【7】
ミラの瞳からポロポロと涙の粒が零れる。
「なぜ、泣く。ミラ?」
「嬉しいんです。でも、悲しいんです」
「どっちなんだ?」
レグルスの気持ちは嬉しい。
でも、自分の事を考えると…。
「ごめんなさい。やっぱり、ごめんなさい!」
ミラはバスルームから飛び出した。
力の入らない足をもたつかす。
転ばずに済んだのは、大きなタオルを広げて、デネボラがドアの前で待ち構えていたから。
「ふふ、捕まえた」
艶っぽい笑みを浮かべてタオル越しにミラを抱き締める。
「デネボラ様!」
せっかくレグルスから逃げたのに、次はデネボラだ。
自室へと運ばれ、すっぽりタオルに包まれたまま優しく拭かれる。
最高級品であろうレースをふんだん使った肌触りの良い下着をデネボラの手によって、身に着けられる。
「さあ、ミラ!気に入ったドレスを選びなさい!」
目の前に10点以上あるドレスは、どれも色鮮やかで華やかなものばかりだ。
選びなさいと言われても、ミラにはとても似合うとは思えない。
しかも、老婆の姿では…。
肌が多く隠れる、この中で一番地味な色の藍色のドレスを選択する。
「それを選ぶと思ったわ」とデネボラの嬉しそうな声。
ジュエリーボックスを見せられ、中にはミラが選んだドレスと同じ色の宝飾品が煌いている。
「ミラ、泣かないで。レグルスと一緒が嫌なら私と一緒に王宮に来る?」
「っ!?」
驚きのあまり、息を呑む。
ミラはこの屋敷の外へ出た事がない。
だからと言って、出てみたいとは思わない。
ここは愛する人が創った小さな二人の世界。
ずっと、このままで居たかったけど、もう無理なのかもしれない。
デネボラ手によって着付けられていくドレス。
蜂蜜色から真っ白の白髪になってしまった髪もデネボラが結い上げていく。
鏡の中のミラは、みすぼらしい老婆から品のある老婦人に変わっていく。
「デネボラ様、これも魔術ですか?」
「ふふふ、まさか。これは、ミラ本来の姿でしょう」
「私は…、こんなに…」
「ミラは老いても、可愛いわ。心の美しさは変わらないのね」
そこまで褒められると照れてしまうより、吃驚してしまう。
どうして、デネボラ様は、レグルス様は、こんな孤児で何も無い私にあらゆる物を与え、優しくしてくれるのだろう?
「デネボラ様。いつもこんなによくして下さって、とても嬉しいのですが、お返しするものが私にはありません」
「私が、勝手に楽しんでいる事なのよ。ミラは、迷惑なのかしら?」
「いいえ!そんな事は、決して!!――でも、理由が、知りたいのです」
「んー、そうね」
デネボラは考えているのか、振りなのか、ミラの瞳をじーっと見詰め、柔和な笑み見せ紅い瞳を細める。
「ミラの瞳の色を見た時、故郷の海の色の思い出したの」
「故郷、ですか?」
デネボラとレグルス――魔人の故郷は異世界である。
誰も見た事の無い世界。その異世界からアルファルドの召喚術によって召喚されてこの世界に来た。
デネボラは「召喚された時は驚いたけど、アルファルドは優しいし、この世界は美しいわ」と話し出す。
「戦いばかりの世界から、救ってくれたのよ。アルファルドが――」
ミラには、想像出来ない世界だ。
戦争は知っている。先のベテルギウス国との戦争だ。
そして、国同士の戦いに巻き込まれただけの少女。
「幼い頃、海辺の近くに住んでいたの」
「――海、ですか?」
「その海はとても青くて…。ミラを見ていると懐かしくて…」
初めて知る。デネボラの心。
ミラは、デネボラに何も返していない訳ではなかったのだと――。
「穏やかで綺麗な海よ。深青色の海は見ているだけで穏やかな気持ちになるの」
デネボラは記憶の中の海を思い返し、少し寂しげに微笑むが、すぐにいつものデネボラに戻る。
「だから――」と続けて、あの日、戦場となった村を独り彷徨い歩いているミラを攫ってきてしまったのだと。
と冗談っぽくデネボラが言えば、ミラは「デネボラ様が人攫いになったお陰で、こうて生きているのです。感謝しています」と答える。
「レグルスも同じ。私がミラを連れ帰った時、じーっとミラの瞳ばかり見ていたもの」
自分の目を見られていたかどうかは、もう憶えていない。
でも、レグルスとデネボラの間でどちらが面倒を看るかで激しく口論していたのだけは憶えている。
結果、根負けしたデネボラがレグルスにミラを、あくまでも預ける事で諦めた。