【4】
ミラに求められいるものは、この王宮内での立ち振る舞いだ。
“ミラ”という小さな存在ではなく“魔導師長の妻”という存在だ。
そして、ミラの背に大きく精神的圧力が圧し掛かる。
この先、ミラ自身、務まるのだろうか?
レグルスの妻というミラにとって小さな幸せは、この国の魔導師長となるとミラは大きな災いの元になってしまうのではないか…。
例え、レグルスの傍に居るのが刹那であっても、あの日から救ってくれたご恩と愛情に答えなければならない。
務まるか、務まらないか、ではない。
ミラが自分で選んだ道なのだからと、再び背筋をピンと伸ばす。
「疲れたわ。休憩にしましょう、ミラ」
「――は、はい!」
「緊張した?ゆっくり、構えて居ればいいのよ」
「はい、あ、いいえ!しっかりと、覚えていきます!」
デネボラは素直に反応するミラを見て、微笑ましく思う。
侍女達が昼食とお茶を用意する様子を見て。ミラは「私が淹れますから」と言い、デネボラは侍女達を下げさせる。
「ミラの淹れるお茶が世界で一番美味しいと思うのは、どうしてかしら?」
「誰が淹れても同じですよ」
「今頃、レグルスは屋敷で何をしてるのかしらね」
「きっと、レグルス様も昼食を召し上がってます」
デネボラの予想では、ミラが王宮へと転移したのを目の当たりにして、すぐにでもミラの後を追ってここでやって来ると思っていたのに、来る気配が無い。
かなり、拍子抜けだ。
「兄上が一人で昼食?」
「はい、手提げ籠に、お食事を用意してここへ来る前にお渡ししましたから」
「いいわね~。私もミラの作る料理が食べたいわ」
「デネボラ様がお望みなら、いつでもお作りします」
「それって、今後も王宮へ来ても良いという意味で受け取るけど」
「はい。私は、レグルス様の為になるなら何でもします」
迷い無く言い切るミラは、凛として咲く小さな野花のようだ。
「さすが、蒼海の女神。レグルス閣下がお選びになったのも頷ける」
部屋の片隅で、臣下の礼を取る初老の男性は、厳しい目を和らげミラを見る。
「全く、ノックぐらしなさいよ!フォーマルハウト!」
デネボラがむすっと表情で、その男を窘める。
確かに、ノックの音は無かった。さらに、ドアを開く落とすら無かった。
「――魔導師の方ですか…」
ミラの言葉に男は「魔導師長代理、フォーマルハウトと申します」と名乗る。
「蒼海の女神と、こうしてお会い出来て嬉しく思います」と仰々しく挨拶する。
そんな男の対応に、ミラは戸惑うばかり。
「あ、あの“蒼海の女神”って、やはり、私の事ですか?」
何を今更という感じでデネボラが「そうよ、他に誰が居るの」と答え、フォーマルハウトは「その瞳の色は輝く海そのものです」と答える。
「このリゲル国は山々に囲まれています。故に、この国の者にとって海を見た者は居ないに等しい。つまり、憧れなのですよ」
はっきりと“憧れ”と言われ、ミラは恐れ多いとその深青色の瞳に涙が浮かぶ。
「フォーマルハウト!ミラは泣かせてはいけないわ!例え、貴方でも許されなくてよ!」
デネボラの言葉にミラは“そうではない”という意味で首を振る。
「まさか、折角、レグルス閣下も午後にはこちらへとお越しになると、先ほど魔道具にて通信したばかり。その事をお伝えに参ったのです。ようやく、代理という大役を降り、老後はゆっくり過ごせます」
「そうね、全てはレグルスのせいね。でも、出仕するというのはミラのお蔭ね」
レグルスが出仕する。
その報告を受けて、ミラはこの計画が良い方向へと向かっていると安堵する。
10年も自分の為に出仕しなかったというレグルス。
そして、10年もレグルスが傍に居るのが当たり前だと思い続けてきたミラ。
レグルスに守られてきた世界から、外界へと踏み出す勇気をデネボラから貰った。
「デネボラ様にご相談して良かったです。これからも、私、レグルス様のお仕事に邪魔にならないように務めます」
こうして、午後も公務をこなしていく。
デネボラの元に訪れる人物の詳細を、フォーマルハウトはミラの傍に付き、耳打ちしていく。
最後の謁見者が退室していくのとすれ違いに一人の女性が入室して来た。
デネボラが大輪の紅い薔薇なら、この女性も同じく美しく咲き誇る白き薔薇。
「ご機嫌よう、デネボラ様。本日のご公務もこれで終わりでしょう。お茶の用意が出来ますので、こちらでお休みなりませんか?」
「まあ、ありがとう、アルヘナ。頂くわ」
「こちらの方が、お噂の“蒼海の女神”なのですね。わたくし、アルヘナと申します。魔導師長代理のフォーマルハウトの娘ですの」
「ミラと申します」
アルヘナは不躾にミラを探るような目で見てくる。
ミラとて、意地がある。
今日一日で、得た事を無駄にしたくない。
レグルスの婚約者、そして、妻として相応しいか、そうでないか。
「レグルス閣下がお越しになるまでお茶をして待ちしょう。ミラ様」
ミラにとって相手が誰であれ、試されていると思えば、逃げるという選択肢は無かった。
デネボラは、報告があるというのでアルファルドの元へ。
フォーマルハウトは、この後、レグルスが来るという事で迎えの準備に向かう。
残されたのは、白き薔薇の如く清楚で美しい女性――アルヘナとミラの二人。
侍女の淹れるお茶は悪くはないが、ミラは自分ならもう少し…と思いながらカップに口を付ける。
「ミラ様は、10年もの間、レグルス様とご一緒にお暮らしになっていたのでしょう」
「…はい」
「わたくしも、それ以前は、レグルス様とよくあのお屋敷で一緒に過ごした日々は今でも大切な思い出ですの」
「………」
つまり、孤児のミラが現れなければ、この10年間もアルヘナはレグルスと一緒に過ごす事が出来たのだ。
ミラが邪魔だと言っている。そのぐらいミラでも解る。
「10年とは、短くもあり、永くもあり」
「え?」
「幼い少女が、大人になるほどの月日ですもの」
「…そうですね」
「魔人であるレグルス様やデネボラ様は、お姿は変わりないけど、人間はお二人から見れば儚く消え行く存在なのでしょうね」
ミラは、自分が儚く消え行く存在だというのは解る。
それを理解した上で、レグルスを愛し、レグルスの愛を受け入れた。
寿命など魔人と比べれば、短くて当然なのだ。
それでも、ミラはレグルスの傍に居ると心に決めた。
「アルヘナ様。私は儚く消え行く存在でも、生きている限り永遠を求めるものです」
アルヘナは小さく頷き、ミラの話を促す。
「私は抗います。レグルス様にとって私は刹那でも、私は永遠で有り続けます」
「――愚かな」
アルヘナの瞳が猫の目のように細くなり光る。
「永遠を手に入れておきながら、そのような戯言を!」
「…あっ!?」
アルヘナは召喚の術でこの部屋に幻獣を喚ぶ。
その姿は、まるで巨大なヤモリだ。
大きな口を開け、重力波を吐き出す。
ミラは重力に負け、床に伏せる。
テーブルの上にあるティーセットも乾いた音をたて、テーブルごと無惨に砕け散っていく。
「そこまでだ、アルヘナ」
制止の言葉と共にこの部屋は重力から解放される。
ドアが開いた気配は無かった。
声の主は転移の術で、この部屋へと来たのだろう。
「へ、陛下…」
ミラは青ざめた顔をするゆっくり上げ、アルファルドを見た。
隣にはデネボラ。
その後ろにフォーマルハウト。
そして、――レグルス。
その紅い瞳に自分が映る。
苦しみも悲しみも、レグルスの紅い瞳を見れば、切なさに中に愛しさが揺れる。
ミラは深青色の目を閉じ、意識を手放した。




