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課外授業/5

 瓜生の姿を見た沙耶と竹本は「なんでこいつがここに?」と、予想もつかない出来事が起こったというような顔をしていた。突如現れた転校生に言葉が見つからないのだ。

 一方の瓜生は、この普通ではない特殊な場面に顔を出したというのに、至極冷静で、普通に朝から登校してきたような顔で教室内を眺めている。今にも「おはよう」と挨拶でもしそうなくらいだった。

 明かりのスイッチから手を離し、静かにドアを閉めた瓜生はゆっくりと教卓の前に立った。

 昼間とは雰囲気が違う。

 青木にはそう感じられた。

 瓜生の恰好は、昼に見た薄い水色の制服ではなく、黒いスーツにグレーのシャツ。スーツの胸ポケット辺りにはなにやら小さく金の刺繍が施してある。そして特に目を引いたのが、真っ赤なネクタイだった。赤というより紅、血の様な深紅のネクタイをきちんと締めている。その姿はどこか上品で、とても高校生には見えない高貴なたたずまいだった。

(この馬鹿、着替えなんかしてて遅くなったんじゃねぇだろうな)

 一件用事があると言って青木を先に行かせといて、自分はわざわざ別の服に着替えていることに青木は呆れた。もっと早ければ青木は二回も死にかけずにすんだかもしれないのだ。

「遅くなりました、青木さん」

 瓜生は呆気に取られている沙耶と竹本をよそに、青木に挨拶した。

「遅ぇぞ、馬鹿野郎……」

 瓜生の出現で、なんとか気を持ち直した青木は近くの机に体を預けながら立ちあがった。

「うん。大丈夫みたいですね。よかったよかった」

 ニコリと笑顔を見せる瓜生に、怒鳴りつけて文句を言ってやりたかったが、今の青木にそんな余裕はない。言葉にならない怒りの表情で瓜生を睨んだ。

「まあまあそんな顔しないで。ボクが来るまで持ちこたえてくれて助かりました。彼も無事なようだし」

 瓜生はチラリと机の上の啓介に目をやった。

 相変わらずこの闖入者にどうしていいのか分からず、沙耶と竹本は立ち尽くしている。

 瓜生はただ黙って沙耶と竹本、交互に視線を送った。何かを確認するように、二回、三回……。

 その瓜生の仕草にたまらず沙耶が口を開いた。

「あ、あんた何よ。確か転校生だったわよね。瓜生とかなんとか……」

「こうやって話するのは初めてだったね。瓜生健です。はじめまして」

 丁寧に自己紹介をする瓜生の、沙耶を見つめる視線は鋭い。沙耶もその刃物のような鋭さを感じているのか、身動きができないでいる。

「そして竹本先生。授業を受けた事はまだ無かったですね。瓜生です」

 刃物の様な視線は次に竹本に送られた。竹本はいつの間にか振り上げていた椅子を降ろして、怪訝そうな顔をして瓜生を見ていた。

「な……なぜ君がここに?」

 自分達がしようとしていた事を省みれば、刑事がここへ来た理由は理解できるのだろう。だが、数週間前にこの学校へ転校してきたこの男がここへ来た理由を竹本は全く思いつかないのだ。

 瓜生が転校してきた事は、学校中の女子生徒の評判で耳にしていた。なにやらモデルの様な男がやってきた、と。

 誰がモテようが、誰に人気があろうが学校内の事など興味のない竹本が瓜生の姿をはっきりと見るのはこれが初めてだった。

 確かに顔も整ってるし、背も高い。これは女子生徒が大騒ぎするのも無理も無い。それが竹本の感想だった。

 瓜生は目の前の教卓へ両手をつき、

「さあ、席につきましょう」

 と、笑顔で三人に話しかけた。それはとても優しく、遊びに行こう、と友人へ声をかけるかのように爽やかだった。

 殺伐としていた室内の空気は、瓜生はその一声で空気を一瞬にして変えてしまうかのようだ。

「せ、席に着けって何をするつもりなんだ」

 まず最初に反応したのは竹本だった。それもそうだろう、普段な生徒である瓜生の方が席に着くべきなのだ。普段なら……。沙耶もそれに続く。

「なんであなたに指図されないといけないわけ? 冗談じゃないわ」

 そう言いながら沙耶はずかずかと瓜生とは反対側のドアか教室を出ようとした。

 青木が慌てておぼつかない足でそれを追いかける。

「お、おい、ちょっと待て―――」

「そのドアを開ける事はオススメしないなあ、大久保さん」

 ドアノブに手を掛けた沙耶の動きが止まった。

「……どういう意味?」

 瓜生の方を見もせずに、ドアと向かい合ったまま聞き返した。

「そのままの意味だよ。この部屋にいれば痛い思いはしないで済むかもしれない。君次第だけど……」

「だからどういう意味だって聞いてるのよ!」

 苛立ちを表に出す沙耶の姿を、瓜生はじっと見つめている。沙耶のその迫力にも眉ひとつ動かさないでいた。

「ドラマ風に言えばこの学校はもう包囲されているんだよ。その意味は分かるかい?」

 そう言いながら瓜生は、黒板の脇にある扉をチラリと横目で見た。

 青木はその瓜生の目の動きを見逃さなかった。さっきまでは暗くて気付かなかったが、黒板側の入り口の反対側、黒板の二メートルほど隣に扉があるのだ。

(なんの扉だ?)

 その瓜生の僅かな眼球の動きに何の意味があるのか、内心気になったが、包囲という言葉の方が勝ってしまった。

「どういう事だ、瓜生」

「青木さん、あなたまで。そのままの意味ですよ。もう彼らに逃げ場所はないんです」

 青木は慌てて窓際へ行き、外を覗いた。

 月明かりも無い暗闇の中に、車のライトが数台見えた。赤いランプは点灯していない。そして窓の下に数人の人影が確認できた。暗がりで、誰かがいるという事だけしか分からない。

「警察か?」

 青木の問いに瓜生は黙って首を横に振る。

「あんた、本当に何なのよ。なんでこんなに邪魔が入るの! 私はただ―――」

「ただ……何だい? ただそこにいる馬原啓介の血を吸うだけ。そう言いたいのかい?」

 瓜生の口元は笑っているが、その目は鋭いままだ。厳しい目で今にも泣き出しそうな沙耶を威圧している。

「ヴァンパイアの掟を知る者がボクのこの姿を見れば、大抵は顔色が変わるものなんですけどね。掟を破った物なら尚更」

 ネクタイを弛めながら瓜生は沙耶から竹本へ視線を移す。

 その目に気圧されてか、竹本はゆっくりと足元にある椅子へ糸の切れた操り人形のようにストンと腰を落とした。

「掟? ただの転校生が何様のつもりよ。そんなダサいネクタイがなんだって言うのよ」

 沙耶はなおも食い下がる。

「正義のヒーローのつもり? これ以上邪魔をするつもりなら……」

 沙耶の眼がくわっとあのヴァンパイアの眼に変化した。

 窓辺の青木がさっと身構える。さっきその力を散々味わった体が、無意識に反応したのだ。

「ボクを殺しますか。それもやめておいた方がいいなあ……」

 青木はそう話す瓜生を見て思わず、その場にあった椅子に座りこんだ。

 瓜生の眼もまた、ヴァンパイアのそれに変化したのだ。その穏やかな表情から醸し出す迫力に青木まで気圧されてしまった。

 その場で一番その変化に驚いたのは誰でも無い、沙耶だった。信じられないというその表情は血の気が引いていた。

「ま……まさか」

「分かったでしょう? さあ座りましょう、大久保さん」

 子供に言い聞かせるように瓜生は優しく語りかけた。

 沙耶は観念したように教室の真ん中あたり、啓介が寝かされた机の脇にある椅子に静かに座った。




 

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