ヒトとそうでないもの/5
「すいません。ちょっとした冗談ですよ。そんな怒んなくても……」
「こんな時に笑えねぇんだよ、馬鹿野郎」
青木は怒りを抑えながら叱責した。
「硬いなあ、青木さんは。木下さんは大丈夫ですよ。まあ、もう少し血を吸われたら危なかったのは確かですけど」
「お前らはそんなに簡単にヒトを殺せるのか。あの短時間で体中の血を吸いとれんのかよ」
拗ねた子供のようにそっぽを向いた青木は、瓜生の方を見もせずに尋ねた。
「よほど渇いていたか、慌てたんでしょうね犯人は。まあ失血死させるほど血を吸う力はありますよ。大体は死なないように加減するんですが。ヒトは血を吸われるとしばらくの間、体の自由が利かなくなるんです。正座して足がしびれるように体全体がしびれた様になってしまう」
「その間に犯人はとんずらするわけか」
「木下さんはすごいですよ。襲われた後にあの茂みを自力で歩いたんですから。たいしたもんです」
瓜生は腕を組み、なにやらうんうん頷いている。
「元気になったら伝えとくよ」
負けじと青木も鼻で笑った。
「さっきの増え方の話に戻りましょう。それは三原則の二つ目、“与えない”に繋がるんです」
ヴァンパイア講習は続く。
「ヴァンパイアとヴァンパイアの子供は当然、ヴァンパイアです。厄介なのはヴァンパイアとヒトの場合です。これは子供がヴァンパイアの場合もあれば普通のヒトの場合もあります」
「それのどこが厄介なんだ?」
「隔世遺伝、つまり孫やひ孫がヴァンパイアの場合があるんです。この場合はこちらとしても把握しにくい。つまり突然、ヴァンパイアに目覚める場合があるんです」
「『ネイヴ』が把握してる数よりも実際のヴァンパイアは多いってことか」
「潜在ヴァンパイアを考えると多い可能性はあります。ヴァンパイアの子供は小さい時から三原則などある程度は教育されますけど、突然目覚めた場合、我々は覚醒と呼んでますが、この場合はある日突然、ヒトを襲う可能性があるんです。何も知らないわけですから」
「おっかねぇ話だ」
青木はゾッとした。やはりヴァンパイアの存在など一般人は知らない方がいいのだと改めて感じたからだ。
社会全体が潜在的なヴァンパイアを疑い、疑心暗鬼となり、それこそ世界はパニックになってしまうだろう。
ヒトとヒトとの信頼関係など脆いもので、一度でも疑い、信用を無くせば、ほつれた糸の如くどんどんと広がっていってしまう。
警察という特殊な職場にいるせいか、そういった危うい人間関係を青木は何度も目にしてきた。
「まあ一応、我々もチェックをしていますが全部を把握するのはなかなか簡単ではないですからね。一般的は繁殖方法はヒトとなんら変わりません。問題はもう一つの繁殖方法です」
「やっぱりなんかあるのか」
青木にとってはそっちの方が大事なのである。
男女の交わり以外の繁殖方法があるのだとすれば、世界中のヒトをヴァンパイアと変えてしまう事が可能なのではないか、不安はそこにあった。
瓜生は親指で自分の胸を差し、
「血ですよ」
と答えた。
「血? お前の、つまりヴァンパイアの血か」
おかしな話である。
ヴァンパイアは己の渇きの為にヒトの血を欲し、そのヴァンパイアになるためには逆にヴァンパイアの血が必要だと言うのである。
青木は笑いながら、
「例えば俺がヴァンパイアになりたけりゃ、お前の血を飲めばいいってわけか。それともお前の血を輸血するか?」
そういいながらバカバカしいといった風にまた窓の外へ顔を向けてしまった。
「輸血じゃ駄目です。飲まないと。ほんの一口でもいい、血を飲むんです」
「たったそれだけで進化の出来上がりかよ」
「そうなるんだからしょうがない。輸血してヴァンパイアの血が体に入ってもヒトの血と同化して影響はないんです。胃の中に入れる事で吸収しヴァンパイアとなるんです。個人差があって人それぞれですが、早ければ三十分」
「自分で分るのか? ヴァンパイアになった事が」
「しばらくは眩暈がします。そして渇きをおぼえる。場合によっては暴走し、ヒトを襲ってしまう」
「それが三原則の“与えない”か」
「そうです。逆に潜在ヴァンパイアがヴァンパあの血を口にすると激しい腹痛と吐き気に襲われます。だから共食いはできないってわけです」
「よくできてるな」
青木は思わず感心した。
「だが待てよ。それじゃあ世界中のヒトに血を飲ませりゃあいいじゃねぇか。そしたらヴァンパイアの世界だ。今みたいにこそこそしなくて済む」
素朴な疑問だった。
が、瓜生はそれを聞いてこれまでにないくらいの笑い声をあげた。
「面白い事言うなあ青木さんは。みんなヴァンパイアになったら誰の血を飲んで生活するんですか。ヴァンパイアの数は少なければ少ない方がいい。食料の取り合いが起きないで済むんですから」
そう笑いながら話す瓜生を見て、青木はこいつはヒトとは違う、本物のヴァンパイアだという事を再認識させられた。
こいつらにとってヒトは所詮、食料なのだと、およそ人間離れした感覚をヴァンパイアという種族は持っているのだろう。
「俺らにとっちゃ笑いごとじゃすまねぇんだがな。まあそれはいいや。しかし三原則の“襲わない”はどうなる? ヒトを襲わなけりゃあおまえらはおまんまの食いあげじゃねぇか」
俺らは食糧なんだろ、と青木は皮肉交じりに瓜生に尋ねた。
瓜生は気にもしていない。
「『ネイヴ』の戸籍に登録していれば月に一回、冷凍された血液が支給されます。二回目からは有料ですが」
「なんだそりゃ。どっからそんなもん支給されるんだ。どっかの馬鹿が善意でくれるのか」
青木は喰ってかかる。
「ヒトがなんの疑いもなく血を提供してくれる場所があるでしょう?」
「血を提供……献血か!」
瓜生はニヤリと頷いた。
「もちろん献血されたもの全部がヴァンパイアに回ってくるわけじゃありません。その一部です。全部回していたらそれこそ輸血用の血が足りなくなりますからね」
「そんな馬鹿な……そんなことが許されてんのかよ」
青木は愕然とした。街中で「血が足りません」という看板を目にした事があるが、まさかヴァンパイアの腹の中に収まっているのか。そう思うと怒りさえ湧きあがって来る。
「襲われるよりマシでしょう? 平和な社会を作るためです」
平気な顔をしてそう言ってのける瓜生の顔を、青木はしばらく間睨み続けた。




