おやすみを言って。
最近のミクと菜穂の朝の会話は決まってこう、
「ねぇ、お祈りしてる(笑)?何かいい事あった?」
ミクは答える。
「まぁね。ぼちぼちかな。」
実際、リュウタとの仲はやっぱりまだ“友達”だった…。
それでもおまじないの様に2人はそのおかしな宗教を何となく心の中で信じていた。
そしてまた、その日もリュウタからの短いメールで、ミクは彼の家へと走る。
「もしもし、リュウタ?着いたよ?」
「うん、上がって〜」
気怠そうな声、奴は決して玄関までお出迎えしてくれたりはしない。
ミクはもう慣れっこだった。
そんな彼の態度をいちいち気にしていては身が持たないから。
いつもの様に2人は無意識に距離を取ってベットに座る。
TVを見たり、漫画を読んだり、一人で居ても二人でいてもどっちでもいいような時間を一緒に過ごすのだ。
時々リュウタはシャワーを浴びたりご飯を食べたりする。
彼の生活、彼の日常を見ていると、ミクはいっそうドキドキさせられたけど、
彼にっとっては何でもない事で、乱雑に髪を拭きながら、どうでもいい事をまたずっと話すのだった。
少なくとも、ミクにとって、2人でいるのはそんなに窮屈な事ではなかった。
元々、彼の勝手な行動やそれでいて実は結構優しい所なんかがミクは好きだったから。
彼とは2年ぶりに再会したっていうのに、彼は基本的にあんまり変わっていない様な気がする。
違う学校に通って、知らない友達を作り、どんなバイトしてるのかも知らないし、色んな事が変わっているはずなのに、ミクは彼の“本質”を好きだと感じていたから、どんなに環境が変わっても、姿が変わっても、何度巡り会っても彼を好きになる様な気さえしていた。
ミクは自分の立場もちゃんとわきまえているつもりだった。
元カノだからと大きい態度は取れない、あくまで自分だけの勝手な片思いだという事もちゃんと知っていた。
でも、最近どーしても気になる事が一点…。
ピロピロ〜♪♪
2人でTVを見ていると、聞き慣れた着メロが鳴る。リュウタのだ。
「また鳴ってるよ?出れば?」
「いいや、メールだから。」リュウタは携帯を枕の下に放り込む。
「俺、あんまりメールとかしない派だから。それよりお茶でも飲む?」そう言うとリュウタはさっさとキッチンに逃げて行ってしまった。
絶対、絶対決まって彼女のメールなのだ。
ちなみに私は、恋人の携帯をいちいちチェックする人が嫌い。
つき合ってるからってプライベートを干渉する人も嫌い。
細かい事を詮索するのもされるのも束縛も大っ嫌い!!!
だからいちいち携帯を鳴らしまくるこの彼女の事がすっごく気に入らなかった。
まぁ、カンのいい彼女の事だから、元カノが家に居るとは思わなくても何かおかしいとは思っているのかもしれない…。
実際私は、そーゆう女が嫌いと言うよりも、リュウタの彼女がそんな感じだったから、ただ同じ様な女に見られたくなかっただけなのかもしれないけど…。
リュウタの携帯がまた鳴る。
今度は着信だ。
リュウタの居ない部屋で、彼女の着メロがいつもより一層うるさく聞こえた。
(やっべー、超むかつく…。)
どっちかって言えば悪いのは私の方なんだけどね。
こんな時女なんて本当都合のいい生き物だな〜なんて考えながらも、携帯が鳴りやむと、急に部屋が静かになって、自分の心臓の音が大きくなっている気がした。
何だかんだ言ってもミクのストレスはピークに達していたんだ。
耳障りな携帯の音がもう一回鳴ったら、ミクは絶対冷静ではいられない。
(携帯カチ割ってやりたい、駄目だ今日はもう帰ろうかな…。)
荷物を持って立ち上がった時だ、ベットの下に何か落ちているのが目に止まった。
手に取ると、それは、パンダのぬいぐるみだった。
(コレってもしかして…。)ミクの記憶の回路が繋がる。
そのパンダはミクにとってとても大切な物だった。
3年前のある日、リュウタとミクは動物園に出かけたんだ。
その動物園には小さな遊園地も付いてて、5分もあれば一周しちゃう様な観覧車なんかがあるんだけど、とても幼かった私は、その観覧車のてっぺんでチュウする!!!って大騒ぎして(バカ)、
もちろんリュウタはそーゆうのバカにするし、こっちも全然期待してなかったんだけど、実際てっぺんまで来た時、リュウタはチュウをしてくれた…。
私は大はしゃぎで、帰りにパンダのぬいぐるみまで買ってもらって、そんな恋人っぽい事をしてもらうのってとても珍しかったから、私は本当に嬉しくって、その年のリュウタの誕生日に、時計と、同じパンダを買ってあげたんだっけ…。
ミクはそのパンダがまだリュウタの家にあるなんて想像もしてなかった。
少し薄汚れてしまったそのぬいぐみは時の流れを感じさせて、ミクを悲しい気持ちにさせたけど、思えばこの部屋には、私のあげた物がいくつか紛れ込んでいる。
たぶんリュウタは別れたからっていちいちその彼女の物を、処分する様なタイプじゃないのだろう。
別に想い出に浸るとかそーゆーんじゃなくて、ただ忘れてるんだろう…私の中では大切にしまってある沢山の想い出も、リュウタにとっては何でもない事なんだろうな…。
ミクは荷物を下ろすと、ドアに耳を当てた。
静かな部屋の中でかすかに彼の足音と食器のぶつかる音が聞こえる。彼はまだキッチンだ。
私は本当は別に聞き分けがいいわけでも、いい子でも何でもないただの勝手な女でしかなかった。
本当は彼女の事も、わけの解らない“友達”って関係にもほとほと疲れきっていた。
リュウタの携帯に手を伸ばす。
彼の携帯は無防備にもロックもかけられていない。
私の知らない彼の日常を本当は知りたくて仕方なかった。
私はその束縛のひどい彼女と何も変わらない。
メールフォルダの中は本当に彼女のメール以外何もなかった。
他の女のメールも私のメールさえも…。
(彼女、“千理”って言うんだ…。)
私は震える手で、千理のメールを開いた。
でもそここには意外な事が書かれていたんだ…。
(はぁ?なんじゃこりゃ??これじゃまるで…。)
そこに書かれていたのはこんな感じ…。
【リュウタくん、どーして電話もメールも返してくれないの?一体なんな訳?何してんの?最近おやすみのメールもくれないよね?おやすみだけは毎日言ってっていったじゃん!!!】
私は何だかちょっとホッとしていた。
だって何かコレじゃまるで、2人がうまくいってないみたいじゃない。
(ってゆーか、毎日「おやすみ」なんて、そんなめんどくさい事奴がしているのか…。
何かやっぱり彼も変わったのかな?私がつき合ってる頃ってお互い携帯なかったからなぁ〜。)
ちょっと嬉しくてニヤついてると、彼がキッチンから戻って来た。
「何お前一人でニヤニヤしてんの?キモイよ」
「別に?それよりコレまた鳴りましたけど?」
ストラップをつまんでいる私を見て、一瞬リュウタの顔がマジになる。
「うわっ、お前いつの間に!!返せって!」
「やーだね!」携帯を開くとリュウタが慌てて飛びついて来た。
「よせって、離せって!」
携帯を握る私の手の上に大きなリュウタの手が重なる…。
ベットの上でリュウタがのしかかってきて、ミクは一人で勝手にドキドキしていた。
「お前って奴は油断も隙もねーんだから!!」
携帯が手の中に戻ると、リュウタは安心したって顔で、また私と距離を取って座る。
リュウタの体が離れるとミクはちょっとがっかりした。
(あーあ、やっちゃったっていいのに…。)
何かちょっと自分ってずるいし最低だなと思ったけど、でも何かどーでもいいって感じだった。
「ねぇ、コレさぁ覚えてる?」ミクは今度はパンダをつまんだ。
「あー昔お前が置いてったやつだろ?まだあったんだ。欲しいなら持ってっていいけど?」
「いいの、ココに置いてきたいの。」
リュウタはふーん、と答えた。
こいつは私や彼女の気持ちがどこまで理解できるんだろう?
最も私はリュウタの気持ちなんて全然解んないし、彼女の気持ちなんて知りたくもないけど…。
「そろそろ帰ろうかなぁ。」
「あ、じゃあ俺も途中まで乗せてって。」
「いいよ。」
2人は原付きで外に出た。
夜だって言うのに蒸し暑くて、2人乗りしてると、少し汗ばんだリュウタの体温で自分も熱くなる。でもそれが良かった。
私は原付きで走ってる間も少しでも話がしたくて大きな声でしゃべっていた。
「私ー、こーやって2人乗りしながら昔誰かと喧嘩したーー!!!」
リュウタも大きな声で答える。
「ばか、それ俺だわー!お前が乙女チックに横座りで自転車乗ったからやめろって言ったんだよ!」
「そーだっけ??」
私は彼が覚えててくれて嬉しいと思った。
「じゃぁ、私の名前フルネームで言える?漢字で書ける?誕生日言える?家どこか解る??」
「お前俺をなめてんのかよ、そこまで記憶力悪くないし!!!」
ミクは大声で笑った。
「何がおかしいよ?」
「別に、気にしないで!」
ミクは嬉しかった。些細な事も全部忘れられてる気がしてたから。
(やべぇ、もう引き返せない。)
ミクはリュウタの事がどんどん好きになっていた。
そしてその日の夜、リュウタからまた短いメールが届いたんだ。
【おやすみ。】って…。
驚いた…意味は解んないけど、嬉しかった。
ミクも短いメールを返した。
【大好きだよ。おやすみ。】
言ってはいけないと思っていた。でも入れたかった。
それから次の日もその次の日も彼からの【おやすみ】は届いたのだった…。