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刑事と少年/3

 夕暮れの江津湖ボート小屋の駐車場は停まっている車も三、四台と少なく、貸ボートの受付もすでに営業を終了していた。

 あたりはすでにうす暗く、江津湖の公園内の街灯も灯り、湖の穏やかな水面がその光を眩しく反射していた。

 日中と比べると人の気配も少なく、時折ジョギングをする人を見かける程度である。

 江津湖はやがて来る夜の闇を静かに受け入れようとしている様であった。

 青木は駐車場の中心を避け、なるべく目立たないようになるべく隅の方で車を停車させた。

「それで……青木さんは今回の件、どう思います?」

 車のギアをパーキングに入れるなり、突然そう切り出してきた瓜生に青木は戸惑った。

 それまでのらりくらりと本題に入る事を拒んでいる様にもとれる態度だった瓜生が一変して、突然本題に入ってきたのだ。

 青木の方はこっちから切り出さないと何も話さないだろうと考えていたから、瓜生のこの台詞にすぐには返事ができなかった。

 青木としては瓜生を質問攻めにしてこっちのペースに持ち込みたかった所を瓜生に先手を打たれた形となった。

「どう思うって……俺は詳しい事何も聞かされちゃいねぇからな。通り魔に俺達が偶然居合わせて、偶然木下が襲われたってところか」

 青木はこう返すのが精いっぱいだ。

「偶然……そうなんですよねぇ。今回は運が悪かった……」

 瓜生はううんと考え込んだ。

「青木さん、江津湖の連続通り魔の件は聞いてるんですよね?」

「だから詳しくは知らん。だからこうしてお前に―――」

「同一犯だと思います?」

 瓜生が青木を遮るように言った。その表情はさっきまでのお調子者のそれではなく、真剣そのものだった。署長室で青木をたじろかせた、あの表情である。

「どういうことだ。四件も人を襲った奴と木下を襲った奴とは違うってのか」

「だから聞いてるんです。本職の刑事さんに。どう思うか、を」

 青木はそう言われて考え込んだ。そして内川署長に渡されたあの赤いファイルの内容を思い出してみる。言われてみれば確かに今日の事件と前の四件とでは違う気がする。

 三件目までは目的がよく分からないが、腕に軽い傷を負わせただけで犯人は逃げている。

 四件目は少し大胆になって、被害者に襲いかかり、前の三件同様腕に軽いけがをさせ、そのうえそこに噛みついている。

 そして今日起きた五件目、木下が襲われた事件。

 まず違うのは傷の場所。四件目までは腕に付け爪の様なもので傷を負わせている。木下は首元だった。

 さらに違うのはその襲い方。相手に悟られないように被害者を襲っているし、しかも相手は女性と中学生。まるで自分よりも弱い相手を選んでいるようにも思えた。

 木下の件とは全く違う。相手は大の大人で、しかも刑事。犯人はそれを正面から襲っているのだ。

 木下の意識が戻らないからその時の詳細は分からないが、犯人にとってはリスクが高すぎるようにも思える。

 それに黒いパーカーを着た犯人を青木は目撃しているが、木下を簡単に襲えるほど大柄ではなかった。

 そしてこの五件目だけがあわや被害者が命を落としかけているのだ。

 犯人が徐々に大胆になっていってるのか、はたまた犯人は全くの別人なのか……。しかし目撃証言が一致している―――黒いパーカー。現に青木も見ている。

 青木は思考の迷路を答えの見つからないままさよい続けた。

「おそらく先の四件と今回の件は別人ですよ」

 考え込む青木をよそに瓜生が言い放った。

「えらく自信たっぷりだな。どうしてそう言い切れる?」

「簡単ですよ。犯人が食事をしたか、していないか」

「し、食事ぃ?」

 青木は思わず素っ頓狂な声で聞き返した。

「そうです。食事です」

 青木はそこで内川の昨夜の言葉を思い出した。


(人を食料とする連中……)


 青木は瓜生の顔を見返す。瓜生の方はというと、食事をして満足したのかすっきりした顔で外を眺めている。そんな男が『食事をする』というおよそ考えつかない言葉を簡単に言ってのけたのである。

「どういう意味だよ。食事ってのは。木下は犯人の腹の足しになったってのか」

 青木は自分でそう言いながら背中に寒いものを感じていた。内川が言っていた『人を食料にする連中』が本当にこの世に存在するのなら世の中は大騒ぎするだろう。

「そのままの意味ですよ。まあ食料というか飲料といった方がいいのかな。栄養分を補給したとでも言うかな……」

 何を言ってるんだこの男は。青木は混乱した。この瓜生という得体のしれない男は恐ろしい言葉を軽々しく口にしている。

(人を襲って栄養を補給だと? このガキ、本気で言ってるのか?)

 そんなまるで映画か漫画の世界の話を真剣に話す瓜生を見て、青木は薄気味悪さを感じた。

 この男と出会って初めて異様な雰囲気を感じ取った青木は、人間としての防衛本能が働き静かに運転席のドアの取っ手に手をかけた。

「知りたいんでしょう? 我々の事を。それともこれ以上関わるのを止めますか。今ならまだ引き返せます」

 青木は一瞬躊躇した。

 瓜生の言うとおり、いざ『人を食料にする』という言葉を聞いた途端、青木の思考が後ずさりをした事は否めない。実際そんなおよそ現実に考えもつかない、考えたくもない、そんな連中がいるという事を知ってしまっていいのかという考えがよぎるのだ。


(この世界には知らない方がいいこともある)


 署長室での枕崎の言葉が脳裏に浮かぶ。

 知らない方がいい、そういう事か……、と青木は心の中で深く深く納得した。

「もう後戻りはできねぇよ。少し驚いただけだ。まるで映画か漫画みたいな話だからな。そんな連中が本当に存在するのかよ?」

 青木は崩れかけた思考を立て直し、瓜生に尋ねた。

 一方の瓜生の方はというと、覚悟を決めた青木に対しニコリと表情を崩し、答えた。

「存在するも何も……今実際会話してるじゃないですか」

 青木の思考は再び動きを止めた。


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