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青女月の少年/4

  ◆

 馬原啓介はぼーっと教室の窓の外を眺めていた。

 校庭の木々はまだまだ元気な緑色で、秋も近いというのに、未だ地面に伏せようとする気もなさそうである。

 あの事件の後、学校へ行く足は鉛のように重く、その道のりははるか彼方の如く遠かった。

 一週間休んでから登校するなり、話をした事もない同級生らに囲まれ、何があったなどと問い詰められた。

 校長室に呼ばれ、担任の教師にも体調を心配されたりもした。

 校内で一躍有名人になってしまった啓介だが、本人はそれどころではなかった。

 いつも姿を見れば自然と目で追っていた、あの沙耶の姿はもうないのだ。

 彼女のクラスの机には一輪の花が添えてあった。ニュースなどで見た事のあるあの光景がまさか自分の学校で、しかも知り合いの机で起こるとは思いもしなかった。ようやく普通の生活に落ち着きつつある啓介だが、その胸には大きな穴がぽっかりと開いたままなのだ

 友人の岩崎もなるべく事件については触れない様に気を遣ってくれている。もう一人の友人も、啓介が休んでいる間に学校を辞めてしまっていた。その理由は岩崎をはじめ、誰も知らないらしい。

 瓜生もちらりと姿を見かけたきりで、噂によるとまた転校してしまったらしい。混乱していた休み明けはあまり気にならなかったのだが、少し落ち着いた今となっては、それが少し寂しくもあった。

 ほんの数日で学校の何もかもが変わってしまった気さえしてしまう。

 沙耶の姿を最後に見たあの日の夜、彼女はまるで別人のようだった。

 自分を蔑んだような目で笑う沙耶の顔、あれは夢だったのか。

 自分の口に何かを押し当てる竹本の顔、あれも夢だったのか。

 啓介はあの日、自分がなぜあの学校にいたのかさえ、分からなかった。分からないというより、夢と現実との境界線がなくなってしまっているのだ。

 最後に見た沙耶の表情は、自分の事をあざ笑うような目だった気がする。しかし真っ暗闇の夢の中で聞いた沙耶の声はとても優しく穏やかなものだった。


「ごめんね、啓ちゃん……」


 夢にしては啓介の耳にはっきりと残っている。

 “ごめんね”とは何に対して言ったのだろう。なぜ彼女は自分に謝ったのだろう。啓介にその理由は分からない。

 その理由を彼女に聞く事は、もう出来ないのだ。

 あの夜、啓介は沙耶の持つ二つの顔を見た。

 一つは昔から知ってる啓介の恋した沙耶の顔。もう一つはいつか沙耶自身が語った、冷たい魔女の顔。後者の沙耶を見たのは初めてであり、最後に見たのも魔女の顔だった。

 どちらが本当の彼女なのだろうと啓介は考える。

 いくら考えても答えは出ないが、あの夢の中で聞こえた声が本当の沙耶なのだ、と啓介は信じたった。

 眠りに就く前に沙耶の事を考えると、今でもすうっと涙がこぼれる。授業中でもそれは同じだから、なるべく沙耶の事は考えない。

 もっと早く想いを伝えていれば、と啓介は悔やんだ。

 いつの間にか出来た、身に覚えのない腕の傷を見るたびに、なぜか啓介は沙耶を思い出す。

 きっといつかこの傷も癒え、跡かたもなくなるのだろう。その時にはきっと沙耶の事もどこか記憶の片隅に追いやられてくれるはずだ。

 啓介はそんな事を考えながら、肘をついて相変わらず窓の外を眺めている。


(喉が渇いたな……) 


 秋の足音が聞こえるにはもう少し時間がかかりそうだ。



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