課外授業/8
驚愕する青木と竹本をよそに瓜生はさらに続けた。
「六歳で母親に血を断たれた彼にはずっと疑問が付きまとっていました」
沙耶は最早瓜生の声が届いているかどうかも分からないくらい、机の一点を見つめたまま身じろぎすらない。
「“自分は周りとは何かが違う”。母もその事については何も話さないし、血を飲む事を他言できない彼は友人に君も血を飲むか、とも聞けない。十五になるまで心のどこかにそのモヤモヤを隠し続けていました。しかしその日、彼は自分が他人とは違う、特別なものなのだと確信するのです」
「ヴァンパイアの誕生か……」
青木がぼそっと呟いた。
「一刻も早く渇きを潤したい彼は母を残し、村を出ます。彼らの住む小さな村でヒトを襲えばすぐに騒ぎになり母に迷惑をかけてしまう、そう考えたのでしょう。そして旅先で気の合うものをみつけては……」
「仲間を増やしたのか」
たったひとりのヴァンパイアが五百年以上もの年月をかけてこれほどまでその勢力を伸ばした事に、青木の背筋は凍りついた。
もしヴァンパイアが手当たり次第に仲間を増やし続けていれば、人類は滅んでいたかもしれない。なぜなら彼らは“共食い”は出来ないのだから、全人類がみなヴァンパイアになることは不可能なのだ。
「彼が賢かったのは、手当たり次第では無かったことです。決して目立つ事はせず、信用できる人間だけにヴァンパイアである事を話し、賛同してくれる者を仲間にしていきました」
「しかし全員が全員本当に信用できる奴ばかりじゃないだろう。理性を抑えられなくなる人間はこの世にごまんといるんだぜ。それに仲間を増やす理由が俺には分からんな」
「確かに、裏切りはあったでしょう。だから我々『ネイヴ』が把握できていないヴァンパイアもいるんです。仲間を増やした本当の理由は僕には分かりませんが、ただ単に彼一人が他人とは違うという孤独に耐えられなかったのかもしれません」
「そいつは行く先々で人を襲った……つまり犯罪を犯し続けたという事なんだな?」
青木が刑事の顔で瓜生に問うた。
「そこは否定しません。中には彼の事を愛し、自分の血を捧げ続けた女性もいたと言われています。それこそ彼の母親のように。そして青木さんの言うように、自分勝手な行動を取るヴァンパイアも増えてきます」
「そりゃそうだろうな。全部が全部を統率できるはずがねぇ」
瓜生は青木の言葉に頷いた。
「噂は少しずつ広まりました。彼のもとを離れたヴァンパイアはすでにヨーロッパ中に散っていましたからね。“闇に紛れて人の生き血を啜る者がいる”、と。現在で言う、都市伝説のように人々は噂します。その噂は人々の心に恐怖を生み、その恐怖はやがて疑心へ、そして疑心はついには暴力をへと変貌しました。いわゆる魔女狩りです」
「魔女狩り……」
青木はチラリと沙耶へ目をやった。今は大人しく下を向いているこの娘は、つい数分前までまさに魔女のように青木の目には映っていたのだ。
「そうです。耳にした事くらいはあるでしょう。一時期ヨーロッパで流行した魔女狩りは、その裏で魔女だけでなくヴァンパイアの疑いがある者も告発し、処刑しました。中には濡れ衣を着せられ、関係ないヒトまで殺されたケースもありました。悲しい歴史です」
瓜生は天を仰いだ。その表情はとても寂しそうで、殺された人々へ哀悼の意を示しているようにも見えた。
「俺は魔女狩りの事は詳しい事は知らんが、魔女狩りだけでなく、ヴァンパイア狩りも一緒に行われていたなら現在までヴァンパイアのヴァの字も出てこないのはなぜなんだ? そんな大掛かりな行為しといて、世界中に口止めなんて出来やしないだろう」
十五世紀から二十一世紀の現在まで、ヴァンパイアの存在を隠せる情報統制能力があるわけがないと青木は考えた。特にインターネットが発達し、世界中の情報をリアルタイムで知ることができる現在なら尚更である。
「もちろんそう簡単なことではありません。魔女狩りが行われて以降、色々な地域でヴァンパイアの噂は起こりました。だからドラキュラや吸血鬼といった小説が生まれたわけです。架空のモンスターに仕上げる事で、時間が経つとともにその存在はフィクションになっていったんです」
「徐々に噂は薄まっていったってわけか」
「薄まってはいきますが、ヒトの噂はそう簡単には消えません。中にはヴァンパイアの存在を信じ、静かに暮らすヴァンパイア達を狩りと称して捜し、処刑する連中もいました」
ここまでくるとどっちが正義でどっちが悪なのか、青木には分からなくなっていた。ヒトを無差別に襲うヴァンパイアは悪なのかもしれないが、ヴァンパイアである事を隠し、普通に生活する者を処刑する事が果たして正義なのか、判断は難しくなってくる。
「そして近代に入り、世界各国が集まる会議が開かれます。その会議に一人のヴァンパイアが出席しました」
青木はあえてそれがどんな会議かを聞く事はしなかった。そんな事に興味は無かったし、これ以上歴史の授業を聞いていたら頭がパンクしてしまう。おおまかな筋さえ聞ければそれで良かった。
「イギリスの首脳が連れてきた一人のヴァンパイア、彼は最初のヴァンパイアの正統な血を引く子孫でした。彼は集まった四十カ国の首脳に、自分達種族の正体を語り、あの三つの掟を提示します」
「エライさん達も驚いただろうな」
自分もそうだったように、青木はヴァンパイアの話を聞いてポカンと口を開いている各国首脳の姿が容易に想像できた。
「国際会議の場に似合わない荒唐無稽な話ですからね。しかし自国で再びあの魔女狩りの様な騒ぎが起きても困るわけです。だから首脳たちも半信半疑でしたが彼の言葉に耳を貸しました」
「よく信じてもらえたな。四十の国があったら馬鹿馬鹿しいと席を立ってもよさそうなもんだが」
「まあ、実際は何人かいたみたいですよ。おとぎ話になんか付き合えない、とね」
人間という生き物は実際に体験したり、自分の目で見ないことには物事を信じないものだ。会議場でそんな話を聞いたくらいで、国の代表である賢い連中が納得するはずもない。
「そこは彼を連れてきたイギリスがカギを握るんです。彼は、彼ら一族といった方が好いでしょう。彼ら一族はすでにイギリスで産業革命により莫大な財力を持ち、その財力で『ネイヴ』の基盤を作り上げていました。いつの時代でも財力は権力へと繋がります。イギリス国内で『ネイヴ』の存在を確立させ、それを世界へ向けて広げる、とイギリスを説き伏せたんです」
「ヴァンパイアが国を動かしたのか」
「当時イギリスは世界でも力を持っていましたし、とりあえず自国へ戻り検討するとその場は落ち着きました。そして各国で極秘に調査を進めた所、奇妙な事例がいくつもあるという事が分かり―――」
「おとぎ話じゃなさそうだと気付いたわけだな。だがよくその一族は自分達に不利な条件を持ち出したな。ヴァンパイア内でも気にくわねぇ連中もいただろう、三つの掟ってやつが」
これまでは各自が自由にヒトに対し“狩り”が出来たのに、急にここへきて三つの約束事を守れと言われて大人しくできそうもないと青木は思った。ルールを厳しくすればそれが気に入らない連中は地下に潜り、暗躍するということを警察官である青木はよく知っていた。
「最初のヴァンパイアは魔女狩りに対しとても心を痛めてました。元を辿ればまさに自分がまいた種ですからね。だからこそ、ヴァンパイアに平和に暮らしてほしいと晩年語っていたそうです。だからこそ、彼は財を築き、それをヴァンパイアとヒトの和平に使いたかった。ヴァンパイアという存在は隠すべきだと考えたわけです」
「そこまでヴァンパイアを隠したいなら血を飲むのも止めたらどうなんだ? 子孫を残すのもそうだ。隠しつつもヴァンパイアを根絶やしにはしたくない、と俺にはどうも納得いかねぇ」
反論する青木に、竹本が横から口を開いた。
「……本能だよ。どんな生物でも種の保存は本能で働く。ヴァンパイアが仮りに突然変異だとしても一度生まれた種はそれを絶やさないように動くものだ。人間の手で絶滅しない限りはね……」
教師らしく語る竹本に、青木は納得せざるを得なかった。
確かにわざわざ自らの手でその種を絶やそうとする生物がいるはずもないし、それを拒む権利をヒトが持つはずもない。それはヒトの傲慢というものだろう。
「進化と高圧的でなく、常にヴァンパイアとヒトが共存する方法を模索した、それが最初のヴァンパイア、『ヘンリー・ヴァンピール』。ヴァンパイアの祖、彼の名前です」
瓜生はスーツの胸に刺繍された金色の紋章にそっと手を当てた。




