闇の中の二人
「大丈夫?」
女の声。
「ああ……」
今度は男の声。
「驚いたぜ。まさか刑事が来るとはな」
はははと男の声はおどけてみせた。
黒いカーテンの隙間から薄い西日が射しこんでいる。さっきまで降っていた雨もあがり、外には厚い雲の隙間から傾いている太陽が光を射している。
その光もカーテンで覆われたこの部屋にはわずかしか届かず、二人の男女は闇の中で息を潜めていた。
「あの小屋で身を潜めてたらあいつがビール片手にニコニコしながらいきなり入って来やがったんだ。知らん顔してやりすごそうと思ってたら警察の者ですがとか言い出したんであせったぜ……。俺とした事がしくじったな。その場をごまかすのも忘れてついやっちまった。殺すつもりだったんだが失敗したな。まあ渇きはなくなったからよしとするか……」
男はぺロリと舌で唇を舐めた。
「でも大丈夫? 警察に顔を見られたんでしょう?」
女は心配そうな声を出す。
「ああ、心配すんな。前にも言ったろ? 警察は何もできやしないさ。警察は、な……」
「じゃあ、もしかしてあいつらが?」
「ああ。動くだろうな。それでなくても色々嗅ぎまわってやがるから」
女は後ろから男に抱きついた。
「そんな……私嫌よ。あなたがいなくなったら……」
「だから心配すんな。そのために準備したんだ。全部押しつけて俺らはここからおさらばさ。そうだな……沖縄でも行くか。あそこはまだまだ手薄なはずだ」
「いいわね、沖縄。早く二人でゆっくりしたいわ」
女の声がまるで少女のように弾む。
「でもいいなあ。私もあなたみたいに早く味わってみたいわ……」
女は羨ましげに喉を鳴らす。それを見て男は女の顎に手を当て、そっと女の唇へ自分の唇を重ねた。
女は男のされるがままにその身を委ねた。闇に重なった二人の影は数秒の間、その時を止めた。
「誤魔化さないで。私もう我慢できないわ。最近やけに喉が渇いて仕方ないの」
女はまるで子供がおもちゃをせがむ様な目で男を見つめる。
男はスッとその視線をかわすように厚いカーテンに覆われた窓へと顔を背けた。
「今夜ゆっくり味わえばいいさ。初めての味を……。今まで食べたどんなご馳走よりうまいはずだぜ。空腹は最高のスパイスって言うだろ?」
男はおどけて笑ってみせた。
「まあここまでよく我慢したよ。俺なんか我慢できずドジ踏んじまったのにな。今夜はたっぷり初めての食事を楽しめばいいさ」
「ありがとう。楽しみだわ」
今度は女の方から男にすり寄り唇を重ねた。男は優しく唇を離すと女の腰に手を回す。
「死なない程度に頼むぜ。せっかく君が選んだターゲットだ。それに今日はもう一人お客が来るんだ」
「分かってる。ごめんね、私の軽はずみな行動で……」
男はその言葉に一瞬眉をひそめたが、すぐに穏やかな表情になり、
「いいさ。俺がルールを教えてなかったからな。今日俺もやらかしちまったからおあいこさ」
女の頭を優しく撫でながら男は天井を見上げた。
暗い天井を見上げ、今夜行われる儀式への思いを張り巡らせ、今日の昼間の様な失態は許されないと何度も何度も自分に言い聞かせていた。もし今夜ドジを踏むような事があれば自分はもちろん、この女もたたでは済まないだろう。
(あいつらもさすがにまだ尻尾は掴んじゃいないはずだ。今夜全て終わらせて、すぐに姿を消してやる。もしもの時はこの女も……)
男は天井から横に寄り添う女へと視線を落とした。女は幸せそうに目を瞑り、男の肩に頭を預けている。
「でも……本当にいいの? あなたの―――血をあげても……」
女は幸せそうな顔を一変させ、今度は不安げな顔で男を見つめている。
忙しい女だ。男は内心そう思った。これだから女という生き物は面倒くさい、そんな事を考えながらも、
「構わないよ。君のためだ。今更一人くらい増やした所でどうって事ないさ。それに君の血じゃまだ無理だからな」
男は優しく囁いた。
「ありがとう……」
女はホッとした様子で腕を男に絡ませてきた。
(……やはり……邪魔かな……)
女には見えない所で男の表情は幾分か嫌気がさしたような顔つきになっていた。
「さあ、そろそろ準備をしておこうか。せっかくあいつが隣の部屋を貸してくれたんだ」
女の腕を振り払うかのようにして男は外の様子を覗うかのようにカーテンを少し開けた。
「しっかり頼むぜ」
女は黙ったままコクリと頷いた。




