【3】
昼食後、後片付けを終えたミラはモップとバケツを持って、屋敷の廊下を磨いていた。
食事中のレグルスはいつものように無表情で食事を取り、ミラに声を掛ける事無く食卓を後にした。
ミラはそれでも、きちんと時間通りに自分の作った食事を取ってくれた事にほっと胸を撫で下ろす。
水の入ったバケツは重く、ふらふらと足元が覚束ない。
いつもなら軽々と重いバケツも持ち上げ、ささっとモップを掛けていく事が出来るのに老婆の力では、これが限界。
ふうっと息を吐き、汗を拭う。
「あら、そこの貴女。新しい下働きの方?」
ミラが顔を上げると目の前に、黒のドレスに身を包んだ絶世の美女が優艶と立っている。
「デネボラ様!いつも、お越しになる時はご連絡下さいって、お願いしているのに!」
そう言って、ミラはモップとバケツを片付けようとし時、手に力が入らずバケツを倒してしまう。
せっかく掃除をして綺麗にした廊下が、汚水で汚れてしまった。
そんな事より、デネボラのドレスに掛かってしまったのではないかと、ミラは蒼い顔を上げる。
「デネボラ様…」
「別に、汚れていないわ。それより、貴女…」
「――…ミラ、です」
「ミラ?」
「はい、こ、こんな姿ですが、ミラ、なんです」
レグルスの不興を買い、こんな醜い老婆となってしまった姿をデネボラに見せるのが辛く悲しい。
俯いたまま、汚してしまった廊下をせっせとモップを掛ける。
「ここが終わったら、すぐにお茶の用意をします。先にレグルス様のお部屋へ」
いつもなら、ミラ自らレグルスの部屋へと案内するのに今日は出来そうにも無い。
「どういう事なの?ミラ!」
「それは、私が、レグルス様を怒らせてしまったのです」
「何をしたの!」
「そ、それは…」
「ミラじゃなくて!レグルスは、ミラに何をしたの!!」
紅い瞳がつり上がり、扇を持つ手が震え、ボキっと音を立てて扇が二つに折れる。
「例え、兄上でも許さないわ!」
デネボラは身を翻したと同時に、転移の術でレグルスの部屋へと向かった。
「レグルス!一体、ミラに何をしたの!!」
同じ色の髪に同じ色の瞳の兄妹は、性別が異なるだけ、とても似た容姿をしている双子だ。
お互いが同じ紅い瞳に片割れを映す。
「デネボラ」
視線を魔術書から外し、妹の姿を見る。
デネボラは怒りに身を任せている。ほんの少しでも間違った言動でもすれば容赦無いといった感じだ。
「さっさと、ミラに掛けた術を解きなさい!!」
あんなに可愛い私のミラになんて酷い事をするのかと、靴音を響かせ大股でレグルスの前までやって来る。
そのまま勢いで胸倉さえも掴んで、手を上げてもおかしくないと言ったほどだ。
手だけなら、いい。
魔術でも繰り出そうものならこの辺一体は炎の海に飲まれて焼け野原になるだろう。
そして、レグルスは答える。
「否だ」
「なっ!?」
「否だ、と言っている」
「っ!!!」
ぷいっとそっぽを向いて拗ねた口調で答えるレグルスを見て、デネボラはあまりにも自分の兄の子供染みた態度に返す言葉が見つからない。
そんな態度を見せられたら、少し冷静に落ち着いて話した方がいいだろうとデネボラは考える。
「レグルス、一体、ミラに何をしたの?」
今一度、デネボラは怒りを収め、同じ質問をレグルスにする。
「ちゃんと、ミラに想いを伝えたの?」
「…伝えた」
「言葉が足りなかったんじゃないの?」
「………」
「まさかとは思うけど、命令してない?」
「………」
デネボラはレグルスの態度と返事を聞いて、大きな溜め息を吐く。