ヒトとそうでないもの
「何だって……?」
少しの間停止していた青木の思考が再び動き出した。動き出したものの、今の青木にはそう一言だけ口にするのが精一杯だった。
『人を食料とする者』がいるという突拍子もない事を聞かされたうえ、そんなにわかに信じがたい存在の者と今現在会話していると、この制服を着た高校生は言っているのだ。
青木の脳はその言葉を理解しきれず、数秒の間、思考するのを放棄してしまった。
「何って、言葉通りですよ……ボクもその一人って事です」
瓜生は表情一つ変えず青木を見ている。
狭い車内に二人、瓜生と青木の距離は三十センチにも満たない。動けばすぐ体が触れるほどの距離だ。その距離にいる人間がはっきりと言ったわけではないが、自分も『人を食料とする者』であると告白してきたのだ。
「お……お前も人を食う……のか?」
青木はそう聞き返してはみたが、瓜生の返事を聞くのが恐ろしく思えた。エアコンが効いて快適なはずの車内にいて、青木の背中はじっとりと嫌な汗が噴き出している。
怪談話をする木下を車から放り出すほどの怪談嫌いな青木にとって今の状況は身の毛もよだつ状態なのだろう。
「人を食うって言うのはちょっと違うなあ。言ったでしょ? 栄養補給って」
「だからその意味がわからねぇんだよ。お前もその気になりゃ木下みたいに俺を襲えるって事か? もったいぶらねぇでちゃんと説明しろ。俺は怪談の類が嫌いなんだよ」
思わず口が滑って自分の弱点を言ってしまうほど今の青木は混乱している様である。普段の青木なら、初対面の男にそんな事を告白してしまうわけがない。昔行きつけだったスナック『R』のママですらそんな事は知らない。それほど慎重な男なのだ。
瓜生がそれを聞いてピタッと動きを止めた。止めたかと思うと次の瞬間、その表情を崩し豪快に笑い出した。
「ははは……。本当ですか、それ。似合わないなあ。あははは……」
青木は笑う瓜生に対し怒る余裕さえ無かった。瓜生の発言を一体どう受け止めていいのか分からなくなっているのだ。
どこからが本当でどこからが嘘なのか。冗談だとしても性質が悪い。
青木の脳はそんな危険な連中が本当にいるのかいないのか、それだけを繰り返し続けていた。
知らない方がいい事というのはこの事なのか。
枕崎のあのこ憎たらしい顔が脳裏によぎる。その枕崎も課長の内川もこの件には深入りするなと何度も青木に情報を流す事を拒んだ。その拒んだ理由が『人を食料とする者』、そんな連中がいるからなのか。それほど世の中にそんな危険な連中がいて、しかも一般人には知らされもせず、情報規制の中で保護されているのか。なんのために?
青木の意識はここではないどこかへと飛んでいて、その脳はフル回転で考えを掛けめぐらせていた。
瓜生は横でまだ笑っている。
(どんなに考えても俺には答えは出せねぇ。出せるはずもねぇ。こいつの話を聞く以外には……)
青木はしばらく放心していた意識をなんとか取り戻し、今置かれている現実へと自分を強引に引き寄せた。
しばらくの間、自分を見失っていた青木だが、ふと我に返ると隣でガキが笑っている事にだんだんと腹が立ってきた。気の短い青木である。しばらく混乱して放心していたものの、沸点は低い。
いきなりケラケラ笑っている瓜生の襟首を掴むと自分の方へと引き寄せた。
「いいか、俺は遊んでんじゃねぇんだ。さっさと説明しやがれ。それともあれか? 今から実際俺を食ってみるかこの野郎」
すごむ青木に面喰った瓜生はスッと静かに自分を掴む瓜生の手をほどいた。その表情は先程までとはガラリと変わっていた。
「ボクも遊びだなんて思ってませんよ。あなたが混乱していたようだから少し時間をとっただけですよ。気を悪くしないでください」
「別に混乱しちゃいねぇよ。お前の言ってる意味が分からなかっただけだ。で、どういう意味なんだ?」
青木は自分を落ち着かせようと浅いため息を吐いた。もうどんな話を聞こうが冷静でいる、改めてそう自分を戒めたのだ。
「最初は誰でもそうです。導入が難しいんですよ。この話は。さっきのはこう言う意味です。あなたの同僚を襲った犯人とボクは同じ種族、その可能性が高い」
「種族?」
「そうです。種族。つまりあなた達とは少し違う人間という事です」
「何が違うんだ? 人を襲うってとこか?」
青木は眉間に皺をよせた。いまいち瓜生の話が掴めない。冗談を言っている様子もないし、青木の方も実のところは未だに現実の話とは思えないでいた。
「進化をどう思います?」
「進化? 進化って猿から人間になったみたいなあれか」
授業中、先生に当てられたみたいに青木は首を傾げた。
「まあそういうとこです。地球に生命が誕生して生物は様々な進化を遂げてきました。海から陸へ生活を移すもの、空を飛ぶ事ををやめたもの、動物や虫も何万年何千年もかけて進化してきました。人間も道具を使う事から始まりこれだけの文明を築いてきたわけです」
まるで生物の授業だ、青木はそう思いながらも黙って瓜生の話を聞いていた。
「生物学者の中には人間はこれ以上進化しないという人もいます。もしこれが間違いだったら?」
瓜生は青木に問いかけた。
「俺には難しい事は分からん。これから人間がどう進化するのかも想像がつかんよ。空が飛べるようになるとか水中で息ができるとかか?」
青木はまだ瓜生の話が見えてこない。こいつは一体何が言いたいのか、焦れてはいるが瓜生の語り口に引き付けられつつもあった。
「人知れず、ひっそりと静かに人間が進化していたとしたら? これを進化と呼べるのかどうか我々の中でも意見は分かれてはいますが……」
「話が見えねぇな。つまりお前はその人知れず進化した人間の一人ってことか? 木下が襲った奴も? 一体どう進化したんだよ。人を襲う事が進化なのか?」
人が人を襲う進化なんかたまったもんじゃないと青木は吐き捨てた。
それに対し、瓜生は穏やかに「そうですね……」とだけ答えた。その表情はどこかさみしげでもあった。
しばしの沈黙が車内を包んだ。外はすでに真っ暗になっている。外の静けさと車内の沈黙が重なり合って、青木はまるで自分がどこか別の世界に放り込まれたような感覚に陥った。
「どう考えても信じられねぇな。そんな漫画みたいな話がこの世の中に本当にあるのかよ? お前の言うその進化したって連中がゴロゴロいるってのに世間の連中は誰も知らねぇのかよ。そんなもん俺らはライオンがウロついてる所で生活してるもんなんじゃねぇのか? お前らは一体何者なんだ?」
青木は回りくどい事はもうやめにして単刀直入に瓜生に尋ねた。
瓜生はゆっくりと息を吐き、青木の方をむいてニコリとほほ笑んだ。その爽やかな笑顔に同性ながら少し息をのんだ青木だが、負けじと瓜生を睨みつけた。
「ボクらはヴァンパイアですよ、青木さん」
再び青木の思考回路はその動きを止めてしまった。




