前編
昔々、あるいはまた、遠い未来の物語。
人の住まない荒野の中に、古びた城塞がありました。その中央には塔が建てられ、一人の少女が囚われておりました。
少女の名前は“希望”といいます。幼さを残すその顔は、しかし、愛らしさより凜々しさを印象づけ、何より背中から白い翼が生えており、現世の人間ではないことを示していました。
塔は彼女を閉じ込める牢獄であり、取り囲む城塞は機械仕掛けの迎撃兵器。城塞の管理者は“竜”と呼ばれておりました。その姿は、ほぼ人間の形といってよいものでしたが、黒光りする甲殻に身を包み、背中から生えた奇妙な尻尾が床につながっていました。“竜”が塔の中を歩く時、尻尾と床の接合部分は、床に刻まれたレールのような部分を滑りながら一緒に移動して行くのでした。
大抵の場合、“希望”は一日中、塔の窓から空を見ておりました。彼女が塔に閉じ込められて、もう長い年月がたっていましたが、窓から空を見上げる瞳には静かな力がたたえられ、もう一度羽ばたく希いを捨てていないことがうかがえました。
その日も“竜”は、扉のない戸をくぐって彼女の部屋に入り、低い声で告げました。
「また塔に挑む者が現れた……。隊は二十三名、装備もかなり良好のようだ」
“希望”は視線を“竜”に向けて、問いを投げかけます。
「なぜ、そんな事を話されるのです? この私に……」
「なぜならお前に期待を与え、それを奪うのが楽しみだからだ。お前自身を変質させることが俺の望みなのだよ」
応える声は淡々としたものでしたが、彼の頭部を覆うガラスの奥には、嘲りを込めた目が光っていました。
「私は“希望”。どんな時にも諦めない。いつか必ずこの塔を出て、人の心を力づけるでしょう」
「ではその目で見るがいい。奴らの滅ぶ様をな」
いささかも揺るがぬ“希望”の返事に、“竜”も冷たい声を返し、その場に背を向けました。
“竜”は城塞の管制室に入ると自らを導線で機械につなぎ、迎撃装置と一体になります。“空の目”からの情報を元に、反乱者たちの配置を知ると、おもむろに火器を起動させました。
丈の長い自在脚の上に射撃装置が据えられた兵器は、長い首を掲げた竜そのものに見えました。事実、塔を襲う反乱者たちは、それを「竜頭」と呼ぶのです。放たれた火矢が轟音とともに炸裂し、彼らを蹂躙して行きました。あっけないほどの戦力差でした。数分後、反乱軍は、たった一人しか生き残っていませんでした。“竜”は竜頭を通じて、生き残りの青年に語りかけます。
「若いの……帰って仲間に伝えるがいい。塔に挑む者には、死あるのみだとな」
彼はそれを伝えるために、一人をわざと生かしておいたのでした。しかし青年は、傷つきながらも不敵な笑みを浮かべ、“竜”に言葉を返します。
「陳腐な脅しじゃないか“竜”……。それで俺たちがひるむと思うなら、きさまは思い違いをしているぞ。“希望”を失った俺たちは、死を鬱陶しいくらいにしか恐れていないのだ」
「!……」
「確かに俺たちは敗れたが、次なる戦士が必ずやってくる。そして“希望”を塔から解き放つだろう! “希望”を我らに!!」
手負いの体を引きずって青年は竜頭に発砲し、それに応えて放たれた紅蓮の炎に焼きつくされて息絶えました。
管制室の“竜”は導線を体から外し、低い声で吐き捨てました。
「愚か者めが……!」
長いこと、彼ら反逆者たちは、塔に囚われた“希望”を取り戻そうと“竜”に挑み続けてきました。そして“竜”は、そんな彼らを際限もなく返り討ちにし、殺し続けてきたのでした。
回廊をたどりながら“竜”は思います。なぜ人間は今さら“希望”を求めるのだ? 既に完全な社会はできあがっている。欲望と期待がない交ぜになった“希望”……。そんな物は人間を苦しめるだけではないのか? だからこそ我々は“希望”をこの塔に封じたのに……
通信の広間に入り、“竜”はひざまずいて同期を始めます。目の前に映し出されるのは巨大な都市の映像。それはこの流刑地から遠く離れた地に建設された、彼らの機構の首都でした。
機構の名前はアスガルド。完全な社会であり、国家を超越したからこそ機構と呼ばれるものでした。
都市の映像に、巨大な“目”が重なります。それは機構の中枢である“ロキ”の擬体。電子頭脳と情報網がロキの実体なのですが、はっきりしたイメージを与えるためには擬体の像が必要なのでした。
“竜”は戦闘結果の報告を始めます。
「偉大なる体制の中枢ロキよ。本日二十三名の反乱軍の襲撃を受け、19:00までに掃討しました」
「ご苦労さまでした、戦士“竜”よ。あなたの働きはアスガルド最上のものの一つです」
「もったいないお言葉……」
ロキの賞賛に、“竜”の胸にも、まるで若者のような誇らしさがみなぎります。
「さて戦士よ。残念ながらこのような反乱はまだ続くでしょう。体制から逸脱する列島分子は後を絶ちません。彼らは都市の外周に原始的な集落を作りアスガルドに圧迫を加えようとしています。なんという愚行! このような者どもに“希望”を渡すことは断じてあってはなりません! 獣に興奮剤を与えるようなものなのです!」
「我が命のある限り彼らが“希望”を手に入れることはあり得ません! もし私が敗れる時は、塔も一緒に崩れ去り“希望”をも地中に封ずるでしょう。アスガルドに栄光あれ!!」
「アスガルドに栄光あれ!」
唱和とともにロキの擬体映像が消えた後も、“竜”はしばらく通信の広間で、ひざまづき続けました。
◇──◇
“竜”が“希望”の部屋に入ると、彼女は珍しく椅子から立ち上がり窓の外を見下ろしていました。
「何を見ている……何か面白いものでもあるのか?」
「鳥を見ていました……巣を作っているのです」
いぶかしげな“竜”の問いに、“希望”は微笑みながら答えます。
「巣だと?」
「そう、城門の上あたりに……。ご存じなかったのですか? あなたは私よりずっと注意深くあたりを見ていると思ってましたけど」
「注意する対象が違う……。小動物など、俺には何の意味もない」
ぼやきながら、“竜”もまた窓辺に立ち、城門の上を見やります。いくつかの感覚器で見、鳥と巣に異常がないことがわかると、興味を失い背を向けました。
「まったく非生産的なヤツだな。かつての人間は、なぜお前を神の一人に数えたのだろうな?」
「そのこと自体が理由なのですよ。非生産的、計算不能、秩序の外にあるもの……。それが自分たちを微笑ませ、力づけてくれると知っていたのですね」
「不要なものを見分けられなかっただけだ」
「不要、ですか。哀しいですね。あなたたちにこそ、私が必要なのに……」
立ち去ろうとした足を止め、“竜”は半身、振り返りました。
「何と言った……?」
暗いガラス越しに光る彼の目に、“希望”は真っ直ぐ視線を合わせます。
「あなたたちにこそ私が必要なのです。自分たちの信じる完全さの中に閉じこもってしまった人々……。秩序だけを求める先にあるのは、無機物の冷たい静寂だけ。あなたも気づいているのでしょう? アスガルドの機構にさまざまなエラーが生じている事を……。あなた方の求めた完全さとは、生命とは相容れないものだったのです」
「お前は単純なミスを過大に言っているにすぎん! アスガルドの主要施設は自動修復装置とフェイルセーフによって幾重にも守られている!」
思わず声を荒げる“竜”に、少女の声はむしろ穏やかでした。
「あなたは自らの目をふさぎ、自分を欺こうとしている……。本当にご存じないなら自分でアスガルドに行き、確かめられたらどうです?」
「ハ! お前の狙いがわかったぞ。要するにこの俺に、塔を留守にさせたいわけだ! あいにくだったな! 俺はこの塔と一体化し、共生しているのだ。塔を離れるなどあり得ない!」
嘲りを残して立ち去ろうとした“竜”の背に、“希望”はぽつりとつぶやきました。
「あなたもこの塔に囚われているのですね……」
足を止め、言い返そうとして言葉が浮かばずに、“竜”は足音を荒げて部屋を出ました。
◇──◇
塔に再び反乱軍の襲撃があった日、“竜”はいつもどおり警告役にするために、一人の兵士を生かしておきました。傷の痛みか、あるいは敗北の屈辱のためか、背の低い男は顔を伏せて泣いてました。竜頭からの呼びかけに、憎悪のこもった視線を向ける兵士の顔を見て、“竜”は衝撃を受けました。どう見ても、十歳をいくつも出ていないような少年だったのです。兵器の引き金から指を放し、思わず語りかけました。
「なぜだ……なぜお前のような子どもが」
“竜”が語りかけてきたのに、一瞬驚いた少年でしたが、かん高い罵声を返しました。
「キサマに情けがあるのかよアスガルドの魔竜!! 父さんと母さんを工場の奴隷にさらった奴らの仲間だろう!!」
「! 馬鹿な! アスガルドの工場は全て自動機械によっている! アスガルドの民は生産労働から解放されているのだ!」
「そんなことを信じるやつは一人もいないぞ! オレはアスガルドの奴隷狩りをこの目で見て、逃れてきた!」
「嘘だ!!」
「ふざけるな! くたばれ魔竜!!」
少年は身を翻して火矢を拾い、竜頭に向かって放ちました。“竜”の反応がわずかに遅れ、火矢が命中し爆発しました。反射的に引いた引き金に、半壊した竜頭から機関砲が放たれ、少年は人の形も残さずに砕け散りました。
“竜”は自分のやった事を前にして、しばらく身動きできませんでした。導線を体から抜くことも忘れて。
戦いの後、“竜”は“希望”の部屋を訪れました。彼女の心をくじくために、ずっと続けてきた習慣でした。その日ばかりは、そんな気持ちにはなれなかったのですが、習慣を変えるのは自分の弱みをさらすようで、それも耐えがたかったのです。
「……むごい事を……」
「洗脳を行えば……どんな事でもしゃべらせられる!」
吐息とともに漏れ出した“希望”の言葉に、自分の返事が自分にとってさえ言い訳じみて聞こえ、“竜”はいらだちを隠せませんでした。
「ご自身でそれを信じてはいないのでしょう?」
心底を見透かしたような一言に、“竜”は思わず“希望”のあごに手を添えて顔を向けさせました。驚きに揺れる“希望”の瞳を、食い入るように見つめながら、“竜”はかすれた声を絞り出します。
「お前を殺してやりたいぞ“希望”……!」
むき出しの憎悪に動揺しながらも、“希望”はまっすぐ声を返します。
「人為の兵器で私を殺すことはできません。地上の人間すべてを滅ぼさぬ限り……」
「おお、百も承知だ! だがな、それが可能でロキの許可が得られるものなら、俺は喜んでお前を殺してやる!! 覚えておけ!!」
怒声を叩きつけて、“竜”は足音粗く部屋を出て行きました。彼が“希望”に手を触れるなど滅多にない事です。あるいは初めてだったかも知れません。
薬の力を借りて心を静め、“竜”は通信の広間に向かいました。どんな事情があれ、報告を欠かすことはできないのです。
「昨夜02:33に奇襲を受けました。兵数はおよそ三十名。07:00までに掃討しました」
「手こずりましたね、あなたらしくもない。どうしたのです。疲れてでもいるのですか?」
「……なぜ偵察衛星から警告を下さらなかったのです?」
「それには答えられません。その質問はG7以上の階級の将校に限られた機密です。しかし一言触れておくと、反乱は塔のみで起こっているわけではありませんので、全般的戦略視点から、今回のような事もあり得ます」
ロキの返事に、なぜか“竜”の胸がざわつきます。鎮静剤を飲んだばかりだというのに。恐れに近いためらいを押し切り、“竜”は疑念を口にします。
「衛星に故障があったのでは……?」
「……“竜”よ、同じ問いを重ねないように。非効率な行いです」
それは答えではなく、拒否でしかありません。“竜”の胸に、疑いの気持ちは消えませんでしたが、それに戸惑う気持ちもまた湧いてくるのでした。数ヶ月前なら、そんな“ロキ”の返事に疑いをもたない、いや、問うことさえしなかったはずなのです。
小さな吐息をつき、“竜”は議題を変えました。
「……第一城壁の全方位ランチャーが破損しました。修理をお願いします」
「それはできません“竜”よ」
“ロキ”の答えに、“竜”は自分の耳を疑いました。思わず立ち上がり、問い返します。
「なぜです……?!」
塔と城塞の装備は、自分の職分だという自負がありました。こればかりは管轄外と言われて納得できるはずがありません。
「その必要がないからです。最終防衛戦まであと六機のランチャーがあるではありませんか」
「しかし……破損した装備は……」
「この程度の戦闘で破壊されたのは第一ランチャーが不良品であったことの何よりの証拠です。不良な装備は修理してもムダというもの。残りの兵器で塔の防衛は十分以上に可能ですとも。何しろ守るのはアスガルド最高の戦士の一人……あなたにならできると私は信じています。……できませんか? 自信がおありにならない?」
“竜”の心底に、久しく感じなかった思いが渦巻きます。疑念・恐れ・不満、そんなものがない交ぜになって。しかし……最後に彼の返事を決めたのは、戦士としての誇りでした。
「……やります……。やり遂げてごらんに入れます……」
「それでこそ“竜”! アスガルド戦士の鑑! あなたは我々の誇りです! アスガルドに栄光あれ!」
通信が終わった後も言いようのない思いを抱え、彼はしばらくその場に立ち尽くしました。




