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青女月の少年

「おう……」

 その日青木は江津湖にいた。九月が終わりに近づいても暑さがぶり返し、夕方だと言うのに蒸し暑さが体を不快にさせていた。

 瓜生に電話で呼び出され、仕事の合間を縫って湖まで足を運び、釣り糸を垂らす老人をただ見つめていた青木は後ろから声を掛けられ無愛想に返事をした。

「呼び出してすいません」

 瓜生の着た制服は淡い水色の夏服から白い長袖のシャツに変わっていた。

「まだ学校通ってんのか」

 青木は瓜生の顔も見ずに、ぶっきらぼうに問いかけた。

「色々と……後片付けが」

 あの悪夢の様な夜から二週間、坂本を締め上げる姿を見たのを最後に瓜生は青木の前に姿を現さなかった。

「何度も電話したんだがな」

 腕を組み、老人を見つめる青木の声に怒りはなく、落ち着いていた。

「すいません。連絡が遅くなってしまって」

 二人の間に気まずい沈黙がしばらく続いた。

「らしくねぇな。初めてお前と会った時とは別人じゃねぇか。もっとお調子もんだったはずだがな、てめぇは」

「……」

「そんなんで釣れるわけねぇだろ」

 急に青木は釣りをする老人の姿に呆れた声を上げた。距離は十分にあるからその声は老人の耳まで届く事は無い。

「……釣れませんか」

「釣れねぇな。さっきから浮きも付けてねぇ竿をひっきりなしに上げやがって。あれじゃあ魚にただで餌くれてやってるのと同じだ。やる気あんのかよ、まったく」

 そう言うとようやく青木は隣の瓜生に目をやり、手に持っていた缶コーヒーを差し出した。

「ほらよ」

 瓜生は黙ってそれを受け取り、ぱきんと音を立てて封を開けた。

「これで二度目ですね。青木さんに奢ってもらうのは」

 ふん、と青木も缶コーヒーを開け、それを口に含んだ。

「今日は青木さんに謝りに来ました」

 ますますらしくねぇな、と青木は笑った。

「今回は完全にボクのミスでああいう結果になってしまった。ボクを信用してくれた青木さんに申し訳なかったです」

「あの子を信じたかったんだろ?」

 瓜生はふぅっと息を吐いた。二週間前の事件が二人の脳裏に鮮明に残っている。

「あそこまで追い込まれた彼女が幼馴染の血を飲むか、ボクはそうしない事に賭けてしまった。そうすれば少なくとも彼女の罪は軽くなったし、更生の道も残されてましたから。今となっては全ていいわけです。すいませんでした」

 そう言うと、瓜生は青木の正面に立ち、深々と頭を下げた。

「謝るこたぁねぇだろ。俺だって目の前で大久保沙耶の動きも竹本の動きも止められなかったんだ。警察官として情けねぇ話だ。目の前の殺人を防げなかったんだからな」

 何にしても後味の悪い事件だよ、と青木は瓜生に頭を上げろと促した。

「それで? 坂本はどうなったんだ」

 坂本はあの後、すぐに踏み込んできた『ハート』の屈強な男達に取り押さえられ、連行されて行った。連れて行かれる間、ずっと何かに取りつかれたように「あいつが、あいつが」と一人で繰り返し呟いていたという。

「彼は“別荘”行きですよ。三つの掟全て破ったうえに殺人まで犯したから当然です」

「その“別荘”ってのは何なんだよ」

 青木は釣竿を執拗に上げ下げする老人にああ、と顔をしかめながら瓜生に尋ねた。

「いわゆるヴァンパイアの監獄ですよ。場所は言えませんが、岩に囲まれた断崖絶壁の無人島に建てられた刑務所です。島に入れるのはヘリからのみ。我々はそれを“別荘”と呼んでます」

「だが奴はその“別荘”でこれからのうのうと生きてくのかよ」

 納得いかなそうな青木に瓜生は口元を歪めた。

「青木さん、そこでの生活を聞いたら人権だなんだと言うヒト達は発狂しますよ。下手したら青木さんのヴァンパイアに対する不信感がもっとひどくなるかもしれない」

「そりゃあいいな。そうとうしんどい暮らしが“別荘”では待ってるのか」

 そういうことです、と瓜生は爽やかに笑った。

 瓜生によると、坂本の両親はすでに亡くなっていて、彼の生活費や学費がどこから出ていたのかは『ネイヴ』が現在調査中だという。そして坂本の退学届が三日前に学校に提出されたそうだ。

 実際捕まったヴァンパイアがどんな仕打ちを受けるのか、興味はあったが青木はあえて深く聞かなかった。ヴァンパイアの世界は十分覗いた。これ以上踏み込むことを本能的に拒絶したのだ。

「こっちはこっちでえらい騒ぎだったんだぞ。まあお前らが裏で情報を色々操作したんだろうがな」

 青木の言葉にまた瓜生はすいませんと一言謝った。


≪教室での惨劇 ストーカー教師、女生徒を殺害≫


 新聞や週刊誌にこの手の見出しが躍った。連日マスコミが押しかけ、学校は一時パニックになった。

 女生徒に好意を寄せる教師のストーカー行為がエスカレートし、彼女に近づく邪魔なその幼馴染とともに殺害しようとした、というのが事件の内容だった。

 竹本の同僚の教師も学校の生徒も「彼は挙動がおかしかった」とか、「あの先生の生徒を見る目が恐かった」などと好き勝手インタビューに答えていた。結局、校内での竹本に対するいじめの事など、記事の片隅にも載る事はなかった。

「あいつはよっぽど惨めな思いをしていたんだなぁ」

 青木はしみじみ言いながら空を仰いだ。

 啓介の血を飲んだ事で沙耶は完全なヴァンパイアとなり、その彼女の血を少しでも口にすれば自分もヴァンパイアになれる。だから少しだけ、ほんの少しだけ傷を付けるだけで良かった。ほんのわずかな血が欲しかった。だから決して彼女の命まで奪うつもりなどなかった……。

 そう秘密裏に事情聴取した青木に竹本は淡々と語った。

 確かに竹本が彼女を殺す動機はないだろう。あの夜、生徒である沙耶に散々命令されていた竹本だが、最初に話しかけてきてくれたあの優しい表情を忘れられない、と涙を浮かべながら青木に語ったと言う。

 青木の勝手な想像だが、竹本は沙耶に好意を寄せていたのだろうと考えた。彼女と同じように自分もヴァンパイアとなり、共に人生をやり直したかったのではないだろうか。結果として竹本の選んだ道は最悪の結果を招いたが、青木はそうせざるを得ないほど苦しんでいた竹本に、少しだけ同情にも似た気持ちを抱いてしまった。

「本来なら彼も情報漏れを防ぐために精神病棟入りでしたけど、あれだけヴァンパイアの世界を垣間見たんだから普通の刑務所で大丈夫だろう、というのが『ネイヴ』の判断です。あとはそちらで裁きをお願いしますよ」

 あくまでも瓜生の管轄はヴァンパイアなのだ。ヴァンパイアになれなかった竹本は、監視の対象にはなっても、処分を下すのは最終的にはヒトなのである。

「馬原啓介はどうなんだ?」

 あの夜、啓介は最後まで目を覚ます事は無かった。瓜生によって家に送り届けられ、翌日に事件の事を知り、愕然としたらしい。

「大久保沙耶の葬式の時に見かけたが、どこかこう、気の抜けた感じだったが学校には来てるのか?」

 一応あの夜の事件は、校舎の明かりを不審に感じた青木が熊本東署の管轄外ながら発見し、竹本を緊急逮捕したとなっていた。

 そのこともあり青木は他の参列者に交じって目立たぬよう、葬儀にも参列したのだった。

 海外がから駆けつけた両親と、彼女がヒトをやめてまで救おうとした祖母の泣きじゃくる光景は、真実を知る青木にはつらいものがあった。

 その参列者の中に制服姿でいた啓介は、誰と目を合わせるでなく、淡々と焼香を済ませ帰って行った。その姿からは啓介の感情はくみ取りにくく、悲しんでるのか悔やんでいるのかも青木には分からなかった。

「なにせ事件の当事者ですからね。色々警察にも聞かれただろうし。学校もご存じの通りえらい騒ぎでしたから一週間程休んで、今は登校してますよ」

「ああ、俺は彼の担当から外れてたからな。幼馴染と親しい友人二人が同時にいなくなったんだ。うまく立ち直れればいいが……」

 そこなんですよねぇ、と瓜生は意味深げにコーヒーを口にした。






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