁者を名乗る者達の言葉だ。神とは非道な存在か?
否。非道であったのは代弁者達だ。
では神とは何か。
神が全てを創ったというのなら、それらは全て神の一部であるはずだ。それとも、神は世界と隔絶した存在なのだろうか?
世界と隔絶した存在を神というのならば、その神はどこからやってきたのか。世界は神となにかしらの繋がりを持っていると考えるのが自然ではないのか?
やはり、非道な代弁者達に限らず全てが神といえるはずだ。神の意志が、神の思索がそれらを生み出したはずだ。でなければ神などという言葉は生まれなかっただろう。神は存在する。しかし、神の意志はこの世界に満ちているようなものではないのではないか?
全てが神の一部であるのなら、全ては無に等しい。等しく存在する無だ。それぞれが関係性をもっているように見えるのは全て位相の移り変わりでしかない。
関係性の消失。
やはり神はいないのか?
神の存在がこの世界の無だとするなら、全ては等しくそのように生まれた無限の繰り返しでしかない。
神は存在する。しかし、この世界にはいない。
男はそこまで考えて力なく首を横に振った。
あまりにも救いがない。神がいてもいなくても、自分の痛みやスーウェンの苦難が消えることはない。全てはそのように生まれついただけなのだ。神がいなければ自分の不幸を嘆くことしかできないだろう。しかし、それではあまりにも救いがない。神がいるのならば罵詈雑言を投げつけることくらいはできるかもしれない。下らない教えはともかく、神はどこかにいると信じるほうがマシに思えた。あるいは、弱さこそが神そのものなのかもしれない。人は全てを受け入れて背負っていけるほど強くない。他のなにかのせいにしたいことも多いだろう。弱さの果て、巡り巡る因果こそが神であり運命なのかも。
不意に襤褸を着た老人が思い浮かび、男は鼻で笑った。先ほどまでが嘘のように脱力していた。意識の底に微かな痛みを感じながら、それでも、驚くほど穏やかな気持ちで朝日を見上げることができた。襤褸を着た老人もこうやって見上げたいものがあったのかもしれない。神と重なり合って座っているような不思議な感覚。差し伸べられる手を待つ者のような諦めと期待の折り重なった不安。それでも、穏やかな不安だった。何も失うものがないというのは不思議な感じがする。今、命を失ったとして共に消えるものは痛みと、スーウェンに悪いかもしれないという小さな気遣いくらいのものだ。自分自身がなんなのかすらわからないなら、消えていくものを惜しむ気持ちも思い出せない。積み重ねた毎日がないというのは理解しがたいものなのだろう。死んだように生きる今だからこそ、神と共に座ることができたのかもしれない。
男は誰に誇るでもなく、証明するでもなく、ただ自分自身の確信として神と共にあったことを感じた。過去との隔絶と常にある痛み。最初の出会い。スーウェンの手は差し伸べられてはいない。それでも、助けを求める手は伸びている。握り返してみるのも悪くはない。どちらが引くにしろ、そこから全てが始まるような気がした。
男は静かに立ち上がりスーウェンの横に座った。力なく垂れた腕。きれいな形の爪は少し伸びている。少女が女になりはじめた指。形が絞られながら未だ皮が伸びきっていない。柔らかく折れそうなそれは白く、日陰を生きてきたのだろうと思わずにはいられない。それが望まぬことであっても。男は一時、目を閉じてスーウェンの顔を覗き込む。そこには苦悶も安らぎもない眠りがあった。ローブの隙間から覗く首筋に視線を奪われ、伏せるように目を逸らす。申し訳なさと迷いが男の中で漂っている。
この手を握れるだろうか。スーウェンの痛みを顧みることもなく。
否。
どうあっても思わずにはいられないだろう。
それでも、この手を握らなければ救われないのだろう。
救えるだろうか。
救われるだろうか――。




