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放課後/2

 不意を突かれた啓介は固まってしまった。

 彼女から呼ばれたのはいつ以来だろう。小学校の時から沙耶は啓介の事を啓ちゃんと呼んでいる。

「まだ残ってたんだ。今から帰り?」

「ん……ああ」

 啓介はそう答えたが次の言葉が出ない。

 沙耶はこっちを見ている。

 淡い水色の制服がよく似合う。この高校の夏服は男女ともブラウスが水色なのだ。

 なんで沙耶と面と向かうとこうまで緊張するのだろう、啓介は思う。話したい事もたくさんあるのに。

 あの噂、教師との恋愛―――。

 啓介は坂本からあの噂を聞く以前から、沙耶と生物教師の竹本の関係を怪しく思っていた。

 夏休みも残り一週間の時に、たまたま二人が肩を並べて歩いているところを家の近所で見てしまったのだ。

 あの光景、竹本の隣で、啓介の好きなあの笑顔を見せている沙耶―――。

 それが啓介の脳裏から離れないでいた。

 噂が事実なのか確かめたい。本人の口から。

「水、いいよ」

「え、ああ……」

 はっと啓介は我に返った。

 沙耶は冷水器から少し離れた。

「じゃ……」

「さ、沙耶」

 背中を見せた沙耶がまた振り返る。

「久しぶりに……その、帰ろうか。一緒に……」

 啓介は思い切って言葉を絞り出した。少し冗談めかしく言ったつもりではあった。

 沙耶は視線を啓介から離さない。

 久しぶりに正面からまともに見る沙耶は少し大人びたように思えた。

 啓介はたまらず窓の外に目をやった。

 校門が見える。そこにあの話題の転校生が歩いている姿が目に入った。

 そのすぐ後ろには三、四人の不良グループ。

 彼らに促されるように校外へ出ていく。

「ごめん啓ちゃん。今日は行くところがあるんだ」

 転校生に気を取られていた啓介は沙耶を見た。

「ああ、それなら別にいいんだ」

「珍しいね、一緒に帰ろうなんて。中一の時以来かな。また誘ってよ。今度一緒に帰ろ」

「お、おう。また今度な」

 それじゃ、と沙耶は手を振り廊下から姿を消した。

 一人残された啓介はまた今度と言われたうれしさと、積極的だった自分が恥ずかしくなり階段を駆け降りた。


 校内の自転車置き場まで来た啓介はふとさっきの転校生を思いだした。

「あの転校生……どうなっただろう」

 校門を出る転校生の後ろにいたのは確か一・二年の不良連中だったはずだ。

 啓介は自転車をゆっくり漕ぎ出した。

「でもあの転校生、全然普通にしてたなあ」

 校舎の三階から表情はちらっとしか見えなかったが転校生は涼しい顔をしている様にも見えた。

 あれがもし自分だったら震えてただろうな、などと啓介は余計な事を考えた。なぜかあの転校生の事が気になっていた。

「大体あいつらは集団で来るから卑怯なんだよ。黙って周りで見てても目つきで威嚇してくるし。やり返そうもんならすぐ袋叩きだし。ほんと卑怯だ」

 別に啓介は今まで不良に囲まれた事も無ければ、喧嘩して人を殴った事もない。ただワルぶってる奴らはイメージでそうなんだと思っていた。

「転校生……確か瓜生だったかな」

 転校早々気の毒に、などと一人ぶつぶつ言いながら家路を急いだ。

 帰り道の途中、沙耶とのやり取りを思い出した。

 久しぶりに会話を交わしたというのに転校生の事を気にかけている自分がやけにおかしかった。

「行くところ……かぁ。竹本のどこがいいんだよ」

 今頃竹本といるのだろう、啓介は勘ぐった。

 竹本に対して嫉妬と、生徒に手を出すという行為に対する怒りが入り混じった何とも言えない感情だった。

 啓介のペダルを漕ぐ速度が緩んだ。

 沙耶の事を考え出したら気分が落ちてきたのだ。

「いつものとこに行くか……」

 家へと向かっていた自転車はその行き先を変えた。

 通学路の途中に江津湖がある。啓介の家から自転車なら五分ほどの距離だ。

 啓介は昔から江津湖に行ってぼーっとするのが好きで、ただ座って湖を眺める、それが彼なりのストレス発散法だった。

 いつも行く江津湖の端、そこは人気も余り無く、繁った木々が日除けとなってくれる絶好の場所なのだ。

 路面電車の走る大通りから一本脇に入る。しばらく行くと左側に湖の入り口があった。入り口といっても自転車や徒歩でしか入れない小道だ。

 江津湖は大きく上江津湖と下江津湖に分けられる。そこは上江津湖の入り口と言える場所だ。

 啓介はその入り口で自転車を止めた。

 やがて六時となろうとしていた。が、まだまだ陽は高い。

 湖の中央に向かって続くその小道の先に誰かいるのが見えた。

「先客がいるなあ」

 いつも啓介が陣取っている場所に男が3人見える。

 一人は背はあまり高くないがガッチリとした体格、もう一人はひょろっとした男。どちらも半袖の白いワイシャツ姿である。

 そしてもう一人、こちらは誰がどう見ても―――制服の警官だ。

「何してんだろ。こんな所で」

 よく見るとそのガッチリした背の低い男はヤクザの様に啓介の目に写った。

「何かトラぶってるな」

 興味本位でしばらく見ているとヤクザ風の男と目があった。しかもこっちを指さしている。

 それにならってひょろっと男と警官がこっちを見る。

 思わず啓介は辺りを見回した。

 誰もいない。いるのは自分だけだ。

 三人はまだこっちを見て何か話している。

 ひょろっとした男がこっちに向かって歩き出した。

 啓介は慌てた。

 ガキがこっち見てやがるとかなんとか警官に因縁でもつけたのか。

 ひょろっとした男がこっちに向かって何か言っているが啓介の耳には入らない。 

 トラブルに巻き込まれたらたまらないと、啓介は自転車を反転させ急いでペダルを漕いだ。

 あの男はこっちに何を言っていたのだろう。追っては来ていない様だ。

 少し気にはなったが構わず啓介は家に向かって急いで自転車を走らせた。

 別にやましい事などないのに慌てている自分がおかしかった。 

 普段はまわりに無関心な啓介が沙耶、転校生、そして湖の三人とやけに気になる事だらけの一日だった。



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