潜入/2
「誰だ?」
青木は声の主に心当たりはあったが、わざととぼけてみせた。
「つい、数時間前に会った人間の声も覚えられないのかね。やはり頭より体が先に動くタイプの人間の様だね、君は」
「あいにくどうでもいい奴の声まで覚えてる程こっちは暇じゃないんでね。そんな嫌みを言うためにわざわざ電話してきたのか、てめぇは。西戸崎だったか?」
どうもこの電話の主とは生理的にそりが合わない。青木はわざと名前を間違ってみせた。
「枕崎だよ、青木刑事。覚えておきたまえ」
「覚える必要はねぇな」
「ふっ、まあいい。そんなことより君に忠告しておきたくてね。妙な気を起さない様に」
「妙な気?」
「そうだ。瓜生に話は聞いたんだろう? 我々の存在について」
「ああ、聞いたよ。お前が蚊やヒルと親戚なんだ、ってな」
常に高圧的な態度を取って来る枕崎に青木はイライラしている。
「ふふ。面白い事を言う男だ。だが言葉には気をつけた方がいい。我々は君らよりも進化した存在なのだからね」
なるほど、この枕崎という男はヒトを下に見る方のタイプか。青木の枕崎に対する嫌悪感は益々募った。
「そのエライヴァンパイア様が下等な俺に何の要件があるんだと聞いてる」
「はっきり言っておこう。我々の存在を知ったからには君は『ネイヴ』の監視下に置かれている。これからの言動には細心の注意を払いたまえ」
「監視? 早速盗聴器でも仕掛けたか。えらく心配性なんだな、お前さん」
青木自身、これくらいの事は予想の範囲内だった。
思えば、昨日話を聞きに行った江津交番の警官の様子がおかしかったのもこいつらに何らかの圧力をかけられたのだろうと納得できた。
「盗聴器などという下品なものはしないさ。ただ、妙な噂が広がればそれがどんな些細な物でも、世界中のどこででも我々はその出所を突き止める。それくらいのネットワークを持っているのだよ。そしてその噂の発端を見つければ……」
「抹殺か?」
電話の向こうでライターを擦る音がした。煙草に火を付けているのだ。横柄な態度で腰を下ろし、煙を燻らせながら話をする枕崎の姿が容易に想像できた。
「ふっ。そんな野蛮な事はしないさ。ヒト側も犯罪を犯したヴァンパイアの命は取らないし、ヴァンパイア側だってそう。それがヒトとヴァンパイアが交わした協定の基本だ。しかし噂を流し、みだりに世間を混乱させようとする輩には多少大人しくはしてもらうがね」
「警察の人間ならどっかよそへ飛ばしたりか?」
青木は木下が警察学校時代に聞いたという噂話も思い出した。事件隠蔽のお達しが上からくるというやつだ。
瓜生から『ネイヴ』の話を聞いて、あの交番の警官の様子と警察学校の噂、青木の中でこの二つが繋がったのだ。
「そんな甘いもんじゃないさ。まあ、ひどい妄想傾向がるということで病院送りか隔離施設あたりだろうね。どうなるか知りたければ試してみるのもいい。君なら喜んで送り届けてやるよ」
枕崎の挑発的な態度にもだんだんと慣れてきた。
「へぇ。どこぞの警察学校じゃ噂らしいぜ。警察の上層部に事件を揉み消す組織があるらしいってよ。急いで火消しにいかねぇと噂が広がって大火事になるぜ」
木下には悪いが噂を使わせてもらった。具体的な話ではないし、あくまでも警察内部の噂だから大丈夫だろう、と青木は判断した。
「日本の警察も落ちたものだ。そんな下らん噂話をするような連中が拳銃ぶら下げて治安を守るのだからね。世も末だ」
「同感だね」
青木はそこだけは枕崎に同意した。
「そんな警察内部の噂など取るに足りんよ。それ以上足を踏み込めば話は別だ。ついこの間も週刊誌の記者が施設送りになったばかりだ。しっかり頭に置いておきたまえ」
相変わらず渋滞の列は続き、青木の車も中々前に進めずにいた。
そのイライラも合わさって、青木は枕崎にも攻撃的になってきた。
「自分たちの存在が公になるのをえらく恐がってるじゃねぇか」
「何だと?」
「恐がってると言ったんだ。聞こえなかったんならもう一度言ってやろうか。恐がってるんだろ、お前らは。話聞いてると少なくとも俺にはそう聞こえるぜ」
「くだらんね。我々が何を恐がる必要がある? 混乱を防ぐために我々は―――」
「じゃあ堂々と言ってやれよ。私たちは吸血鬼だ、ってな。何百年も地下に潜ってこそこそと。仕舞いには今みたいに脅迫めいた真似までしやがって」
青木のギアが上がる。電話口からも枕崎の苛立ちが伝わってきた。それがまた青木には心地よかった。
「心配しなくても俺は口外しねぇよ。今回の件が解決すりゃあ二度と関わりなんか持ちたくねぇんだからな。お前らの事なんか記憶から消してやるさ」
青木のその言葉に嘘は無かったが、そうなりたいという願望が含まれていた。家族が戻って来ようかという時期に、余計な不安は持ちたくないという気持ちがあるからである。
「瓜生に何を言われたのか知らんが、今からでも遅くない。そのまま家に帰りたまえ。これからの成り行きなど君にはおよそ関係ないことだ。記憶から消すというのなら尚更だ」
「てめぇは俺の上司だったか? 違うならそんなこと言われる筋合いはねぇな。俺はこの事件担当の刑事として動いてる。お宅もこんな電話してないで自分の仕事でもしたらどうなんだ?」
電話口でまたライターの音がした。青木の攻撃が枕崎の煙草の量を増やしているのだろう。
「とっくにこちらも動いてるさ。君に言われなくてもね。君とこれ以上話しても時間の無駄の様だ。まあ、くれぐれも我々の仕事の邪魔をしない事だ。もし『ネイヴ』の活動に支障をきたすようならば遠慮なく君には退場してもらう」
枕崎は一層低い声で念を押した。まるでこれが最後通告だ、と言わんばかりの雰囲気だった。
「わざわざどうも。じゃあな」
それだけ言って、青木は通話終了のボタンを押し、電話ごと助手席に放り投げた。
「気に食わねぇ野郎だ」
青木は権力を振りかざし、高圧的な態度をとる人間に対して、反発する癖があった。
保身ばかりに頭を使い自分では何もせず、態度ばかりが大きい人間を嫌った。
警察という縦社会にあって青木のその性格は致命傷とも言え、事あるごとに上司と衝突してきた。
ある時、そんなことでは出世はできないと言われた時など、当時の上司に食ってかかった程だった。
出世の事など頭になく、罪を犯した人間を捕まえる、それだけを信念にここまで来た男なのである。
そんな青木を諌め、時には奮い立たせ、うまくコントロールするのが今の上司の内川だった。
良く言えば熱い、言い方を変えれば扱いづらい青木が、初対面から挑戦的な態度をとる枕崎とうまくコミュニケーションがとれるはずもないのだ。
皮肉な事に枕崎との喧々諤々としたやり取りをしているうちに、青木の車は渋滞を抜け、坪井高校の目前まで来ていた。
車内の時計に目をやると九時五分になっていた。




