【2】
昨日に続き、今日の訪問者はデネボラだった。
デネボラは両手に多量の書類を持ち、むすっとした表情でレグルスの部屋のドアを大きな音を立てて開け放つ。
「レグルス!いい加減に、王宮へ出仕したらどうなの!」
実兄への挨拶をもすっ飛ばしてこの言い草。
「私だって、いつまでも私にお使いをさせないでよ!」
デネボラは、わざと乱雑に書類の束を机の上にのせる。
この部屋に人影が揺れていたから、デネボラはてっきりレグルスだと思い込み一方的に話をしていたのだが――。
「デ、デネボラ様!?」
その人影は、窓を拭いていたミラだった。
雑巾を手に吃驚して身体を硬くしてデネボラを見ている。
「ミラ!貴女だったの!ごめんなさい、レグルスだと思って、私――」
「い、いいえ!レ、レグルス様なら、食材の調達にと少し前にお出掛けに。その間、お部屋の掃除と思って、私――」
どちらも悪くないのに、相手が謝罪をすれば、それ以上の謝罪の言葉が返され、繰り返す内にデネボラが「不毛だわ」と言い、ミラもそれに笑顔で同意する。
「レグルスが居ないのなら、今ならミラを独占出来るわ」
先程まで不機嫌だったデネボラはどこへ行ったのか、デネボラは呟き、ふふっと笑む。
「デネボラ様、先に食堂の方へ。私はここを片付けてから参ります」
ミラはデネボラが出て行くのを確認し、途中までだが掃除の手を止め方付けを始める。
「昨日の陛下のお言葉と、今日のデネボラ様――やはり、レグルス様には王宮へ出仕していただかなくては…」
ぎゅっと絞った雑巾を手にミラは、自分が何かしら行動をしなくてはいけないと思った。
先に、デネボラが食堂へと――厨房へと行きお湯を沸かしてくれていたおかげで、お茶の準備は思いのほか早く整った。
天気も良いという事もあって、ミラはティーセットをワゴンに載せ庭先へと向かう。
「ミラ、ラスクは無いのかしら?」
「…ラスク、ですか?」
「昨日、アルファルドがミラのラスクを食べて、とても美味しかったって言うのよ」
「!!」
昨日のラスクは、節約の為に捨てる事が出来なくて作ったものだ。
それを一国の国王が「美味しい」だ、なんて…。
恥ずかしいというか、情けないというか。
「デネボラ様、昨日のラスクの残りは私が食べてしまったので…」
「そう、そうよね。昨日の事ですものね」
「あ、でも、今日は、気合を入れて、マフィンを作ったんです!」
「ミラは、料理もお菓子作りも上手ね」
デネボラは、マフィンを手にとって口に運ぶ。
「美味しいわ、アルファルドにマフィンを食べたって言ってやるんだから」と、終始にこやかだ。
ミラは機嫌良くデネボラがお茶を楽しんでいる様子に、少なからずもほっと胸を撫で下ろす。
そして、意を決してミラは本題に入る。
「デネボラ様、実はご相談したい事があります」
レグルスは、溜め息を付いた。
業者に食材や日用品を運ばせ、自分は先に転移の術で屋敷に戻る。
昨日はアルファルド。今日はデネボラか。
どんなに遠く離れていても、屋敷を包むように結界は張ってある。
出入りが自由に出来るのは、国王と王妃だけだ。
「全く、毎日と言うほど用も無いのに来るな」
眉間に皺を寄せ、独り言を言う。
ミラとデネボラの気配を辿り、庭先へと早足で進む。
「デネボラ」
「あら、兄上。買い出しは終わったの?」
いつになく上機嫌のデネボラは席を立ち「私は、これで失礼するわ」と、妖艶に笑む。
「机の上に書類を置いてあるから目を通しておいて」
「――解った」
「じゃあ、ミラ。またね」
「はい、デネボラ様」
ミラも席を立ち、礼を取る。
転移の術で消えたデネボラを確認したレグルスは、ミラに視線を向ける。
「レグルス様、お帰りなさい。買い出し、お疲れ様です」
労いの言葉とミラの笑顔。
そして、その深青色の瞳に見詰められると、無意識に手を伸ばし腕の中に閉じ込めたくなる。
「ミラ、愛している」
「レ、レグルス様!?――…私も、です」
常に傍に置き、誰にもミラの存在を隠し――アルファルドでさえ会わせずにいたのだ。
ミラは成人した。
レグルスの婚約者となった。
もう俺だけのものだと、公言出来るのに。
どこか手の届かない場所へと行ってしまうのではないかと不安にかられる。
無意味で不必要な悩みなのかもしれないが、レグルスにとってミラは傍に置くだけで心安らぐのだ。
深青色の瞳。素直な心。無垢な笑顔。
異界には、無かったものだ。
どうすれば、完全に俺だけのものになるのだろうか。
その日も、早朝からミラはエプロンを身に付け厨房に立つ。
朝食の準備と――。
「ミラ」
調理する手を止めて、振り返るとレグルスが相変わらずの不機嫌そうな顔をして立っている。
「レグルス様!朝食が遅くなって申し訳ありません!」
慌てて謝罪し、時計を確認すると、いつもレグルスの部屋へと行く時間にはまだなっていない。
ミラは少し首を傾げ「レグルス様?」と不安げな表情に変わる。
「いや、少し早く目が覚めたから」
「…そうですか。では、朝食の用意が整いましたら、お呼びしますね」
ミラの心臓は早鐘のように、打ち続けていた。
昨日、デネボラに相談した事が早くにもレグルスに知られてしまったのかと。
レグルスに王宮へと出仕して貰うた為にミラに出来る事。
それは――。
朝食後、レグルスの自室の前にミラは手提げ籠を胸に抱え、緊張した面持ちで立った。
ノックをする。
相変わらず返事は無い。
ミラも、もう不思議には思わない。
何故なら、この屋敷にはミラとレグルスしか居ない。
このドアをノックするのは、ミラしかいないのだから。
「レグルス様、失礼します」
手に持つ手提げ籠をミラはレグルス差し出した。
無言でレグルスは受け取る。
「ミラ?」
「今日から、王宮へ行儀見習いとしてデネボラ様の下で勉強する事にしました。屋敷内の仕事も今まで以上に頑張りますので、勝手に決めた事はお許し下さい。夕刻までには戻ります」
レグルスに話をさせまいとミラは自分の思いを一気に吐き出した。
しかも、ここで反対されたり、王宮行きを阻止されたら、計画が水の泡だ。
言い切ったミラはレグルスの言葉を聞く事なく、右足にあるアンクレットが光り、ミラの足元に魔法陣が現れる。
時間通りです、デネボラ様。
転移魔法でミラは、約束の場所へと姿を消した。




