赤い誘惑/3
沙耶の涙を三人はしばらくの間、ただただ見ているだけだった。
言葉を掛けるわけにはいかない、掛ける言葉も見つからない。
ヴァンパイアになるためにここまで利用されてきた竹本でさえも、攻める言葉もなく眺めていることしかできなかった。
「大久保さん、あなたの祖母を思う気持ちは分からなくも無いです。だけど君はその手段を間違えた。そこにずっと眠ったままの馬原君を見て何も思わないのかい?」
瓜生に言われるがまま、沙耶はうつむき気味に机に寝かされた馬原へ視線をやった。青木の視線もそれにつられるかの様に動かされた。
「幼馴染の彼なら警戒されないと思ったのかい」
「幼馴染ぃ?」
青木は思わず声に出した。
「そ、そいつは幼馴染を騙してこんなことしようと思ってたのかよ」
「そこの馬原啓介君と大久保沙耶さんは小学校からの幼馴染ですよ。それだけじゃない。これを言う事は彼の本意ではないだろうけど……。馬原君は大久保さんに思いを寄せていた。それを君は分かっていながら彼をターゲットにしたんだね?」
沙耶はまだ啓介を見つめていた。机の上の彼は今この場所で何が起こっていのかも知らないまま眠り続けている。青木にはその方が都合が良かった。
下手に今目を覚まされても、どう説明すればいいのか分からない。
ましてや思いを寄せる幼馴染に騙されたとあっては尚更だ。
「お前何でそこまで知ってんだ。聞けば最近この学校に転校してきたばかりなんだろう? いくら『ネイヴ』の情報収集能力が高いからと言われてもそこまで調べられるものか?」
「当然ボクは知りませんよ」
青木の問いに瓜生はあっけらかんと答えた。
「馬原君と大久保さんには悪いけど、これを使わせてもらいました」
そういうと瓜生は上着の内ポケットから携帯電話を一台取り出し、教卓へ置いた。
それを見て沙耶は思い当たる事など無いといった表情で不思議そうにその携帯電話を見た。
「その電話が何なんだ?」
「これは『ネイヴ』特製の携帯電話なんです。ボクはこれで馬原君と連絡先を交換しました」
「何も不思議な事じゃねぇな」
「だから特製なんです。ボクのこの電話に登録された電話とメールはその内容が自動でこちらに保存される」
「はぁ?」
青木はこの手の機械の扱いが得意な方ではない。瓜生の今の説明ではいまいち理解できなかった。
「例えば、青木さんとボクがこの電話で連絡先を交換します。すると、青木さんが竹本先生に電話でもメールでもすれば―――」
「俺らのやりとりはお前に筒抜けってことか」
「はい」
盗聴は違法だ。どういう原理か知らないが、そんな違法な事をこの瓜生はあっさり、当然のように刑事である青木に説明している。
「馬原君と大久保さんはメールでやり取りしていました。だから今夜会う事も分かりましたし、彼が彼女にどんな気持ちを持っていたのかも想像はつきました」
「て、てめぇそんな違法な―――」
詰める青木を瓜生はさっと片手を広げて静止した。
「違法合法をヴァンパイアに言っても無駄です。罪を犯したヴァンパイアを捕えるためならボクらは何だってする。ヴァンパイア内に口出ししないと同時に、我々もヒトのやり方に口出ししない、それが二つの種族が交わした基本です。心配しなくても馬原君の通信を確認したのも大久保さんに関する物のみです。そこまでプライベートに踏み込むのも気が引けますからね」
そこで青木も瓜生と連絡先を交換した事を思い出し、慌てた。盗聴されるのを知っている以上、気持ちのいいものではない。
「お前、確か俺とも連絡先を……」
瓜生はニヤリと青木を見ると、もう一台の携帯電話をさっきとは反対の内ポケットから取り出した。
「青木さんはこちら。ボクのプライベート用ですからご心配なく」
昼間のヒトをおちょくる様なおどけた姿を一瞬見せた瓜生だったが、すぐさま険しい顔に戻り、沙耶の話を続けた。
「大久保さんは馬原君に近づき、今夜この場所へ呼び出した。それも恐らく入れ知恵されたんでしょう」
「おい、さっきからまるでその子まで誰かに操られてる言い方だな。そろそろはっきりさせたらどうなんだ?」
この長い長い瓜生の講釈に、気の短い青木はそろそろしびれを切らしてきていた。
ヴァンパイアのおおよその事は理解したし、その存在も認めないわけにはいかないようだ。
ならば次に青木がすることは、そのヴァンパイアが引き起こした今回の事件について、早くその真相を知る事である。
「……大久保さんが竹本先生に手を差し伸べたように、大久保さんも手をさし伸べられたんですよ。ヴァンパイアにね」
そう言うと、瓜生は素早く振りかえり、黒板脇の扉へ、
「いつまでそこにいるつもりですか。いい加減出てきたらどうです」
と、大声で怒鳴った。
呆気にとられる青木と竹本、瓜生の大声に体をビクつかせ、手をぎゅっと握り締めた沙耶。
教室内にはさらに緊張が走り、全ての視線がその扉へ集中した。
扉が開けば、今夜のこの悪夢がすべて覚めるのを望むかのように、ただ静かにそこから誰かが現れるのを固唾を飲んで見守った。
ガタン
扉の中から物音がした。その音から、その中にいるのであろう誰かの慌てる様子が想像できた。
瓜生はその音の主を追いかける素振りも見せず、ただじっと扉を見つめたままだった。
青木も急いで追いかけようと気持ちは急いたが、瓜生の醸し出す何とも言い表せない威圧感で動けずにいた。
ゴトォン
今度は廊下から激しい物音が聞こえた。外の世界で一体何が起こっているのか、青木は口を開くこともせず、ただただキョロキョロと視線を泳がせるのみだった。
そして一瞬の沈黙がやって来た次の瞬間、黒板脇の扉ではなく、教室のドアがガラリと勢いよく開かれた。
そこから顔を出したのは、不機嫌そうに煙草をくわえた枕崎だった。




