真夜中のときめき
真夜中は…
不安を感じさせる重たい闇に包まれて…
だけどその先に…
明るい朝を予感させる不思議な時間でもあった。
(彼が心配だよ。)
だけど、それとはうらはらに、
ドキドキしてた。…期待してる自分。
(ごめんね、辛いよね。でも許して…。)
だって本当はずっと待っていたんだもん。
彼の口からその一言を聞く日を…。
「彼女と別れたよ…。」
改めてリュウタは私に言った。
「うん。」小さく返事を返す。
私はどんな顔をすればいいか迷った。
悲しげな彼の表情とはうらはらに私は喜びを感じずに居られなかったから…。
とりあえず彼の隣に座る。
昼間と何も変わらないリュウタの部屋。
だけどさっきまでなかったはずのお酒の缶が転がっている。
あんまりお酒は飲まないって言ってたくせに…。
そんな彼がいじらしくて、私まで切なくなった。
「飲んでたの?お酒駄目でしょう?」
リュウタは瞳を潤ませながら、堅い笑顔を作って言った。
「何かね。いいじゃんこんな気分の時もあるよ。」
そう言ってうつむく瞳はとても悲しく見えた。
「そうだね。わかるよ。」
ミクも笑顔を浮かべた…。
それから、どうしたら彼が彼女を忘れてくれるのか、
頭の中はその事でいっぱいになった。
(彼は今、何を想うの…??早く彼女を忘れて…。泣かないでよ。)
ミクはリュウタの髪をなでた。
リュウタは何も言わないでうつむいている。
「辛いよね…。二年もつき合って来た彼女だもんね…。」
「そりゃ…やっぱ、少しは…。」
リュウタは必死で何かに耐えているみたいに遠くを見ていた。
ミクの中にも、期待と不安、それから罪悪感ももちろん、
彼と同じ様に複雑な気持ちが広がっていく。
二人の間に割り込んでしまった事。
それから彼に悲しい想いをさせてしまった事。
本当にコレで良かったかなんてやっぱり解らない。
だけど、もし、彼が今私を選んでくれるなら、
その罪悪感も、不安も、一緒に背負ってあげたい。
私はそう強く心に想ったんだ。
(だからお願い…。もう迷わないで。)
私を好きになって…。
喉越しまで出かかっていたその言葉を飲み込んで、
ミクは黙って彼に寄り添った。
それからしばらく二人で並んでTVを見たり、課題をかたずけたり、
いつもの様に、何でもない時間を過ごした。
彼は努めて平然を装っていたのかもしれない。
それでも私には、とても尊く、幸せな時間だったんだ。
こんな時間がこれから先ずっと続いてくれたらいいのにって、
強く強く想ったよ。
今ここにある幸せな時間だけが明日に続いたらどんなにいいだろう…。
早くリュウタが彼女を忘れてくれて、
自分も幸せになれたら…。
ミクはそっと彼に近付いて、二人の距離はとても近くまで来ていた。
リュウタももう、それを拒む事はなく、私も彼を怖いと思わなくなっていた。
「ねぇ…」
リュウタが小さな声でささやいた。
「何?」
顔をあげると、すぐ側まで彼の顔が近付いている。
ミクは自分の鼓動が早くなるのを感じていた。
そして、リュウタの細い髪が、かすかにおでこに触れた時、
彼の口からついにその言葉を聞く。
「キス…してもいい…?」
まるで、初めての感触。
ミクの体中に、熱くて激しい気持ちが走った。
ミクも彼の頬に触れて答える。
「駄目なわけないじゃん?」
潤んだ彼の瞳と目を合わせると、
彼に力強く引き寄せられて、
…そして、ゆっくりと、お互いの唇が重なった。
煙草の苦い香りが広がり、
舌を絡ませる度、その香りでミクは酔いそうになる。
頭の中では、過去の記憶が広がった。
それは、もう忘れてしまいそうだったいくつもの彼とのキスの記憶。
13歳で、初めてキスをしたあの日、それから、観覧車のキス、花火の時も…。
どれも素敵な出来事なのに、幼く、子供じみていて、
だけど、どれもキレイな思い出で…。
それから、いつしかそんな事にも慣れて行き、彼を手放した日の事も…。
全部思い出した…。
沢山の記憶が蘇る。
私の心を、体中を満たして行くこの気持ち…。
沢山の後悔や罪悪感と一緒に、止まっていた時が再び動き出そうとしている…。
もう迷う事はない。
ミクにはリュウタ、そう、ただ一人だよ。
まるで初めてキスをした時の様に、ミクの心は高鳴っている。
何人もとかわしたどのキスよりも、今、彼の唇は私を惑わせて、揺さぶっている。
それは幸福を案じさせる、小さな奇跡にも思えた。
明日も明後日も、その先も…。
ずっとずっと感じていたい。
なんとも言えない気持ちだった…。
そして彼の手が頬を離れ、しずかにミクの服に滑り込む。
「いい?」
「うん。大丈夫。」
ミクはもうどうなってもいいと思った。
「だけど…。」
「ん?」
リュウタが不思議そうな顔でこっちを見ている。
ミクの心はもう彼の物、でも彼の心はどこにあるんだろう…。
それだけが心配…。そう、あとはそれだけ…。
「ねぇ、本当に彼女の事はもういいの?もう他の子とこーやってしないの?」
リュウタはあいまいな笑を浮かべる。
(お願い、もう私だけだって言って…。そしたら安心して、リュウタの物になるから…。)
でも彼は、やっぱり答えなかった。
その時彼の中にはまだ、迷いがあったのかもしれない。
仕方…ないか。
それ以上はもう考えない事にした。
「やっぱ…やめようか?」
リュウタは静かに手を離そうとした。
「ごめん、違うの。何でもないから!」
「そう…?」
「うん、」
「やめないで…。」
「解ったよ。」
リュウタの力にまた引き寄せられる。
安心する…。
今度はミクから彼の首に手を回して、
リュウタの細い髪、
色白な作り物みたいにキレイな体をゆっくり確かめる。
声も、指も、全部が全部。
触れる度に心地よくて、懐かしくて、でも初めての感触。
今だけは、嫌な事も全部忘れられる気がした。
今はこれでいいんだ。
きっと大丈夫。
ミクは自分に言い聞かせてた。
「リュウタが好きだよ。」
そしてその夜、リュウタの体の重みと、
その手や、唇の感覚は、ミクの理性やプライドまでもどーでもいいと思わせた。
時々耳元で彼の息がもれる度、ミクは頭がおかしくなるくらい興奮させられたんだ。
時々見た事もない彼女の顔が私の脳裏を過ったけど、
彼も同じ様に彼女を思い出しているんだろうか…。
ここは天国なの?
それとも地獄なの?
もうどーでもいい。
長い空白を埋める彼、唇、声、その全部で、
ミクの頭は空っぽになる。
彼以外の世界はもうぼやけて見えなくなってる…。
長い夜…。
ミクの心はもう完全に彼1人の物。
きっとこの先もずっと…。永遠に…。
長い夜の暗闇に浮かぶ、曖昧な光。
そのかすかな光に導かれて、
新しい朝を探すんだ。
その夜、ミクの心の中は、
幸せな彼との未来でいっぱいに埋め尽くされた。
明日はどんな日が待っているのかな?
明日が来る事があんなに待ち遠しいと思ったのはきっと初めてだった。