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潜入/3

 瓜生に指定された時間は九時五分から九時十分だった。偶然か必然か、青木は九時十分に坪井高校の前に辿り着いた。

 枕崎との電話を切ったあとも、青木の腹の虫は中々収まる事もなかったが、気持ちを事件の方へと切り替える事に神経を巡らせていた。

 青木はひとまず坪井高校の正門から少し離れた場所に車を止め、車内から辺りの様子を覗った。

 学校は大きい通りから少し入り込んだ場所にあるので、人通りも少なく、街灯の小さな明かりが等間隔で灯っていた。

 通りに民家も少なからずあるが、家の明かりは通りまで届かず、三メートル先の人影こそ分るもののその顔までは判別できない。

(さて、車をどこに停めておくか)

 瓜生の言った通り、校内に誰かいるのであれば、警戒される恐れがあるので校内には停めておけない。かと言って校門前に堂々と停めるのも気が引けた。もし瓜生の言う何者かがまだ校外にいるとしたら車が停まってる事を不審に思うかもしれない。

 思案しているとサイドミラーに一点の光が近づいてくる。

 青木は思わずシートに身を屈め、身を潜めた。一台の原付バイクが青木の車を追い越して行った。

(あんまりもたもたしてる暇もねぇな)

 青木は正門から学校の裏門へと車を回した。

 学校の反対側には小さな川が流れていて、裏門はちょうど河川敷沿いに位置していた。正門よりもさらに人気はなく、民家も門の数メートル手前で途切れていた。あまりの暗さに青木の車のヘッドライトが目立つほどである。

 裏門から校舎は広いグラウンドと体育館を挟んだ形になっているので、学校に忍び込むにはちょうど良かった。

 青木は門から少し離れた所にある空いたスペースに車を止め、急いでライトを消した。

(車が停まった事を悟られてなけりゃいいが……)

 静かにドアを閉め、外へ出る。雨上がりのじとっとした空気が青木の肌にまとわりついた。

 ふぅっと緊張をほぐすかの様に肩をぐるりと回す。

 グラウンドには明かりもなく、サッカーゴールがぼんやりと見えた。

「夜の学校か。ゾッとしねぇなあ……」

 木下が横にいたならクスクスと笑いを押し殺していただろう。なにしろ青木はこの荒々しい性格に似合わず大の怪談嫌いなのだ。つまり恐がりなのである。

 さっきまで電話で枕崎とやりあっていた人物とはまるで別人の様だった。

 仕事で無い限り夜の学校に忍び込むなど思いもしない事だろう。

 何も青木は霊やお化けの類の存在を信じているわけではなく、怪談や闇の放つ独特の閉塞感の様なものが生理的に嫌なのだ。

 裏門から校内を見渡せば、しんと静まり返ったグラウンド、その後に築数十年は経っているであろう古ぼけた体育館。そしてどんとそびえ立つ三階建ての校舎。肝試しをするにはうってつけの環境である。

「夜の学校ってのはこうも薄気味悪い所もんか」

 青木は腹を決めて裏門をよじ登り、校内へと足を踏み入れた。

 校舎側には数こそ少ないものの街灯が設置されている為、向こう側からグラウンドに人がいる事が分ってしまうかもしれない。

 青木はなるべくグラウンドの隅をゆっくり、体を屈めるような姿勢で進んで行く。

 足音を立てないようにゆっくりと歩くが、ジリッジリッと土を踏む音が静けさのあまり、えらく大きく青木の耳に響いてきた。

 後ろを振り向けばいるはずもない何かが目に入りそうで、前に進む足が少しずつ早くなっていく。ここで誰かに名前を呼ばれようものなら青木は驚いて飛び上がるだろう。

 雨上がりで蒸し暑いはずなのに、背筋にはうすら寒い何かを感じる。時に闇は体感温度までも下げてしまうものなのだ。

 体育館まで来たあたりで壁に張り付き、ひとまず校舎内の様子を伺った。

 ここまで来ると青木の目も暗闇に慣れ、校内の様子も暗がりながら多少見えるようになっているので、窓越しに動く気配があればすぐに分かる。

 五感を研ぎ澄ませ、誰かの足音や小さな声を捜そうとするが人の気配は感じられない。

 それに瓜生はひょっとすると教室に明かりが点いているかもしれないと言っていたが、どの部屋にもその様子もない。辺りは暗いのでどこか一つでも照明が点いていればすぐに分かりそうなものなのだ。

(外れか……)

 瓜生が青木を騙して学校に行かせる理由も思いつかないし、彼の予測が外れただけなのかと青木は考えた。

 あれだけ自身たっぷりに刑事である自分に指示しておきながら、結局空振りとはふざけやがってと青木は脱力した。

 もちろん、何も無いに越した事は無いのだが、暗闇にびくびくしていた自分を振り返ると青木はなんだかおかしくなってきた。

 誰もいない夜の学校に忍び込み、一人でこそこそしているのが滑稽に思えてきたのだ。

 さっさとこんな気味の悪い場所からおさらばしたい気持ちもあったが、念のため、校舎の近くまで行き、異常がないか確かめようと再び歩き始めた。

 闇にたたずむ校舎を見上げると、生徒という学校の主達がいないとこうも静まり返るものなのかと青木は改めて感心した。あと数時間もすればここはまるで命を吹き込まれた様に賑わい始めるのだ。訪れる時間でその表情が変わるさまを見るのも中々面白いもんだと、まるで夜の散歩を楽しむかの様だ。

「ん?」

 青木の足が止まり、その目つきが刑事のそれに一瞬にして変わった。何気なく見上げた校舎の窓にちらりと小さな光が見えた。

 その場所は校舎の三階だったので、光が見えたというよりそこだけが周りよりも少し明るく見えたと言った方がいいのかもしれない。そしてその明るさがゆらゆらと揺れている様に見える。

「気のせいか?」

 じっと目を凝らしてみるが、それが元々そういう光がそこにあるものなのか、誰かがそこにいるのか確信が持てない。

 場所が場所、時間が時間なだけにまさか霊的な物じゃねぇだろうなと少々不安もあったが行って確かめるしかない。

 青木は校舎への入り口を探した。

「人がいてもそうじゃなくてもいい気持ちはしねぇな」

 ぶつぶつ言いながら入口のドアに手をかけた。ドアの横には警備会社のセキュリティであろうカードを差し込むボックスが備え付けてある。

「最近の学校はえらく厳重なんだな」

 そんな警備など知るかと言わんばかりにドアを開く。

 鍵がかかっている可能性も考え、軽い力で押したドアは音を立てる事も無く静かに開いた。

 暗い、長く続く廊下は自分の来訪を歓迎しているとはとても言い難い、青木にはそう感じられた。



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