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今夜、暗い学校で/2

 二人は校門とは反対側の校舎への入り口前まで来た。

 急に小走りになったせいで二人の呼吸は少し乱れていた。

 手はまだつながれたまま。沙耶は気にもしてないが啓介の方はも当然のことながらそうではない。

 何年も声を掛けられず、ただただ遠くから見ていた存在が、この二日間でその距離が急激に近づき、戸惑いを隠せないで、沙耶に握りしめられた手をただじっと見つめているだけだった。

 沙耶はそんな啓介を背に、ガラス張りのドアの中を物色するかのようにジロジロと覗きこんでいる。

「本当に入る気か?」

 ここまで来て往生際の悪い男である。

 沙耶の背中越しに見える校舎内は当然真っ暗で、非常口の緑色した明かりがぼんやりと見えるだけだった。

 啓介の情けない問いに、振り返った沙耶の顔は、半ばあきれ顔である。

「まだそんな事言ってるの? 何か悪い事してるみたいでわくわくするじゃない。啓ちゃん、先に行ってよ」

「え?」

 沙耶は手を離し、啓介の背中を押す。

「ちょ、ちょっと待って。これ勝手に開けたら警備会社とか来るんじゃないか?」

 慌てた啓介は沙耶に押されながらも、入り口横の壁にある銀色のカードの差し込み口に気がついた。それには緑のランプが灯っている。

 最近の学校はセキュリティーを警備会社に任せていて、何か異変があれば警備員が飛んでくるらしい。

 その緑のランプが何を意味しているのか、啓介には分らない。

「これ無理やり扉開けようとしたら警備員が来るんじゃないかな」

「ふうん。やっぱり啓ちゃんは中に行きたくないんだ……」

 沙耶はわざと淋しそうな顔をしてみせる。啓介は動揺した。

「いや、行きたくないわけじゃないよ。警備の人が来たらまずいかなあと……」

「来た時は来た時よ。その時は逃げればいいの!」

 小・中学と大人しく控えめだった沙耶が、高校でこうも変わるものかと啓介は感心した。

 同時にそれに比べて臆病で小心者のまま、何も変わらない自分に嫌気がさした。

「啓ちゃん、運だめしよ。鍵が開いてるか閉まってるか。もしかしたら先生達、閉め忘れてるかも」

 鍵を閉め忘れる事なんてまあないだろうと啓介は扉の取っ手に手をかけた。鍵がかかっていれば沙耶も中に入るのは諦めるだろうと淡い期待を抱いて。

 肩に力を入れ、取っ手に体重をかけるように扉を押す。すると扉は拍子抜けするくらいの軽さで静かに開いた。

「あ、開いた」

「やったね啓ちゃん。今日はツイてるのよ」

 沙耶はまだ取っ手をにぎった啓介を追い越し、喜びながら跳ねるように校舎へと足を踏み入れた。

「探検よ、啓ちゃん」

 暗い学校の廊下ではしゃぐ沙耶を見て啓介は、

(沙耶と一緒だし、いいか)

 と、薄気味悪さは変わらないが沙耶と一緒にいれるという喜びに気持ちを切り替え、ゆっくりと沙耶の方へ歩を進めた。

 沙耶は微笑みながらそれを迎えるように手を広げ、再び啓介の手を取った。

 今度は啓介も動揺は無く、ぎゅっと沙耶の手を握り返した。

 暗い校舎の中を二人は手を握り、足音を殺しながら静かに歩きだした。

 隣にいる沙耶からほのかに風呂上がりのいい香りがする。

 啓介はそんな沙耶を横目で見ながら、

(なんだか喉が渇いたなあ……)

 そんな事を考えていた。


 夜の学校はしんと静まり返り、昼間よりも幾分かひんやりと涼しげだった。

 この字型した坪井高校の校舎を二人は端から端まで歩いて二階へと階段を上った。

 初めのうちは気味が悪かった薄暗い学校も次第に目が慣れていき、この空間に沙耶と二人きりという幸福感に包まれているせいか、恐怖感も次第に薄れていった。

「なあ、沙耶」

 階段を上がりながら啓介が口を開いた。

「どうして夜の学校なんかに呼び出したんだ? 今日学校も休んだみたいだし」

「うーん……なんでだろ」

「なんでだろって……」

「思い出、作りたかったからかなあ」

「思い出?」

 沙耶は少し淋しげな表情を見せた。

「私、昔暗かったし、友達も少ないじゃない? 高校来てもそんなに友達できてないし……」

 小学校から沙耶の事を知っているが、確かに沙耶はクラスの中心にいるような明るい子ではなかったし、高校に進学してもこれといった女友達と談笑する姿を見かけたこともない。

 だが、それは啓介も似たようなもので、クラスで目立つタイプじゃないし、友達も多いわけではない。

 そんな所も含めて啓介は沙耶に好意を寄せているのだ。

「……熊本を引っ越す前に思い出―――どんな小さな事でもいいから思い出を作りたかったの。ごめんね、啓ちゃんを無理につき合わせたりして」

 沙耶がスッと手を離し、二人を結んでいた手がほどけた。

 決してそんなつもりで尋ねた訳ではない啓介はうろたえた。

「そ、そんなことないさ。無理にじゃないよ。なんて言うかその……気になったんだ。こうして一緒にいれる事は……うれしいし―――」

 手を離され必死に取り繕うが、結局後半部分は蚊の羽音の様に小さくなって恐らく沙耶の耳には届いていないだろう。

 沙耶は立ち止まった啓介を置いて一人廊下を歩いて行ってしまった。

 ぬくもりを失くした自分の右手を残念そうに眺めながら啓介は沙耶の背中を追った。

 沙耶は特にどこかの教室に立ち寄るでもなくただただ、廊下をゆっくり歩いて行く。

 時々窓の外に目をやる事はあるが、立ち止まることもない。

 手を離されてから啓介は何を言うでもなく沙耶の後ろをついて歩くだけだった。

 相変わらず校舎内は物音ひとつ無い、静寂に包まれている。

 この静寂が啓介には辛かった。自分の尋ね方がいけなかったのか、それが沙耶の機嫌を損ねてしまったのか―――。

 沙耶に何と話しかけていいのかも分らず、目に入っているのは同じリズムで揺れる沙耶の背中だけだった。

 二階の廊下も端から端まで歩き、三階への階段まで来たところで沙耶は立ち止まった。

「あ」

 その声に啓介は驚いた。自分の耳に随分長い事、音という刺激を感じていない気分だった。

「これ……」

 沙耶が指さす方に目を向けた。その先には沙耶のサンダル履きの足。

「土足だったね」

 ぺろっと舌を出し微笑む沙耶の表情を見て、啓介はほっとしたと同時に、喉の渇きが激しさを増した。

 まだ俺は緊張してるのか、啓介は渇きの理由はそのせいだろうと自分で納得していた。







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