青女月の少年/2
「あの日、ボクは確認に行ったんです」
二人が出会ったあの日、瓜生は行く所があると理由も告げず、青木だけを先に学校に行かせた。
青木が瓜生を車から降ろした場所、それは馬原啓介の自宅前だった。
瓜生は啓介の両親に会いに行き、どうしても確認したい事があったのだと言う。
「『ネイヴ』はヴァンパイアを登録していると以前言いましたよね。住民票みたいなものです。結婚し、子供が出来て仮にその子がヴァンパイアとして目覚めてなくても申請する義務があるんです。しかし彼の家系はヴァンパイアとして登録がされてなかった。だからどうしても確認したくて、馬原君が確実にいないあのタイミングで彼の家を訪ねたんですよ」
青木は湖を見つめたまま、黙って瓜生の話を聞いていた。
「ボクが『ネイヴ』の者だと告げると、彼の母親は黙って家に上げてくれました。そしてもうすぐ父親も帰るから話はそれからにしてくれと言われて少しの間待ってたんです」
それで学校に来るのが遅れやがったのかと青木は苦笑いした。別にあの黒のスーツ、赤いネクタイの服に着替えていて遅れた訳ではなかったのだ。
啓介の父親は帰って来て瓜生の身分を知るなり、ふぅとため息をつき、
「ずっと心配していた事が起こったか」
と肩を落とした。
瓜生が詳しく話を聞くと、父親の母、つまり啓介の祖母がヴァンパイアの血を引いていたのだという。それも“未登録のヴァンパイア”だったらしい。いつ、どこで啓介の祖母がヴァンパイアとなったのか、今となっては分からないが、彼女の死に際に啓介の両親はその事を知らされたという。
もちろん年寄りの妄想だと話半分に聞いていたが最後に祖母は、
「啓介のことが心配だ」
と言い残し息を引き取った。
そして遺品を整理していると、一冊の彼女の日記が出てきた。
その中には啓介の父親がヴァンパイアとして目覚めなかった事に安堵したことや、果たして孫は大丈夫なのだろうかという不安が書き綴られていた。さらに啓介の父親が気になった記述が『ネイヴ』という組織の事だった。
図らずもヴァンパイアの存在を知ってしまった啓介の両親は、啓介の成長を見守りながら、血を求めて変貌していまうのかという不安を抱き続けていた、と涙ながらに瓜生に語ったのだった。
「親に罪はねぇよな……」
何とも言いようのない思いが青木の胸を締め付けた。
「結局馬原は目覚めちまったのか、ヴァンパイアに」
瓜生は缶の口を親指でなぞりながら、何も答えなかった。
その沈黙は答えたくないという意思表示のように青木は感じたが、どうしても知りたかった。それにあの馬原の血を飲んだ直後の大久保沙耶の激しい苦しみ方、一体あの姿は何を意味していたのか。あの光景は未だに青木の目に焼き付いて離れないのだ。
「……あの大久保さんの苦しみ方が答えですよ、青木さん」
「それじゃあ、やはり……」
青木は瓜生の言葉を忘れてはいなかった。
ヴァンパイア同士、共食いはできない―――。
沙耶は同じヴァンパイアの血を飲んでしまった為に、体が拒絶反応を起こしてあのようにもがき苦しんだのだ。
あの時の坂本の反応から判断すると、彼も沙耶本人もまさか啓介が自分達と同族だったとは考えもしなかったのだろう。
「おそらく彼はヴァンパイアとして目覚めかけてます」
同族の仲間が増えるというのに瓜生の表情はどこかやるせないものだった。
「完全に目覚めちゃいねぇってのか」
「祖母がヴァンパイアだったと確認が取れたのではっきりしましたが、彼は隔世遺伝で潜在的なヴァンパイアだった。それが最近になって目覚めかけているのは確かです」
「えらく残念そうじゃねぇか。そうなりゃお前の仲間だろ。俺が分からねぇのはその目覚めかけてるってとこだ。どういう意味なんだ?」
「青木さんはそこの健軍交番で大野という巡査に話を聞きましたか?」
ああ、なにやら上から圧力掛けられてびくびくしてたあいつか、と青木は木下と一緒に大野巡査と会った事を思い出した。今考えれば彼にも『ネイヴ』から情報規制が掛っていたのだろう。
「お前らがあいつの口に蓋してたんだろ。おかげで大した情報も聞けなかったがそいつがどうした」
「言ってませんでしたか、小学生の事」
「小学生?」
青木はなんだそりゃと首をかしげた。
「膝から血を流した小学生が高校生に連れられて交番へやってきた話です」
「そういやそんなこと言ってたな。その高校生は何も言わないでさっさと行ってしまったとかなんとか……」
大野巡査に話を聞いた時はそんな話は無関係だろうと、青木は気にも留めてなかった。そして何かを思い出したようにハッとした。
「確かそいつは水色の制服だったとか言ってたな。その時、ちょうど同じ制服を着た高校生が通りかっかったから覚えてるぜ。お前が着てた制服も確か……」
小学生を連れてきた高校生も、その時たまたま通りかっかった高校生も瓜生が着ていた制服も、どれも水色のものだった。ただの偶然と言ってしまえばそれまでだが、青木はどうもそれが引っ掛かった。
「泣いてる小学生を交番まで連れて行ったのは馬原君じゃないかとボクは思うんです」
県内でも制服が水色のシャツの学校はそういくつもない。どちらかと言えば珍しい方だ。だからと言ってその高校生が啓介だったと予想する事はあまりにも強引過ぎた。同じ制服を着た生徒などいくらでもいるのだ。
「その予想は少しばかり無理があるんじゃないか? なぜそれが馬原啓介になるんだよ」
「血です」
瓜生の言葉に、青木の記憶はさらに甦った。その小学生は確か、どこかでころんで膝から血を流して泣いていたという話だった。それにしてもまだ青木には理解でない。
「ほんの些細なきっかけで、ヴァンパイアに目覚める事があるんです。馬原君はこの湖に一人でぼーっとするのが好きだったらしい。そこへ小学生が泣きながら歩いてきた。偶然、膝から血を流しながら……」
「そこで目覚めたってのか?」
「おそらくは。その小学生が言うには、心配して声を掛けてきた高校生がずっと膝の血を見ていたと言うんです。大野巡査は怪我の具合を見ていたのだろうと思ったらしいんですが、ボクはそれが気になった。それに馬原君がいつも湖を眺めていた場所と、小学生が声を掛けられた場所は一致している」
「まさか馬原はその小学生の血を?」
渋い顔をした青木を、瓜生は即座に否定した。
「それは小学生の証言からもありません。とても優しいお兄ちゃんだった、と言っています」
それを聞いて青木はホッと胸をなで下ろした。もし自分の膝から流れる血を見知らぬ男が舐めようものなら、その小学生にはあまりに恐ろしい光景だろう。
「さらに馬原君の学校生活を観察していて目立った事は、彼は必要以上に水分を欲しがっていた。休み時間ごとに廊下にある冷水器で、がぶがぶ水を飲んでいたんです。それは大久保さんも同じでした」
「そりゃあこの暑さなら喉も渇くだろ。そんなに不思議じゃねぇと思うがな」
「自分の知らない所で細胞がヴァンパイアとして目覚めている。そうなるとひどく渇きを感じるらしいんです。どんなに水分を摂っても、渇きが潤わない」
「馬原の体は血を欲しがってたのか」
「彼はヴァンパイアの事など知りませんからね。自分でもおかしいと感じていたかもしれない。逆に大久保さんはヴァンパイアになっていながら、坂本君に血を止められていた。だから彼女も相当の渇きを感じていたはずです」
渇きねぇ、と青木は残りのコーヒーを一気に飲み干し、自分の喉を潤した。
「それで、今は大丈夫なのか?」
もし啓介がヴァンパイアとして目覚めたのなら、いつかその存在を誰かが話してやらなければならないだろう。下手に放っておいたら、血を求めていつ誰かを襲いかねないのだ。
「今の所は、ね。もちろんしばらくは『ネイヴ』の監視下に置かれますけど、結局ヴァンパイア化しなかった例もありますから何とも言えませんね。今度は彼とも本当の友人として会いたいもんだなあ」
ここでようやく最初に青木と会った時の、あの掴み所のない、憎たらしいほど爽やかな表情の瓜生に戻っていた。




