課外授業/7
瓜生の表情はとにかくコロコロ変わる。
鬼の形相を見せたと思えば、沙耶にに優しく声を掛け、哀しみを見せたと思えばカラリと笑ってみせる。
まだ出会って何時間と経っていないが、青木にとって掴み所のない男なのは確かだった。
その男が今度は歴史の話をしようと言い出した。青木は黙って彼の言う事を聞いているしかない。
『ネイヴ』がどう動くのか、あの黒板脇の扉の裏には何があるのか、今はただ成り行きを見守るのみなのだ。
「ヴァンパイアの歴史の始まり、それは十五世紀のルーマニアから始まります。ルーマニアの小さな山村で最初のヴァンパイアは産まれました。裕福ではありませんでしたが、ごく普通の、優しい両親のいるごくごく平凡でも幸せに満ちた家庭でした。彼は初めのうちは母親の母乳で育ちますが、ある時急にそれを拒みだします。母親は当然困惑しました。赤ん坊にとって生きる為に本能で乳を飲むはずが、それを拒絶します。この子は生きる意志が無いのではないか、何か病気なのだろうか、医者に見せても特別異常は見当たらない。ある日、母親が無理やり母乳を飲ませようとすると、驚いたことに赤ん坊はその小さな指で母親の乳房を引っ掻いてきました」
淡々と語る瓜生は右手で自分の胸を引っ掻く仕草をして見せた。
「産まれてまだ二カ月足らずの赤ん坊の指には、信じられないほどの鋭い爪が生えていたのです。さらに母親は驚きます。赤ん坊のわずかな力で傷の付いた母親の乳房からほんの少しにじみ出た赤い血をその子は吸いはじめたのです」
「その赤ん坊は産まれついてのヴァンパイアだったのか」
青木がたまらず口を挟んだ。瓜生は続ける。
「なぜ、彼がヴァンパイアとして産まれたのか理由はわかりません。突然変異と言われればそれまでです。人によってはそれを進化と取る者もいます。とにかくその子は本能で血を求めた。そして母親は―――」
瓜生は目を伏せたまま、黙って話を聞く沙耶を見た。
「―――その子の本能に従い、母乳ではなく自分の血で彼を育てました。何の疑いもなく……」
いつの時代でも母の愛はこうまで深く大きいものなのか、と青木は無意識のうちに離れて暮らす妻と子の顔を思い浮かべていた。
仮に、その時母親がその赤ん坊を気味悪がり、悪魔の子だなんだと騒ぎたて、殺めていたとしたらヴァンパイアはこの世に存在しなかったのだろうか。そんな答えの見えない問題が青木の脳裏に浮かぶ。
「“血で育つ子供”を両親は周りの住人に隠しながら、普通に育てました。血を飲ませているなどと噂が立てば家族はその村に住めなくなってしまいますからね。そして時は流れ、彼が六歳になる頃でした。村には流行り病が起こります。その病は村全体に猛威を振るいます。それは彼の両親も例外ではありませんでした」
「ちょっと待ってくれ。六歳になるまでそいつは母親の血を飲み続けたのか?」
青木が尋ねる。
「そのようです。彼の母親は決して他人の血を飲ませる事はしませんでした。父親の血でさえも、です」
「父親の血も飲ませなかった? なぜだ」
「そんな事は知りません。ボクはあくまでも記録に残っている事を話しているだけですから。自分の産んだ子には自分の血だけを分け与えたい、そう思っただけなのかもしれません。母親は彼に絶対に他人の血を飲まない事と血を飲む事を他言しないよう、これを守らせていたそうです」
続けますよ、と瓜生は青木に断りを入れた。
「その流行り病で彼は父親を亡くします。それと同時に母親は彼に血を与える事を止めました。乳離れならぬ血離れする時と考えたのでしょう」
ふん、と瓜生の表現に青木だけが鼻で笑った。
「彼は十五歳になるまで血の味を忘れます」
「そりゃあ十五でまた血の味を思い出すってことか」
青木が話の腰を折った。
そしてたまらず竹本が立ち上がり、
「ちょっと待ってくれ。そんなヴァンパイアの歴史なんか興味ない。いつまでそんなくだらない話をつづける気だ!」
と、叫んだ。
「興味ない? 先生、あなたは学生時代に歴史を学んできたでしょう? なぜ人間は歴史を学ぶと思いますか」
「そんなもの、点数のためだろう。受験に必要だからさ」
「実に教師らしい答えだ」
それを聞いた瓜生は口を歪め、小さく笑った。
「有史以来、人間は地球を支配してきました。その支配してきた歴史、どう人間が歩いてきたか、それを知っておかなければならない。だから歴史を学ぶんです。ヴァンパイアも同じです。我々の祖先がどこで産まれ、現在までどう歩んできたか知らなければならない。あなたもヴァンパイアの仲間入りを望んでいたのなら当然です」
竹本は感情が膨らむのも早ければ、しぼむのもまた早い。瓜生に言われてまたも黙って腰を下ろした。
「少し歩くスピードを早めましょう彼は十五歳の時に重大な事に気付きました」
「重大な事?」
青木の方は竹本よりもよほどヴァンパイアについて関心が深い。
「ある日、ケガをして彼は帰宅します。なんのことはない、友達と遊んでいて膝から血を流して帰って来ただけです。帰宅しすると彼の愛犬が寄り添ってきました。そしてじゃれ合っているうちにケガしている膝を見つけ、その流れる血を……」
「ま……まさか」
青木は思わず立ち上がった。
「その通りです。愛犬は彼の血を舐めた……ヴァンパイアの血を」
青木だけでなく、竹本でさえもその話には仰天し、瓜生に聞き返した。
「ヴァンパイアの血はヒト以外にも影響がでるのか」
「彼の犬は三十分程、目を回したようにフラついて家を飛び出しました。彼はその時にそんな事全く気に留めていませんでした。しかし次に彼の耳に飛び込んできたものは、近所の子供の悲鳴でした」
「ひ、ヒトを襲ったのか」
竹本が声を震わせた。青木もまさか犬にまでヴァンパイアの血が影響するなど
とは想像もつかなかった。
「襲われた子供は命に別条はありませんでしたが、当然彼の犬は近所の人に処分されました。その時に彼は気付きます。“仲間を作る方法”を。彼は愛犬を失った悲しみよりもその“方法”を知った事の喜びが勝ったと言います。そしてそれと同時に激しい渇きが彼を襲い、とうとう母の言いつけを破るのです」




