ヒトとそうでないもの/4
青木は五感や身体能力の向上が、瓜生の言うヒトの進化だとしたら、それは進化と判断する材料しては多少弱いと感じていた。
青木にとって進化というのはもっと想像もつかないとてつもないものと考えたからだ。瓜生の説明ではただの血を吸う運動神経のいい人間としか捉えられなかった。
だが、ヒトよりも腕力や瞬発力が優れているのだとしたら木下があっという間にやられたのにも多少納得がいった。
「お前らの進化は分かった。二つ目の質問だ。世界中にヴァンパイアがいるとお前は言ったが、なんでそんなに世界中に広がって言ったんだ? 始まりはヨーロッパだったんだろう。俺にはお前は日本人にしか見えないんだが」
世界中に組織を作るというくらいだからヴァンパイアの人口も百人、千人単位じゃきかないのだろうと青木は考えた。
現に青木の知る限り、最低でも二人のヴァンパイアがこの九州の熊本に存在しているのである。
地球全体の人口から考えると、すでにヴァンパイアは相当数、存在するのではないか。そう想像すると青木は背筋が寒くなった。
「その辺のヴァンパイアの歴史は後ほどお話しましょう。恐らく今夜はもう一人二人、レクチャーしないといけませんから」
瓜生はすっかり暗くなった窓の外に目線を泳がせた。
青木にはその意味が分からなかった。一体誰にレクチャーする気なのだろうか。
つまりは今夜その時に青木も瓜生の言うその一人二人と一緒の空間に確実にいるという事なのだろうか。
「簡単に言っておくと、ヨーロッパを追われて世界各国に安息の地を求めたんです。その時に先人達は少しずつ仲間を増やしていったんです」
「それが日本にも流れ着いたってわけか。こんな九州の田舎にまで。東京みたいな都会の方が人も多いしヒトも襲いやすいんじゃねぇのか」
「もちろん東京や大阪のような都市部に『ネイヴ』の拠点はあります。人口が多い分、ヴァンパイアの数も多いですからね。地方の方が『ネイヴ』の目が届かない、届きにくいのも事実です。沖縄なんかはまだヴァンパイア人口は少ないんです。その分犯行自体も今のところ報告されてません。時々米軍のヴァンパイアが事件を起こすことはありますが」
「お前らはヴァンパイア人口をしっかり把握できてんのか。そこをしっかりしとかないとヒト側のエライさん達も納得できねぇだろ」
「もちろん、ある程度は把握しています。それも『ネイヴ』の仕事です」
「役所みたいなこともお前はやってんのか」
青木の問いに瓜生は首を横に振った。
「『ネイヴ』の説明に戻りましょう。『ネイヴ』は大きく四つの部署に分かれています。
“ハート”“ダイヤ”“クラブ”そして“スペード”」
「ふん、まるでトランプだな」
青木が鼻で笑うのを横目に瓜生は続けた。
「青木さんの言うようにヴァンパイアはトランプをベースに分けられてます。始祖ヴァンパイア、つまり最初のヴァンパイアの子孫をキング。そうでない八人の幹部をクイーン。そしてキングとクイーンに仕えるのがジャック、それが『ネイヴ』です。『ネイヴ』とは元々古い英語でトランプのジャックを意味します。日本語に訳すと“仕える者”」
「まさにお前はキングに“仕える”わけだ」
皮肉交じりに青木は言ったが瓜生の方はそんなもの気にもしていない。
「で、お前はどの絵柄なんだ?」
青木がそう尋ねると、瓜生は後ろ髪をかき上げて青木に示して見せた。耳までかかろうかという少し茶色がかった髪の下、ちょうど左耳の後ろ辺りにそのマークはあった。
「……スペードか」
覗き込むようにして青木がつぶやいた。
「マークを彫る位置は人それぞれですけどね。ボクはこうして学校に潜入する事があるのでそう目立つ場所には彫れませんから」
「スペードは現場で犯人を捕まえるのが仕事か」
「平たく言えばそうですね。潜入、捜査、逮捕。今回のように学校や警察に裏から手を回したり情報を操作するのがダイヤの仕事です。さっき会った枕崎さんなんかがそうですね」
瓜生が指で煙草を吸う仕草をしてみせた。
(あいつもヴァンパイアか。あのヒトをイラつかせる態度はどおりで人間離れしてるはずだ)
青木の脳裏にあの煙をくゆらせる憎たらしい男の顔が浮かんできて、またさっきの苛立ちが甦ってきた。
「ダイヤと警察は太いパイプでつながっていて、全国のどんなに小さな出来事でも『ネイヴ』に情報が入ってきます。そこからヴァンパイアが関連してると疑わしいものに派遣され調査するんです。それでシロなら警察、クロなら『ネイヴ』が動きます。これは世界各国共通です」
「たいしたもんだ。よくもまあこれまで一般人にバレなかったもんだ」
「口止めや情報操作もダイヤの仕事ですからね。枕崎さんはああみえて優秀な人ですよ。多少性格に難がありますが……」
「多少どころじゃなさそうだ」
まだほんの数回しか会ってないが、青木は相当、あの枕崎が気に食わないのだろう。青木の性格もやっかいなもので、初対面の時のイメージが悪いと、ずっとそれを引きずって目も合わせなくなるのだ。
『ネイヴ』の話がひと段落したところで、青木も少し落ち着いたのか、先程瓜生が買ってきてくれた缶コーヒーに手を伸ばした。
すっかり乾いてしまっていた喉に濃いカフェインが流れ込み、一時は混乱した青木の脳も正常運転に戻っていた。
すでに駐車場に車は青木の他に二台あるだけで、帰宅を急ぐ車のヘッドライトが忙しなく江津湖沿いに動いている。
「で、お前らはどうやって増えるんだ?」
残りのコーヒーをぐいっと飲み干し、青木は尋ねた。
「同じ人間だから変わりませんよ。男と女、することは一緒です」
瓜生は窓の外を見つめながらさらりと答えた。
「そうじゃねぇよ。それだけじゃそんなにヴァンパイアの数は増えねぇだろ。子供を産むとかの話じゃなくてヴァンパイアを増やす方法さ。それがあるんだろ? そうでなけりゃ『ネイヴ』みたいな組織が世界中に作れるわけがねぇ」
青木は空になったスチール製のコーヒーの缶をぐしゃりと握りつぶした。ぺコンと間の抜けた音が車内に響く。
「噛まれた木下も晴れてヴァンパイアの仲間入りなのか?」
昔、青木が見たヴァンパイアの映画では、噛まれた人間はしばらくするとヴァンパイアになってしまう。そして新しくヴァンパイアとなった者はまた血を求めて人間を襲う……。
もし木下がヴァンパイアになってしまったのならこれから先、警察の人間として生活していけるのか、瓜生の話を聞いているうちに、青木はそれが不安になってきた。
「残念ながら……」
瓜生は打つ向き気味に首を振った。
青木はふうっとため息をつき、座席のシートにもたれかかり「そうか……」とだけ答えた。
その様子をみた瓜生が突然、くくくと笑いだした。
「残念ながら血を吸われてもヴァンパイアにはなりませんよ、青木さん。最初に言ったでしょ。映画とかのはほとんどが創作だって」
クスクス笑う瓜生を見て、からかわれたと気付いた青木は完全に頭に血が上ってしまった。
「てめぇ……」
殴りかかりこそしなかったが、やはりヴァンパイアという得体のしれない連中は信用できないと、青木は改めて確信した。




