赤いファイル/3
木下が交番へ電話すると二人は四件目の犯行現場へと向かった。そこで警官と落ち合う手筈らしい。
正直、三件目まではたいした事案じゃない様に青木は感じていた。
もちろん事件に大きいも小さいもなく、どういった理由があろうが他人を傷つけた行為を許せるはずもない。
ここ最近は特別な理由もなく、ただただ人を殺すという青木には全く理解できない事件も多い。
署長がエスカレートする前に手を打ちたいと言った理由がこの四件目で分った。
四件目は三件目のすぐ翌日、二十六日に起きた。
塾帰りの自転車に乗った中学生が東に、路面電車の通りに向かって走っていた。
時間は午後九時過ぎ。江津湖の東側はあまり人気も無く、道も多少狭くなっている。湖自体もその大きさは小川程度のものになっている。
小さな自転車のライトを照らしながら走る中学生。その前に突然人が横切る。
当然驚いた学生はブレーキをかける。何事もなかったように通り過ぎる影。学生もほっとする。
だが突然、その影はすれ違いざま後ろからはがいじめに抑えつけてきた。
学生の体は宙に浮き、自転車から引き離された。声を出そうにも出せない。口にはタオルが押し付けられてる。
腕にチクリという痛みを感じたかと思うとその影はその痛みを感じた場所に噛みついてきた。
学生は無我夢中で暴れた。
それもそうだろう、暗闇で突然襲われたのだ。
必死にその影を振り払い走りだした所にガシャンという自転車が倒れる音を聞いた警官がやってきた。
続く不審者出没事件の事もあり、巡回を強化していたそうだ。
警官が学生に駆け寄るとその影はすでにそこには無かった。
青木がこの連続通り魔とも言える事件が分らなくなったのはこの四件目の被害者が男の子だったという事だ。
三件目までは被害者はみな女性で、いわばなんらかの性的欲求を満たすための犯罪と言えなくもない。確かに年齢は五十代から三十代と幅広いが趣味嗜好はいろいろあるだろう。
だがここにきて男を襲っている事でその目的も、果たして本当に同一人物なのかも疑問符が付いてくる。
しかも今回は傷を負わせるだけでなく噛みつきまでしている。前の三件とは様子が違っているのだ。
青木と木下は鉄筋コンクリートで出来た公衆トイレの前で立ち止まった。
「このあたりですね」
木下があごにつたってきた汗を拭いながら言った。
「この陰に隠れて獲物を狙ってたわけか」
青木はトイレの入り口を覗き込む。
「でもなんで男だったんでしょうね。中学生でも力はそれなりにあるでしょうに。リスクが有りすぎる気がするなあ」
「こんな事する奴の気持なんか分らんさ。たまたま通りがかったのが男だったのかもしれん」
わかりませんねぇ、と木下が足元の小石を蹴った。
「失礼します」
二人が振り向くと若い警官が立っていた。
大野と名乗ったその巡査が四件目の中学生が襲われている所に駆け付けたらしい。
「どうも、忙しいのにごめんね。捜査一課の木下とこちらが青木です。いきなりだけど二十六日の夜、君が駆け付けた時にはもう誰もいなかったんだよね」
木下が尋ねた。
「はい。私が来た時には誰も。男の子が座り込んでました。幸い噛まれた傷も深くはなかったです。それで無線で連絡してすぐ辺りを捜索したんですが怪しいものは特には」
ちらりと若い警官は青木を見た。かなり緊張している様子である。
無理もない。木下の横で青木が腕を組んでむすっとにらんでいるのだ。
「どこの中学かわかるかな。名前とか交番に記録残ってるかな。僕ら署に書類忘れちゃって。暑さでうっかりしちゃってね」
木下は制限されている情報を直接現場から探ろうとしていた。
「それが……」
大野巡査は口ごもった。
「口止めされたか」
青木が低い声で聞く。
巡査は答えない。
「答えろよ。口外すれば一生巡査止まりだとでも言われたか、おい」
「止しましょうよ青木さん」
詰め寄る青木を木下が抑える。
「情報を漏らすなと言われてるんだね。声に出さなくていいから首を振って答えて欲しい。いいかい?」
巡査は頷く。
木下は辺りを見回した。青木もつられて視線をやる。
青木は納得した。我々に捜査を命令した以上、交番勤務の警官に接触するのは当然である。
直接現場に行った連中に情報規制をしているくらいだから彼らも監視されているのかも知れない。
実際そうだとしてそこまでする理由はなんだ。
青木は腹が立ってきた。
「二つだけ答えてくれ。情報を漏らすなという指示があったのか」
大野巡査は小さく頷く。
「それは……警察庁から……だね。熊本県警じゃなく」
若い巡査は一瞬目を大きく開いた、ように青木には写った。そしてゆっくり、目の前の人間にしか分らないほど小さく小さくあごを下に動かした。




