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赤い欲望

 教室に突如顔を覗かせた枕崎に、青木は驚きを隠せなかった。

 煙をくゆらせる枕崎は瓜生以外には見向きもしない。まるで青木を含めた他の四人には一切興味がないといった様子だった。

「な、何してんだてめぇは」

 思わず青木が声をかけた。

 それを聞いて枕崎は面倒臭そうに、

「何を? 仕事に決まってるだろ。君こそこんな所でなにしてるんだ?」

 と、青木には目もくれず言い放った。

「枕崎さん、最近の学校は敷地内禁煙ですよ。知らないんですか」

 青木が怒り出すのを察知してか、瓜生が咄嗟に口を開く。

「そんな事はどうでもいいんだよ。それよりいつまでダラダラやってるつもりだ? 『クラブ』の連中は暴れたくて下でうずうずしてるぞ」

 教室に現れた煙草の男が誰かも分からず、竹本と沙耶はただただ、その煙を目で追っているだけだった。

「今日は『クラブ』の人たちに出番はないと思うけどなぁ。まいったな……」

 瓜生は少し困ったように頭を掻いた。

 完全に自分達を置いてきぼりで会話をする瓜生と枕崎に、青木は苛立った。

「おい、なんだその『クラブ』ってのは」

 枕崎はいまだに青木の方を見ようともしない。

「おい、瓜生!」

「まあまあ、青木さん。話したでしょ、『ネイヴ』は四つの部署に分けられてるって。ボクが『スペード』、こちらの枕崎さんが『ダイヤ』。『クラブ』っていうののはおもに腕力専門の人たちで……。何というか、要は力が有り余ってる手荒な連中なんです。だからさっき、大久保さんや竹本先生にはこの教室から逃げ出さない方がいい、と言ったんです。彼らの耳には言い訳なんか届きませんからね」

 つまりはヴァンパイアによる戦闘集団なのだろうと、青木は理解した。もしさっき二人が逃げ出そうものなら、その『クラブ』にあっという間に取り押さえられていたのだろう。おそらく窓の下に見えた人影はその『クラブ』の連中なのだ。

「がっかりするかもしれないけどうまく言っといてください、枕崎さん」

 枕崎はふん、と鼻で言うと、

「さっさと済ませろよ」

 とだけ言って煙草の残り香だけを残し、教室の入り口から姿を消した。

 すると、

「おっと、こいつを忘れるところだった」

 と、声だけが廊下から聞こえたかと思うと、どんと一つの塊が教室内に放り込まれた。

 足だけがドアからのぞいたので、恐らくその塊は枕崎によって蹴りこまれたらしい。

 ぴしゃりと閉められた教室のドアのすぐそばに、黒いフードをかぶった人物が四つん這いの態勢でうずくまっている。

 新たな闖入者に青木と竹本は怪訝そうな目でそのフードの人物を見つめている。一方の沙耶はその人物にわざと目をそらすように顔をそむけた。

 教壇の上から見下ろす様な形で瓜生がその人物に声を掛けた。

「こんばんわ」

 瓜生の様子から彼はこのフードの人物が誰なのかを知っている、青木はそう直感した。

「誰なんだそいつは」

 フードの人物は下を向いたまま動かない。

 青木の位置からは顔がフードで隠れていて、男なのか女なのかも判断がつかない。

「……彼が大久保沙耶さんを自分の思いのままに動かしていた人物ですよ。―――そうだね、坂本君」

 瓜生はそう言うと、手と膝を床についたままの人物に歩み寄り、目深に被った黒いフードを素早く剥した。

 中から出てきたのは青木が見た事も無い若い男だった。その男は自分を見おろす瓜生を鋭い目つきで睨んでいた。

「坂本?」

 青木は訳のわからない展開に思わずとぼけた声を上げてしまった。

「……坂本。この学校の生徒だよ」

 近くにいる竹本が、誰に向けて言うでもなく小さな声で呟いた。その表情は驚きに溢れている。

「ま、まさか君が……」

 どうやら竹本はこの坂本がヴァンパイアだという事は知らなかったようだ。あくまでも彼は大久保沙耶に手引きされて、今夜ここにいるのだろうと、青木は解釈した。と、同時に学校関係者ばかりの登場人物にあきれ果てた。

「そいつもこの学校の生徒なのか。一体全体どうなってんだ、この学校は。教師も生徒も」

 睨みつける坂本、それを冷めた目つきで見おろす瓜生に、その光景をただ驚いて眺める教師竹本。その一方で沙耶はまるでこの現実から目をそらすように窓に顔を向けている。

 青木の目には実に異質な光景だったが、これでやっと役者が揃ったのだ。

「竹本先生も知らなかったようですね。坂本君が大久保さんの影にいたことを」

「し、知らなかった。大久保さんも決して誰か名前を言わなかったし、私の前に現れた時もはっきりと顔は見えなかった。まさかうちの生徒だったとは……」

 竹本は少し震えながら恐る恐る答えた。

「大久保君がしきりに“あの人”と言っていたは君の事だったのか。じゃああの不良連中をやったのも……」

「不良連中? 何の話だ」

 青木は瓜生を見た。

「先生を苛めてた不良連中がこの間、病院送りにされたんですよ。あやうくボクがその犯人に仕立てあげられようとしましたが」

「そんな事件、俺の耳には入ってねぇな」

「おそらく管轄が違うんでしょう」

 それを聞いてふうむと青木は腕組みした。この坂本という少年が、学校の不良どもを病院送りにするような男にはとても見えなかった。体もそんなに大きくないし、見た目も華奢で地味な印象でしかなかった。

「だが彼はどちらかというとクラスでも大人しい方の生徒だとばかり思っていたが。まさか君もヴァンパイアだったのか」

 竹本は驚きを隠せず、まるで独り言のようにぶつぶつ言っている。

「くくく……」

 すると突然、坂本が笑いながら立ち上がった。

「あーあー。どいつもこいつも使えねぇなあ」

 教室にいる人物全員をあざ笑うかのように、不敵な笑みを浮かべパンパンと膝に付いた埃を払う。

「別にあんたのためにやったんじゃねぇよ、竹本。あんたが誰に苛められようが俺の知った事じゃねぇんだからな。十五人くらいいりゃあ、この鼠野郎を学校から追い出せるかと思って少し煽ってやったのに、ケツ拭く紙ほどの役にもたちゃしねぇ」

 その顔に似つかわしくない汚い言葉を吐き捨てる坂本に、青木は嫌悪感を抱いた。

 その表情をくみ取ったのか、横で黙って聞いていた瓜生が、

「『ネイヴ』の事を鼠という連中もいるんです」

 と、少しおどけながら顔をしかめて解説した。

「てことはこいつはお前が『ネイヴ』のもんだと気付いてたってわけか」

 青木の問いに瓜生ではなく、坂本が割って入った。

「薄々な。校内をうろちょろする転校生、いかにも鼠って感じだ。だからちょっとあの不良どもに教えてやったのさ。転校生がこの学校の不良連中締めあげようとしてるってな。あれだけ人数いて一人相手に勝てなかったんで俺が教育してやったんだよ」

「病院送りはやりすぎだな」

「あんな連中、調子に乗ってやがったからいい薬だろ。そこの竹本みたいに迷惑がってる奴だっていたんだ。逆に褒めてもらいたいね。スッとしただろ、なあ竹本ぉ」

 急に話を振られた竹本は、金縛りにあったかのように体が硬直し、緊張していた。生徒である坂本に対し、恐怖を感じている姿だった。

「えらく自信たっぷりだな。ついさっき、逃げそびれて煙草くわえたおっさんに捕まった奴とは思えねぇな」

 青木の挑発に坂本の顔が曇った。

 坂本が青木の嫌いなタイプである事は間違いない。この横柄な態度、全て自分が正しく、何事も意のままに出来ると思っている勘違い野郎。昔の青木なら間違いなく殴りかかっていた事だろう。こういう類の輩の鼻っ柱を折るのは青木の得意とするところだ。

「そうだろ? ケツ蹴られてここに放り込まれた野郎が何粋がってんだ」

 ふふっと坂本は鼻で笑った。

「あんたこそ女子高生相手にぶんぶん放り投げられてたなあ、刑事さん。あんたみたいのがこの国の治安守ってるかと思うとお先真っ暗だなあ、おい」

 青木は相手の安い挑発には乗らない。今の所は……。

「それとあんたの相棒の血、まずかったなぁ」

「何ぃ?」

 聞き捨てならない台詞に青木の血は一気に頭へ昇りつめ、目の周りが真っ白になった。飛びかかろうと無意識に足が踏み出した、その瞬間―――。

 瓜生が坂本の胸ぐらを掴んだかと思うと、後ろの黒板へ体を押し付けた。

 ごぉんという大きな音が教室内に響く。

「ぐ……」

 瓜生に掴まれて、呼吸がまともにできないせいか、坂本が声にならないうめき声を上げた。

「やめとこうか、坂本君」

 その行動とは裏腹に、瓜生の声はとても爽やかだった。





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