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赤い誘惑

「かなり駆け足でしたがこれがヴァンパイアの歴史です」

 瓜生はふぅっと一息つき、視線を沙耶へ向けた。

 沙耶は相変わらず下を向いたまま、一点を見つめて固まったままでいた。

「おい、瓜生よ」

 青木が声を上げた。

「で、お前さんは結局何が言いたいんだ? 俺やそこのおっさんはヴァンパイアじゃないんだ。確かにヴァンパイアがどんなもんか興味はあるが、お前の話を聞いてるとまるでヴァンパイアの先祖は平和を望んでいたんだから少々の事は目をつむれと聞こえるぜ?」

 青木の意見に瓜生はそうですね、と答えた。

「確かにヘンリーはヒトを襲いました。血を吸われたヒトの生死までは分かりませんが、それは事実です。道徳的にも法律的にも許される事ではありません。だからこそ、ヒトとヴァンパイアの間にこれ以上の軋轢を増やしたくないというのが彼の意志です。そして掟を破った者に対して甘い顔するつもりはありませんよ。それは刑事であるあなたも良く分かっているはずです」

 厳しい表情で話す瓜生を青木はただ黙って見つめた。青木自身、すでにヴァンパイアに対する不信感は少し薄らいでいた。少々遅れはしたが現に瓜生がここへ駆けつけてくれたおかげで、青木は命拾いしているし、どういう経緯で判断したのか分からないが、犯人を捕まえるべく学校を完全に包囲した手際のよさは感心した。

 この件がどう決着するのか、それによって青木のヴァンパイアに対する信用度は変わってくるだろう。

「ではそろそろ話を戻しましょう」

 そう言うと瓜生は沙耶の座る場所へゆっくりと近づいた。そして下を向く沙耶を見下ろすよな形で優しく問いかけた。

「大久保さん、あなたはなぜヴァンパイアになる事を決心したんです?」

 沙耶の目が一瞬、大きく見開いた。

 それは青木も聞いてみたい質問だった。もし自分だったら、ヴァンパイアになる道を選ぶだろうか。青木の答えはノーである。少々体力的な面が向上するだけで、その道に足を踏み入れたいとは思わない。

 青木も竹本も沙耶に注目していた。

「……」

 沙耶は口を開かない。

「話して下さい。あなたと竹本先生の事はこちらで調べさせてもらいました。大体の理由は想像がつきます。それを僕の口から話しても?」

 瓜生の問いに、沙耶の方は少し震えていた。

 身辺を調査するほど、『ネイヴ』はすでにこの二人に当たりをつけていたのか、と青木は驚いた。

「大久保君、教えてくれ。なぜ君は私に力の話をしたんだ? 君の目的はなんだったんだ」

 竹本が大声で沙耶に詰め寄る。それを制すように瓜生は振り返り、

「先生、あなたの理由は分かってます。ものすごく単純だ」

 そいうと、再び教壇へと場所を移した。

「先生、あなたはこの学校で同僚の教師、さらには生徒にまで蔑まされてきた。そんな連中に対する復讐心からあなたはヴァンパイアの力を求めた」

 なるほど、単純だな、と青木は心の中で納得した。

「ヴァンパイアはヒトと比べると少々体力面が勝ります。腕力、脚力……。動体視力も良くなり、喧嘩などでも相手の動きが少し遅く感じる事でしょう。あなたはその力を手に入れ、自分をいじめてきた連中を見返してやりたかった。気持ちは分からなくもないですが、とても幼稚な動機です」

「よ、幼稚なものか! 私が毎日どんな気持ちで過ごしてきたか君には分からないだろう」

 竹本が激しく反論する。

「私が彼らに一体何をした? 誰に迷惑をかけたわけじゃない。理由もなく私を彼らは……」

 竹本の感情は激しく起伏し、それは大粒の涙となって彼の両目から溢れ出た。

 それを見て、後ろから殴られた事も忘れて、青木は少し竹本に同情した。大の大人がこれほどまでに感情をむき出しにし、涙を流す。ヒトを辞めると決心するほど苦しい毎日だったのだろうと想像はついたからだ。だからと言って関係ない馬原啓介を拉致していい理由にはならない。

 一人の人間としての感情と刑事としての一線をラインだけはしっかり引いておかなければならない。

「あなたはそうやって他人から愛されることのない人生を送ってきた。絶望のあまり死を考えた事もあったかもしれない……。その姿を見て苦しみからあなたを助けてあげたいと思った人間が、まだこの学校にいたんです」

 竹本の涙でぐちゃぐちゃになった顔がハッとなった。

「そう、大久保さんですよ」

 青木には意外だった。青木の目には沙耶が竹本をまるで召使のように扱う姿にしか映っていなかったし、それは竹本をいじめてきた連中となんら変わらない行為にしか思えなかったのだ。

「ま、まさか」

 竹本はひどく動揺した。彼もまた、青木と同様沙耶が自分をいじめる連中の一人としか考えられなかったのだろう。

「大久保君に同情されるほど、私は彼女と親しくはなかった。授業以外会話もした事なかったんだぞ。なぜそんな子が私を……」

「同じ境遇だからですよ」

 瓜生のその言葉に教室内に沈黙が走った。青木もその言葉の意味がすぐには理解できずに、何度も沙耶と竹本へ視線を泳がせた。

「私と同じ?」

「大久保さん、いいですね?」

 沙耶は抵抗する様子もなく、こくんと頷いた。

「大久保さんもずっと孤独な人生だったんですよ。同級生には無視され、友達もできずに学校生活を送っていた。あなたの姿を見て、自分と重なり合わせて見てしまい声をかけずにいられなかった」

 青木には彼女がどんな学校生活を送っていたのかなど知りようがない。だが、今夜会った沙耶は自信に満ち溢れ、とてもそんな子には見えなかった。

「その大久保って子も学校でいじめられてたのか?」

 思わず青木が聞き返した。瓜生はそれに少し困った顔をして、

「青木さん、これは彼女にとってとてもデリケートな話なんです。あまり大きな声で……」

 青木は思わず、すまんと謝罪した。

 昼間に会ったお調子者で軽い印象だった瓜生は、とても落ち着いた物静かな男へと変貌していた。

「大久保さん、竹本先生にその話を持ちかけた時、まだ君はヴァンパイアではなかった……そうじゃないかい?」

 沙耶の身はまたいっそう大きく開いた。

 こいつは何でもお見通しかよ、青木は憮然とした。

「……一人では恐かった。だから……」

「わ、私を道連れにするつもりだったのか、君は!」

 今にも消えてしまいそうな声で話す沙耶を竹本は怒鳴った。

 すかさずそれを瓜生が一喝する。

「先生に彼女を非難する資格は無い! その話に乗ってあなたは生徒である馬原君を犠牲にしようとしたんですから」

 瓜生にとっては沙耶よりも竹本の方が気に食わないのか、常に手厳しい。

「なあ、瓜生。彼女もいじめられてたとして、そんな力を手に入れた所でどうするんだ。まさか彼女も同級生に復讐を?」

 青木の問いに瓜生は首を横に振った。

「別の目的ですよ。ヴァンパイアの血の持つもうひとつの力、血を求めるヒトの多くはこれが目的です」









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