潜入
青木は瓜生と別れた後、車を坪井高校まで走らせていた。
(あの餓鬼、警察をアゴで使いやがって)
学校内で本当に何かが起こるのかは半信半疑だったが、非現実的な話を一人落ち着いて整理するには丁度いい時間だった。
時刻は八時四十五分。
電車通りを走る青木の車は路面電車と何度もすれ違った。
電車内は会社帰りのサラリーマンや制服の学生、夜の街に繰り出す若者などで賑わっているのが車の窓からもうかがう事ができた。
信号待ちでちょうど横にその路面電車が並ぶ。
そして反対側に目をやると隣の車線には路線バスが数台連なっている。車内は吊皮を持つ
乗客たちが見えた。
青木はあの中にも何人かのヴァンパイアがいるのかと想像して背筋が寒くなった。
(知らない方がいいこともある、か。その通りなのかもな)
世の中に潜むヴァンパイア、そしてそれを取り締まる『ネイヴ』という組織。
今日は色々な事が起きすぎて青木の頭はパンクしそうだった。さらに今からまだ何かが起きようとしていると瓜生は言うのだ。
今はまだ興奮状態で神経も尖ったままの状態だから、これから起こる事に集中出来ている。しかし今回の件が全て終わってしまった後に自分がこれまで通り平常でいられるのか、青木は多少不安があった。
出て行った妻も子も青木のもとに帰って来ようとしている、そんな時に知ってしまった事実をどう昇華するのか、昇華できるのかという不安である。
家族がいつ、どこでヴァンパイアに出会うかもしれないという不安は、この事実を知った者が極度の疑心暗鬼に陥り精神を病んだのも頷ける。
妻に近づく者、娘に近づく者、そのすべてがヴァンパイアではないかと疑ってしまう生活を想像すればするほど不安と恐怖は募っていく事だろう。
がさつで家庭を省みなかった青木でも自分の事より家族の心配をする人間らしい部分を当たり前に持ち合わせているのだ。
そんな事より今はこの事件の解決に集中しようと努めるが、どうしてもこれからの不安と疑心が顔を覗かせる。
ヴァンパイア
ヴァンパイア
ヴァンパイア――――――
その単語、これまでは映画の世界でしか聞く事のなかった単語が頭から離れない。
すでに青木は先人同様、この世界に対する不信感と人類に対する疑心によって精神崩壊への階段をひとつ登ってしまったのかもしれない。
そこへ青木の携帯電話の着信音が鳴った。
考え事をしていた青木は慌ててハンズフリーのイヤホンを電話につないだ。
着信の番号は捜査一課の細川だった。木下が襲われた現場をとりあえず仕切っていた刑事である。
名前が表示された画面を見て青木は電話に出ようか一瞬迷ったが、木下の容態も気になって通話ボタンを押した。
「青木だ」
いつも通りの低い声で電話に出て、平静を装う。
他の刑事たちは青木がヴァンパイアと接触している事など当然知らないのだ。
「ああ、青木さん。細川です。今どこですか?」
「どこって……」
青木は言葉に詰まった。まさか坪井高校に向かってるとは言えるはずもない。
「俺は休暇中だぜ? どうしたんだよ」
「休暇中って……。木下が大変な時に」
顔は見えないが電話の向こうで細川が呆れてるのが分かった。同僚が襲われた現場に居合わせた刑事が呑気に休暇を楽しんでるとあっては呆れるのも無理はない。
不器用な青木は上手い言い訳がとっさに出てこなかったのだ。
「課長の命令とあっちゃ刃向かえんだろ。それに木下は大丈夫そうだと田上に聞いたぜ」
「まあ、あいつはほっといても大丈夫です。こっちから頼んでもそう簡単にくたばる様な奴じゃないし」
意識の無い人間が、いないところでひどい言われようである。
「そんな事よりその木下の事件、うちはもう捜査から引けって上からの指示なんですよ。現場保持も聞き込みも何もしなくていいって。こっちは身内やられてんのに何の説明もなしですよ。どうなってるんですか、これ」
やはりそうきたか、と青木は内心思った。
ヴァンパイアが絡んでるとあれば警察に根回しをしてくるのは今となっては納得だきるのだ。
だがこの間までの青木の心境と同じだから細川が憤るのも理解できる。
「青木さん、何か聞いてないんですか?」
「俺が? ああ、何も聞いちゃいないよ」
青木はぎこちない返事を返すので精いっぱいだった。
「青木さんらしくないなあ。相棒やられてすんなり休暇に戻るなんて。いつもなら率先して上に噛みつくタイプでしょうに。本当に何も聞いてないんですね」
細川も上からの命令に不満で多少熱くなっているので、しつこく青木に食い下がる。
「だから何も聞いてねぇよ。休暇に戻れって言われたからそうするしかねぇだろ。お前らもいつまでもそんな事に気い取られてないで別の仕事にかかれよ。事件は待ってちゃくれねぇぞ、馬鹿野郎」
青木はそう怒鳴って電話を切った。
恐らく電話の向こうの細川も青木大火山が爆発したとあっては、渋々この件から引きさがる事だろう。
青木はふぅ、とため息をつき、手荒くイヤホンを外すと助手席に投げつけた。
「悪いな、細川……」
細川の気持ちが分かるだけに青木の胸中は複雑だった。事情を説明したいのは山々だがそういう訳にもいかない。
仲間を欺いている気がして後ろめたさが青木を襲った。
それと同時にヒトを糧とするヴァンパイアがいるという恐ろしい事実を知るのは自分一人で十分だ、とすべてを背負う覚悟を改めて決めたのだった。
青木の車は坪井高校のすぐそばまで来た所で、渋滞にはまってしまった。
「畜生、あっちの道に回ればよかったな。かなり混んでやがる」
その時、またしても青木の携帯電話が鳴った。
青木は助手席に放り出したままのイヤホンを取り上げ、耳につけた。
携帯電話の画面には登録されていない、青木の知らない番号からの着信だった。
(誰だ?)
知らない番号だが瓜生ではない事は確かだ。さっき連絡先を交換した際、名前も一緒に登録したはずだった。
「もしもし……」
いつもより低い声で警戒しながら電話に出た。
「青木刑事の電話かね」
電話の相手は聞いた事のある声だった。どこかで聞い、自分を不愉快にさせるこの声……。
表情こそ相手に見えないが、心当たりのある声の主に対し青木はひどく不快な顔をしてみせた。




