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赤い誘惑/4

「坂本君は今夜、大久保さんによって竹本先生をヴァンパイアにする事で全てを竹本先生だけでなく、大久保さん、君にも押し付けるつもりだったんですよ」

 沙耶は呆然と立ち尽くしてへたり込んだまま、こちらに背を向ける坂本に目をやった。

「そ、そんな……嘘よ!」

「もちろん、直接彼から聞いた話じゃない。ボクの予想です。でもさっきの彼のあなたに対する発言で確信したし、何より彼にはもう一つ大きな理由がある。あなたもそれは知ってるはずだ。それがあるからあなたはこうして坂本君と一緒にいたのだから」

 沙耶は言葉を発せず、口ごもった。それは何か話したくない様な素振りに青木の目には映った。

「何なんだよ、その理由って」

「さっきも言ったでしょう。あなたは関わるべくして関わった……あなたも関係している事ですよ」

 青木は苛立ち、瓜生に迫る。

「いい加減にしろ、瓜生。俺はクイズしに来てんじゃねぇんだ。手っ取り早く説明しろこの野郎!」

 瓜生はに眉ひとつ動かさず、青木を見つめ返した。

「あなたが最近関わった事件を思い出して下さい」

 最近関わった事件……瓜生に言われて青木は思考を掛け巡らせる。一番近いのは今日、木下が襲われた事件だし、その前だと四件の通り魔事件という事になる。だが思い出せと言うからにはその件ではないのか。いつの間にかまた青木は瓜生の出す問題に頭を働かせる形になってしまっていた。

「あなたは何か書類を提出しなければならなかったはずだ。もしかしたらそれを作成中にこっちに引っ張られてきたんじゃないですか?」

 まさか……青木は信じられないという顔をした。一つだけ心当たりがあったのだ。

 青木はある事件の報告書を書いている途中、署長の内川に呼び出され、そこで江津湖の通り魔事件の事を聞かされた。そしてそのまま休暇を言い渡されたため、それは手つかずな状態のままなはずだ。

 パソコンに向かいあうのが苦手な青木は、その作成の進行状況が遅いと尻を叩かれていた。

 その事件は夏の終わり、市内で起こった。六十歳の老夫婦が殺害され、遺体が自宅で発見された。青木のいる捜査一課が事件捜査に乗り出したが、物的証拠や状況証拠から、結局妻の認知症に気を病んだ夫が妻を殺害し、自分も手首を切った無理心中事件として処理されたのだった。

 地元のテレビや新聞も殺人鬼がどこかに潜んでいると話題になったが、無理心中という結果に肩透かしをくらった形になった。そんなマスコミの扱いの落差に対し、青木は飛んでもねぇ連中だと、一緒に捜査した木下に八つ当たりしていた。

 実際、青木も木下も捜査した結果、他殺の線はなし、という結論を疑う事はなかった。

「ちょっと待て。まさかお前、俺が担当した老夫婦の殺人事件もヴァンパイア絡みとかいう気じゃねぇだろうな?」

「絡むも何もそこの坂本君が犯人ですよ」

「何だと!」

 青木は頭を殴られた衝撃以上に、目の前が真っ白になってしまった。

 坂本があの老夫婦を殺した? 

 そんな馬鹿なと青木は取り乱す。

 仮に瓜生の話が事実だとすれば、青木はおろか、鑑識や他の捜査官はもちろん警察自体の威信にかかわってくる。誤った捜査結果が犯人を取り逃がし、今日までのうのうと暮らしていた事になる。

 青木にも警察官としてのプライドがあった。ヴァンパイアか何か知らないが、そこまで馬鹿にされて黙っているわけにはいかないのだ。

「いいか、瓜生。あれは認知症の介護に疲れたじいさんがばあさんを刺殺し、自分もそのまま手首を切って自殺したんだ。現場は血の海でそりゃあ悲惨なまんだった。俺の捜査……いや、俺だけじゃねぇ。あの事件の捜査官全員が導き出した答えがそれだ。そこの高校生が俺ら全員を欺いたってのか!」

「はい」

 あっさりと答えた瓜生に、青木はめまいがして足元がふらついた。もはや声も出ないほどの衝撃だった。

「正確には彼一人じゃない。ヴァンパイアの引き起こした事件だったためにこちらがその答えに誘導した、と言った方が正しいかもしれない」

「こちら?」

「『ネイヴ』ですよ」

 瓜生が言うには、事件が発覚した時点で秘密裏に『ネイヴ』が動き、犯人がヴァンパイアの可能性ありとなった。そして警察上層部に無理心中であると情報操作したのだという。

「なんてこった……。警察は『ネイヴ』のいいなりかよ」

「誤解しないで下さい、青木さん。逆にヒトがヴァンパイアを殺した場合、我々は捜査に口出しはしません。ただ、ヴァンパイアだからという動機だった時などには少々手を加えますが。老夫婦の事件もそう。それが『ハート』の仕事なんですよ」

「同じヴァンパイア同士、妙なお情けかけるんじゃねぇのか。エライさんは信用しても俺はいまいち信用出来ねぇな」

「『ネイヴ』にもプライドがある。罪は罪。そこはあなた達警察と同じです。何十年もかけてそうやってヒトとの信頼関係を築いてきたんです。それに場合によっては事件そのものを無かったものにするケースもある。それを警察側も分け入れる。つまりそれほどヒト側はヴァンパイアの存在が世に知れ渡るのを避けたがってるんです。混乱を恐れているんですよ」

 次々と知らされる驚愕の事実に青木は開いた口が塞がらなかった。自分がこの世に生を受けて三十数年、社会の裏に隠れてこのようなことが起こっていたのである。

 “この世には知らない方がいいこともある―――、まさにその通りだった。

 知らなければ隣人、警察内部、上層部に奇妙な疑心を抱かずに生活出来たのだから。

「くくくっ」

 こちらに背を向け、うなだれていた坂本が、不気味な笑い声を上げたかと思うと急に立ち上がり振り返った。額には瓜生に打ち付けられたせいか、血が流れている。

「良く調べたなあ、転校生。さすが鼠の集団だ」

 眉間から鼻筋までつたう血を拭うことなく、坂本は大きくゆっくり手を叩いた。

 一番近くにいる瓜生は、そんな坂本を気にする様子もなく青木に話を続けた。

「『ネイヴ』が動きだすとまずいと感じた彼は、大久保さんと竹本先生を利用しようと考えた。

 江津湖の通り魔はそのおまけにすぎない。本当は老夫婦殺害を二人に押しつけようとしたんですよ。残念でしたね、坂本君」

 瓜生は氷の様な冷たい目で坂本を睨みつけた。坂本はさらに大声で笑って、拍手を続ける。

 青木はその不気味な姿に、体が自然と反応し硬直した。

「かっこいいな転校生。すべてお見通しってわけだ。確かにあの年寄りを殺したのは俺さ。ちょいと小腹が空いて我慢できなくなってね。殺すつもりはなかったんだが、あんまりあのババアがうるせぇからつい、な。お前もヴァンパイアなら分かるだろ。我慢できない気持ちが」

 瓜生の肩に手をかけ、腹を抱えて笑う坂本の姿は最早狂気に満ちていた。

 竹本は変わり果てた生徒の姿に怯え、沙耶は愛した男の真実に肩を震わせていた。青木は黙って拳を握り、奥歯を噛み締めながら瓜生がどう動くのか見守る事しかできない。教室内の瓜生以外、全員がその姿に戦慄を覚えていた。

 ケラケラと笑う坂本に瓜生が唇を歪め、笑みをこぼした。

「お前、下手糞だな」

「あぁ?」

「下手糞だと言ったんだよ。ボクが関わった事件でも最低ランクだ。何が最低か分かるか? 事件の内容も糞だがそうじゃない。お前の犯行自体がだよ」

 坂本の顔から笑みが消えた。

「何言ってんだ、てめぇ。俺が今までどんだけ狩ってきたと思ってんだ。お前ら鼠はいつまでも俺を捕まえられてねぇくせに」

 こいつはこれまでも同様に、ヒトを“狩って”いやがったのかと青木は憤った。

「狩ってきた? 笑わせてくれるね。君の言う狩りは付け爪でヒトを引っ掻いてその爪に付いたわずかな血をぺろぺろ舐める事か? そんな事をこれから君が行く“別荘”で言うなよ。大笑いされるぜ」

 今度は瓜生が口を大きく開けて笑いだした。

「そんなもの事件にもならない。被害者が被害届出すまでもなかったんだろう。通りすがりに他人にぶつかっていつの間にか小さな怪我をしてたくらいじゃあね。それが狩りと言うんだから笑わせてくれるよ。ねぇ、青木さん」

 狩りだなんだというヴァンパイアの話を狩られる側のヒトに聞いた所で答えようがない。知るか! と内心では怒鳴っていた。

「ついでだからもっと言おうか。二人に押し付けるからもう安心と、真昼間から狩りに出て、挙句の果てにはこっそり隠れている所に刑事が来たもんだから慌てて襲ってしまった。用心のために大久保さんに見張りまでさせて、だ。どうしようもないくらい小さい男だよ、君は」

 コケにされた坂本はギリギリと奥歯を噛んだ。

「鼠が調子に乗りやがって……。おい、竹本、沙耶、お前らも黙ってないでどうにかしろ。お前らのせいで捕まるなんか真っ平なんだよ、俺は」

 この期に及んでまだ二人を利用しようとする坂本に、青木の嫌悪感はより一層深くなるばかりだったが、その姿に焦りの色が出てきているのは確実だった。


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